ことば

マルチ交渉の心得

 Iaeaflag11140x640 IAEA(国際原子力機関)など国際機関の諮問グループ会合(AGM)や専門家会合、多国間の条約策定会合などマルチの交渉事に参加する際の心得を、この種の会合に実際に参加した経験から、いくつか挙げてみましょう。

 Ihttps253asmile-252f252fs_eximg_jp252fex まず、3S(Smile, Silent, Sleeping)は論外です。日本からは、いつも大勢の会議出席者が来る割には、議場での発言が少ないか、何を聞いても微笑みを浮かべるばかりだったり、居眠りしているばかりとの批判が従前少なからずありました。

July4silentbutdeadly300x300 しかし、最近では、日本の専門家の貢献度が増してきており、こうした批判は当たらなくなってきています。ただ、国内ではそれなりの大家でありながら、国際会議では語学力不足から、せっかく発言しても何を言っているのか理解されず、無視されている方もまま見かけます。

 

Sleeping 今や、rとlの区別が付かず、fやv、thの発音がうまくいかない日本人の英語もそれなりに国際的に認知され、市民権を得ています。先方はそれなりに翻訳して聞いてくれますので、自信をもって、大いに発言して欲しいものです。ちなみに、thがうまく発音できないのは、ドイツ人でもそうですし、中国人の語尾を飲み込む英語やタイ人のファーファーした英語、インド人の喉の奥に籠もった英語も慣れないと聞き取りにくいものです。

 ポイントの第2は、マルチの会議では、発言のタイミングが肝心です。というのは、話題がすぐ変わりがちだからです。これが二国間の交渉では、相手との対話が確保されますから、議長に発言を求めるサインを送ってから実際に発言の許可を得るまでに議場の話題が変わってしまうと言うことはありません。ところが、マルチの会合では、そういうことがしばしば起こりがちです。とにかく、タイミングを失せずに、関連発言をするよう努めることが肝要で、そうでないと、もう既に決着済みの話題を蒸し返していると取られ兼ねない場合があります。

 Qcimg0415 次なるポイントは、マルチの会合では、議場での公式の交渉ばかりでなく、議場外での非公式な「ロビイング」が重要なことです。すなわち、議場裡での根回しが功を奏することが多く、コーヒータイム、ランチタイム、レセプションなどあらゆる機会をとらえての廊下トンビ活動にも力を注ぐべきなのです。公の会議の場では言えないような裏事情も、ざっくばらんに話すことで理解が得られることもあります。

 そして、肝に銘ずべきことは、AGMなど技術会合への参加者は、必ずしも各国の利益代表ではないことです。彼らの「良い格好しい」の発言には、要注意です。例えば、安全基準の策定作業の会議に出てくる各国の専門家は、その分野の「専門家」として来ているのであって、必ずしも行政や規制問題に精通しているわけではありません。従って、その発言は、割と格好の良い、建前論であることが多いのです。このため、専門家同士の審議の結果得られた基準・指針の勧告が法令に基づく規則や技術基準等に焼き直し得るものであるかどうかとの観点からの議論は、欠如しがちです。

基準・指針案に精神論的な規定がまま見られるのにはこうした背景があります。

 ところが、対処方針を背負ってやってくる日本からの出席者は、専門家としての立場のみならず、規制当局や事業者としての立場からの発言をせざるを得ず、議場では、あれも削れ、これも削れと否定的、消極的な発言振りに映りがちです。

 Pacific_heron554x300 出来上がった勧告や条約をしっかり遵守する気がなければ、理想論を格好良く展開することも可能でしょう。例えば、改正前の核物質防護条約策定会合でのスェーデン代表の発言です(改正前の条約では、国際輸送のみが規制の対象でした)。青森港から函館港への輸送のように途中に津軽海峡という国際水路を通過するものは、国際輸送に当たるから条約の対象とすべきと強硬に主張。建前上はそうでしょうが、実効性の観点からは、ナンセンスだという当方の主張に理解を示してくれる国の数を増すのに、大いにロビーイングに精を出しました。

 バイ(二者間)の交渉も大変ですが、マルチは、もっとややこしいのがお分かり頂けたでしょうか。

甲斐 晶(エッセイスト)

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セレンディピティ

 セレンディピティ(serendipity)という言葉をご存じでしょうか?権威あるオックスフォード辞書のネット版では、the occurrence and development of events by chance in a happy or beneficial way”偶然、好都合に物事が起こったり、展開したりすること)とありますし、American Heritage Dictionaryでは、①the faculty of making fortunate discoveries by accident(偶然、幸運な発見をする能力)、②the fact or occurrence of such discoveries(そうした発見をすること)、③an instance of making such a discovery(そうした発見の事例)としています。




Horacewalpoleセレンディピティ
の語源について、後者は、英国人作家ホーレス・ウォルポールによる造語であるとし、1754年1月28日付けのその書簡の中で、「この発見は、正に私がSerendipityと称している大変表現力に満ちた言葉に近い」と語っているとしています。ウォルポールはこの言葉をスリ・ランカの古名Serendip(ペルシャ語起源)から作っていて、次のような説明をしています。


「これは『
Serendipの3王子』という馬鹿げたおとぎ話の題名の一部で、王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、その聡明さによって、本来探していなかったことを発見するのです。

 O0298043611864032010平たく言えば、予想もしていないものを偶然発見する能力とでもなりましょうか。「偶然」に力点を置くと、単なる「ツキ」に過ぎませんが、「能力」に力点を置くと、普通の人が気付かないことに気付く「洞察力」ということになりましょう。

 科学の分野でセレンディピティの例としてしばしば引用されるのが、元来意図していなかった結果が大発見に繋がった事例であって、思いがけない実験結果に遭遇した際に、これを大発見に繋げる能力が備わっているかどうかということです。




Alexanderfleming1一例を挙げると、
A・フレミングによるペニシリンの発見です。彼は培養実験を行っていた際に、黄色ブドウ球菌の培地にアオカビが混入しているのに気付き、細菌のコロニーがカビの周囲だけ透明で死滅していることを見つけ出したのです。これがのちに世界中の人々を感染症から救う抗生物質の発見のきっかけになったのです。

セレンディピティゆえの発見は日本人にも見られます。高分子質量分析法の発見によってノーベル賞を受賞した田中耕一さんの場合です。




Nfタンパク質を質量分析するには、タンパク質を気化させて、イオン化する必要があります。しかし、気化させるには高エネルギーが必要ですが、高エネルギーをかけるとタンパク質は気化せずに壊れてしまいます。これを解決したのが、田中さんの偶然の発見、セレンディピティでした。実験中に、別々の実験で使うつもりだったグリセリンとコバルトの微粉末を混ぜるという失敗をしてしまいましたが、田中さんは「捨てるのはもったいない」と考えて、分析してみると、なんと溶液中の高分子がそのままイオンの状態になったのです。

残念ながら科学分野での高尚なセレンディピティの能力を筆者は持ち合わせていません。しかし、一部の英語の辞典では、「思いがけないところで、思いがけない人に出会うこと」もセレンディピティのなせるわざとしていますが、これまで、そうした思いがけない体験を何度かして来ています。

2000048133婚約時代に「屋根の上のバイオリン弾き」の映画を見に行ったところ、私の前の席に座ったのが何と森光子と浅丘ルリ子でした。

○数年前、チェコに出張した帰りの機内で隣の席に座っていたのが、20数年来お目にかかっていなかった、かつての仕事のカウンターパート、I氏。多数の便があり、多数の座席があるなかで、隣り同士となる確率は如何ばかりでしょうか。

○かつて出向先で一緒に仕事をした別の組織の職員H氏が現役を引退して関西へ移動。音信不通でしたが、ある晩、別用で出かけた目黒駅前の街頭でばったりと再会。何という奇跡でしょう。

○最後は、ごく最近のことですが、ある日、ある時、官庁街の通りすがりに、かの田中耕一さんに出会いました。声を交わすこともなく、ただ目と目が合ったそれだけだったのですが、セレンディピティを感じている今日この頃なのです。

甲斐 晶 (エッセイスト)

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日本の心を伝える

10060004741_s_2 グレッグ・アーウィンという米国人歌手をご存じでしょうか。彼は、日本の唱歌や童謡の魅力に惹かれ、これらに描かれている日本の心を世界に伝えたいと願い、日本語の原詞を英訳するとともにこれらを自ら歌ったCDを出すばかりか、色々な機会に演奏を行って数々の賞を受けています。

これまでに2冊のCD本「英語で歌う日本のうた」がジャパン・タイムズ社から出され、「さくらさくら」、「花」、「早春賦」、「仰げば尊し」、「竹田の子守歌」「椰子の実」、「かあさんの歌」など全部で16曲を収録しています。本の体裁は、まず、それぞれの歌にふさわしい大変美しい写真が見開きで掲載され、次いで左の頁に原詞、右の頁に英訳の歌詞が載っています。さらに巻末には、それぞれの歌についての解説があって、日本独特の風物、風俗、習慣、考え方、自然観などの紹介や訳出に苦労した点の披露がなされています。それぞれの曲は、軽快なアップビートのポップ調に編曲されていて、楽しいものに仕上がっています。9784270002018_1l_2

そもそも翻訳とは、単なる言語の置き換えで済むものではなく、文化・習慣の相違の翻案も必要です。加えて、英語の歌詞の場合には、歌い易さや韻にも配慮しなければなりません。

英語に訳された歌詞を見ていると、その辺の苦労が伝わって参ります。日本語の歌詞では、一音符一音節ですが、英語では、一音符に一単語を充てることが可能です。したがって、英語では、同一数の音節に対して日本語の原詞よりも長い文章にする必要が出てきます。ですから、原詞にない内容を補充して訳出しています。「花」の英訳では、原詞に無い恋人たちが隅田川の川岸に現れます。Akatonbo_03_ll_2

また、日本語には単数、複数の概念がありません。ところが英語では、これを明確にしなくてはなりません。「赤とんぼ」の日本語の歌詞のイメージでは、竿の先に止まっていることから、一匹の赤とんぼと思われるのですが、これが英訳では複数。とても一つの竿の先には、止まれません。したがって、この部分は訳出されていません。

Gentaikenkoramu42nanatunoko1_2 同様の問題が、「7つの子」の解釈です。お母さんカラスが鳴くのは、山の古巣に可愛い眼の7つの子がいるからという趣旨の歌詞なのですが、これを英訳では、「子ガラスが7羽」としています。果たしてそうでしょうか。これは、「7歳の子」ガラスと言う意味ではないでしょうか。日本語では、カラスは7つではなく、7羽と勘定するのです。ただし、人間ならまだしも、7歳になっても親から自立しない子ガラスでは、困りものです。きっと原詞に無理があるのでしょう。なお、原詞で、可愛いと鳴くのは、お母さんカラスですが、英訳では子ガラスに「Caw」と鳴かせています。

P1000846_2 日本語の歌詞を直訳するととんでもない内容になる歌もあります。「夏の思い出」で、尾瀬の水芭蕉を歌っていますが、この植物の英名は、何と「スカンク・キャベツ」。これが臭ってくるのでは、歌のイメージは台無しで、コメディ・ソングです。

ともあれ、いずれも良くできた英訳で、特に、「故郷」は、秀逸で、読んでいてじんと来ます。Furusatonousagi

Back in the mountains I knew as a child

Fish filled the rivers and rabbits ran wild

Memories, I carry these

Wherever I may roam

I hear it calling me, my country home

Mother and Father, how I miss you now

How are my friends

I lost touch with somehow?

When the rain falls or the wind blows

I feel so alone

I hear it calling me, my country home

I’ve got this dream and it keeps me awayWyominggrandtetonnationalpark_2

When it comes true

I’m going back there someday

Crystal

waters, mighty mountains

Blue as emerald stone

I hear it calling me, my country home

ただし、訳詞のイメージは日本のような山紫水明、箱庭のような景色ではなく、ロッキーの雄大な山並みを想像してしまうのではないでしょうか。

甲斐 晶(エッセイスト)

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英語の氾濫

 今や英語は、世界の共通語となりつつあります。特に、インターネットの発達・普及に伴って、日常生活においても、英語に依存せざるを得ない場面が益々拡大しています。

218321101 英語が意思疎通のための世界共通の言語としてその地位が高まるにつれ、ひと昔前には、国際会議において、頑なに自国語のフランス語以外は喋らなかったフランス人も、今ではちゃんと英語で発言するようになってきました。もっとも、当時は、フランス政府関係者は、仏英間の通訳が得られる場合には、自国語以外の言葉で発言することが禁じられていたとのことでした。従って、IAEAなどの専門家会合において、フランスからの出席者が1名いたために、通訳付で会合を運営せざるを得ないと言った不都合がしばしばあったものです。     

Scrn21 一方、英語の普及に伴って、色々な母国語の人たちが英語を操るようになってきましたので色々な訛りの英語に習熟する必要が出てきました。日本人にとって、特に苦手なのは、インド人の訛りではないでしょうか。独特の抑揚に加えて、喉の奥からのこもったように発する英語には、てこずります。彼らは、英語の達人を自認していますので、なおさらで、話すスピードも立て板に水です。国際会議などで、プロの日本人通訳がインド訛りの英語に立ち往生する場面に遭遇したりします。

79936099_07fbcaaa1f このほかにも、語尾がはっきりしなくなる傾向の中国人(香港や台湾の通関などで苦労した経験があります)、発音がなんとなくまろやかになるタイ人、「ザジズゼゾ」が全て澄んで「サシスセソ」になってしまうラテン系の人々の英語(フィリッピン人の英語もこの範疇です)にも慣れる必要があります。11

もっとも、各国の多様な訛りの英語の使い手が登場し、これが一般化しつつあることで、日本語訛りの英語も、次第に市民権を得つつあります。日本人の場合、英語独特の強弱のリズムが出来ずに、ともすればフラットに成りがちです。また、rとlの区別が出来ず、thの発音がおぼつかないことは、良く知られていますが、意外にもiwの発音も実は、上手くは無いのです。”world”という言葉を英語が母国語の人に言って、すぐ通じるようなら、あなたの英語のレベルは、相当なものです。

20060612215426 英語の特定の発音に苦労しているのは、何も日本人ばかりではありません。ドイツ人は、日本人と同様に”th”の発音が苦手なことに加え、ジャ、ジュ、ジョに相当する音がドイツ語に無いために、大いに苦労しています。ドイツ人がJapanを英語読みにする場合、ちゃんと<ジャパン>と言えないで、<チャパン>に近い発音になってしまうようです。<ジャ>という音をドイツ語で表記するのも一苦労で、ジャングルは、Dschungelと表記されます。Dschungelamaequator

ドイツ語表記での”Ja”は、の音になってしまいます。”Ja”は、英語ではではなく、ジャだと余りに強く意識しすぎたのか、マヨネーズと言うべきところをマジョネーズと言ってしまったドイツ語圏の友人が身近にいます。最近、和食ブームのウィーンで、鉄板焼きを、Teppan-jaki”と表記していますが、くれぐれもこれを鉄板ジャキとは、読みませんように。

英語由来の言葉が外来語として多数日本語に入ってしまった結果、困ったことも起こっています。てっきり、英語とばかり思って、英語風に発音するのに相手に全く通じないということが、ままあります。ガーゼ(gauze)、ピンセット(tweezers)、ペンチ(pliers)、ナイター(night game)、レガーズ(leg guard)、ピエロ(clown)など枚挙に暇がありません。2007_08_07clown

明治時代には、先達たちが漢語への造詣を生かしながら、多くの外国語の訳語を苦労して案出してきました。社会、科学など、中国語に逆輸出された例もあります。しかし、現代では、目覚しい技術革新とこれに伴う技術導入の結果、英語をそのままカタカナ化して済ましてしまうことが当たり前になっています。この結果、外国人通訳が日本語をその国の言葉に訳するのに、こうしたカタカナ語の元が不明で、苦労が尽きないようです。

甲斐 晶(エッセイスト)

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続・和製英語

 前回(和製英語)は、T社のRV車に装備されたスペアタイヤのカバーに書かれた意味不明の英文コピーを例にして、変な和製英語の宣伝文句や製品名が身の回りに多く見受けられることを指摘するとともに、そうした英文コピーなどを英語を母国語とする人にチェックして貰おうともしない日本人の英語感覚の不思議さについて触れました。Landcruiserprado

 また、T社との手紙のやりとりにおいて、①T社としては、明らかな誤りではないものの分かりにくい表現なので、改める方向で検討すること、②ただし、変更の時期や表現内容については、未定であり、③コピーの表現の趣旨については、当方に通報するほどのものではないとの極めて慇懃無礼な回答ぶりに接し、失望したことを紹介しました。

 さて、その後1年以上も経ったでしょうか。こうしたやりとりのあったことすらすっかり忘れてしまっていた頃、再び私の前を行くT社のRV車のスペアタイヤのカバーに書かれた英文コピーがすっかり変わっているのに気が付きました。今度のは、"Society should reflect on the earth's tender environment."と、前のに比べてずっと簡潔になりましたが、やはりどことなく変です。前と同じ国際会議に再び参加する機会があったので、前回と同様に英語を母国語とする参加者にこのコピーからどんなメッセージが得られるか、改善するとすればどういう表現にすべきかを尋ねて見ました。

 Ni_s063_f002_m004_2_l 今回は、N社のRV車に装備されたスペアタイヤのカバーに書かれた英文コピーも奇妙奇天烈でしたので、併せて同様の質問をして見ました。N社のは、こんな表現です。"Whenever and every-where we can meet our best friend---nature. Take a grip of steering."

 Rollins_fig09bbT社の修正版については、多分「やさしい」地球環境という趣旨で使ったと思われる"tender"という単語が不適切で、その意味でならば"gentle"という言葉を使用すべきと言うのが一致した意見でした。「社会は、地球環境が損なわれやすいものだということに留意すべき」とのこのコピーの趣旨を全員が理解していましたので、前のに比べると大きな進歩です。ただ、"tender""gentle"の間違いを指摘されたことを考えると、このコピーも英語を母国語とする人のチェックを受けなかったのでしょうか。残念です。

 一方、N社のコピーを見たとたん,誰もが吹き出していました。コピーの意味が分からないと言うのです。箸にも棒にも掛からない代物のようで、強いて言えば、「車でなら、行けないはずのところにでも行けるようになる」との意味だろうかとしていました。改善案として、"Everywhere we are surrounded by nature, which we should respect. Be responsible in your actions, keeping in mind their effect on the environment"を挙げている人もいました。

 いずれにしても肝要なのは、英語が母国語の人にチェックして貰う手間を厭ってはならないと言うことです。同じようなことは、オリジナルが英語のものを日本語に訳す場合にも言えます。あるテレビ番組で紹介していましたが、ロスアンジェルスにあるユニバーサル・スタジオのレストランの日本語メニューが傑作だったのです。

 まず、表紙がいきなり「日本人の」となっています。これは、"Japanese"(日本語)の訳のつもりなのでしょう。中を開けると、"Diet Sandwiches"が「国会サンドイッチ」、"French Flies"が「フランス人の稚魚」、"Chicken Salad"が「青二才のサラダ」、"Ham with Cheese"が「アマチュア無線家、そしてチーズ」といった具合。実に噴飯ものの誤訳のオンパレードなのです。いずれもその英単語には、確かにそういう日本語の意味もありますが、前後関係からなぜわざわざそんな訳を付けたのか不可解です。簡単な翻訳ソフトでも使ったのでしょうか。

  このメニューは、最終的にはちゃんと日本人に訳を見て貰ったというのですが、一体どんな日本人に見て貰ったのでしょうか。

甲斐 晶(エッセイスト)

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和製英語

 今に始まったことではありませんが、英語で表現すると何となく格好良いと思うのでしょうか、宣伝文句に英語が用いられたり、製品名に英語もどきの名称が使用されているのを良く見かけます。不思議なのは、どうも日本人のスタッフだけで決めているようで、多少ともネイティヴ・スピーカーのチェックを受けていればそんな表現にはならないと思われる変な英語が、まま見受けられます。

 一例を挙げると、PHSの宣伝が華やかな頃、あるメーカーが「愛Phs する人とP(ピー)してる。」とのコマーシャルをしきりに流していましたが、これを聞いた英語を母国語とする人々に対して不快感を与えたそうです。というのも、peeとは、小用を足すことで、pissの最初の文字に由来しているのです。(ちなみにCalpisも「英語人=英語を母国語とする人」には、奇異な命名なのです。)また、コーヒーに入れる粉末状のクリームの商品名、Creep490272000508102 、多分、Creamとの関連性と日本語の語感だけ決めたのでしょうが、この語に「 (人にうまく取り入るような)いやなやつ」という意味があることが分かっていたなら、きっとボツになっていたことでしょう。

 さて、10年ほど前のある日、車を運転中のこと、私の前をT社のRV車が走っておりました。ノロノロ運転であったこともあり、何気なく後部に装備されたスペアタイヤのカバーに視線が行きました。大きく車種名が書かれた下に何やら、英文が見えます。"A trip with nature is always a special environmental adventure."との表現でした。この英文は、何を言いたいのでしょうか。"a trip with nature"というのは、自然と一緒の旅、自然と一体となる旅という趣旨なのでしょうが、意味不明です。また、"a special environmental adventure"というのも分かるようでいて分からない表現です。

 10102017_199801 ある国際会議に出席したついでに「英語人」に率直な感想を聞いてみました。幸いにもこの会議には、英国人、米国人、カナダ人、オーストラリア人と英語を母国語とする人たちがおりましたが、異口同音に「何を言おうとしているのか分からない」とのコメントでした。

 20060710100535z カナダ人は、「きっと、『このコピーが読めたら近づき過ぎです』との警告では、・・・」などと冗談を言っていましたが、英国人は、"an unintelligible aphorism"(難解な警句)だと言っていましたし、オーストラリア人は、"Delphic"(曖昧)だとしていました。アメリカ人は、"I don't get anything from the message. Perhaps, something like a walk in the woods can be something special."(どういう趣旨なのか全く分からない。「森の中を散歩するのは、何か特別なこと」と言った程度のことか。)と断った上で、"Trip with nature"とは "Trip in natural surroundings"ということなのだろうか、また、"environmental adventure"とは"a new experience involving the environment"(環境との関わりを持つ新たな経験)と言う趣旨なのだろうかなどと首をかしげていました。

 この結果を紹介しながら、T社に問題を含んだ英語表現である旨を指摘する手紙を出すと、丁重な礼状が参り、「私どもとしては、明らかな誤りではないと思っておりますが、ご指摘のとおりわかりにくい表現でございますので、改める方向で検討いたしたいと存じます。」との回答でした。しかし、問題の本質は表現に誤りがあるかどうかではなく、それ以前の「意味不明」、「英語のようだが、趣旨不明な表現」と言うところにあるので、本来どういう趣旨でこのコピーを作成したのか、また、どのように改めるつもりなのかを再度照会しました。すると、「変更時期、表現内容については、現在のところ未定で」あり、「コピーの表現の趣旨については、(私に対して)ご案内するほどのものではない」との、極めて慇懃無礼な回答ぶりにがっかりしてしまいました。

 世界に冠たるT社でさえ、「英語人」にチェックして貰ったとは思えない意味不明の英文コピーを麗々しく掲げて平気なのですから、日本人の英語感覚には、いささか問題がありそうです。

                            甲斐 晶(エッセイスト)

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語学力

 海外赴任を前にした知人や友人から、学齢期の子供を現地校に入れようか、日本人学校にしようか、それともインターナショナル・スクール(英語)にしようか迷っているけれど、どうしたら良いだろうかと相談を受けることがままあります。

 そんなときに申し上げるのは、子供の年齢が帰国後に10歳(小学校4年生)以下であればせっかく外国語を覚えても、日本に帰ってくるとすっかり忘れてしまうので余り期待しない方が良いということです。これは海外勤務を経験した大方の人の意見のようです。

 我が家の経験でも、米国留学当時に1歳半だった娘が2年間の米国生活で英語をベラベラ喋るようになっていたのに、帰国の際にロスアンゼルスからJALに乗ったとたん、乗客が日本人ばかりで、周りが日本語なものですから、以来英語を少しも喋らなくなったということがありました。

 Vislogo ウィーンでインターナショナル・スクールの幼稚園に通っていた息子の場合には、日本に帰国後もその英語の力を維持させようと、帰国子女対象で遊びが主体の英語に親しむクラスに暫く通わせましたが、結局は徒労に終わってしまいました。

 2人とも理屈ではなく生活を通して肌で英語を覚えたわけですが、覚えるのが早かっただけ、忘れるもの早かったようです。しかし子供の年齢が10歳前後ともなると、既に日本語がある程度出来上がっているので、それだけしっかり身に付くということなのでしょう。

 ただ言葉はすっかり忘れてしまったのですが、発音の方はちゃんと搾るようで、2人とも今でもRLの区別はしっかり出来ます。

 語学が出来るかどうかは多分にその人の察しの良し要し、音感の良し悪しにかかっているように思えます。語学力と音楽力や数学力との相関が云々される由縁です。

 我が子の経験を見ても、子供ながらに状況を察しつつ言葉を覚えているようです。息子が英語の幼稚園に行き始めたころ、「英語を覚えた?」と知人が訪ねると、「うん、スリープっておしりをペンペンすることだよ」と答えたことがあります。変だなと思い「どうして」と尋ねると、「だってお昼寝の時に目を開けていると、『スリープ』と言いながら、先生がおしりペンペンするんだもん」との答え。子供ながら自分の置かれた状況から、相手の発した言葉がどういう意味かを頭をフルに回転させながら察しているようです。

 音感について言えば、こんなことがありました。やはり彼が英語の幼稚園に行き始めたころです。毎日のようにマザー・グースを遊び歌にしたものを新たに覚えて来ては披露してくれます。ある日「バー・バー、タクシー、ヘリヘリ・オー」と得意げに新しく覚えた歌を教えてくれるのですが、意味が良く分かりません。そこで家内が父母会の折に、幼稚園で『タクシーの歌』を教えているのかを尋ねると、先生は口をポカン。家内が息子の歌う節回しで「バー・バー‥・」と歌い始めると、先生はおなかを抱えて大笑い。本当の歌詞はBaaBaaBlack SheepHave you any wool?”というものだったのです。55064149 これがきっかけでマザー・グースの英語版を買い求め、息子が覚えて来る歌の解読に当たるようになりました。

 英語の句をそれに似た発音の日本語の句に置き換えていたわけで、これは大人でも良くやる手です。戦後の占領時代に、“General MacArthur”を「蛇の目傘」と覚えたり、ロンドン在住の日本人が“West Kensington”を「上杉謙信」と覚えたりするのがその例です。アメリカ人も「行って参ります」を‘‘Itchy Mighty Mouse’’と覚えたりするそうです。

 しかし音感が悪いととんだ失敗をするようで、日本人が米国旅行に出かけ、機内でアメリカ人のスチュワーデスに“One Beer”と何度頼んでもミルクが出てきたり、コーラを頼んだのに珈琲が出てきたという失敗談は枚挙に暇がありません。

 どうも語学上達のためには口や耳が固まらない若い内にやるのが一番というのが結論のようです。            甲斐 晶(エッセイスト)

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引かぬは一生の恥

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という諺がありますが、外来語や熟語などに関して辞書をちゃんと引いて確かめず、思い込みやうろ覚えでやったためにとんだ赤恥をかくことがあります。

 大学院時代のことでした。同じ研究室の助手の方がある英語の研究論文の内容を紹介した際のエピソードです。動物実験の結果について記述したものだったのですが、実験に使用した動物が原著では“a guinea pig”となっていたので「ギニア豚」を用いての実験と報告しました。ところがこれがとんだ大間違いだったのです。確かに“Guinea”はギニアで、“pig”は豚ですから、“guinea pig”は「ギニア豚」となるはずです。しかし英和辞典を引けばすぐ分かることなのですが、これはアフリカはギニア産の特殊な豚などではなく、実験用のモルモットのことなのです。ちなみに広辞苑によればモルモットの語源はオランダ語の“marmot”で、Alpine_marmot2 16世紀にオランダ人がペルーからわが国に伝えた時に、これを別種のマーモットと混同したためとしています。(マーモットはヨーロッパのアルプスなどで良く見られる人なつっこい小動物で、リスに似てはいますがこれよりもやや小肥りで尻尾も短めです。)

 Guinea_pig さてこのモルモットでは私の家内もウィーンでとんだ恥をかく羽目になりました。小学校低学年だった子供たちにせがまれて、モルモットをペットとして飼っていましたが、そのエサのレタスを八百屋で買うのが家内の務めでした。

 ある土曜日のこと、週末でお店がお休みになるのでいつもより大量にレタスをまとめ買いしようとしました。お店の女主人が「そんなに沢山?」と訊くものですから、「え、、家でモルモットを2匹も飼っているので」と言うつもりで、モルモット(“Meerschweinchen”)のところをうろ覚えのまま、“Schweinchen”と言ったので相手がびっくり。それもそのはず、これでは「子豚を2頭も飼っている」ことになってしまうからです。

 間違いに気付いた家内は確か“schweinchen”の前に何か言葉があった筈だとまでは分かったのですが、それが何だったのか中々思い出せません。幸い英語の分かりそうなオーストリア人の女学生が横にいたので、「ねえ、guinea pigってドイツ語で何て言ったかしら」と尋ねたところ、今度は彼女が四苦八苦の番。ドイツ語が母国語であり、guinea pigが何であるかも分かっているのですが、度忘れでそのドイツ語がすぐには浮かんで釆ません。苦労の末、ようやく“Meerschweinchen”だと分かって一同大笑い。女主人もああそうだったのかと納得し、後から店に出てきたご亭主に一部始終を解説。ご亭主の方もおなかを抱えて笑っていたそうです。

 日本語でも同じような間違いが起きるもののようです。これは馬鹿丁寧な日本語をあやつることで知られる日系ブラジル人のタレント、マルシアの場合で、ある蒸し暑い夏の日のこと。楽屋で付き人が「こんな日は、きもだめしが一番なんだよな。」と言うのを小耳に挟んだ彼女は透かさず、「それ私にも一人前」と叫んだとか。どうも「肝試し」を「釜飯」や「焼き飯」のたぐいと勘違いしたようです。もっとも彼女の場合、「いいなづけ」を「高菜漬け」や「広島菜漬け」からの連想で漬物だと思ったという前歴の持ち主なので案外食い意地が張っているだけなのかも知れません。

 英語だとばかり思っていた言葉が実はほかの国の言葉だったということもよくあります。イギリス人に対して「ガーゼ」を色々なアクセントで発音してみるのですが全く通じません。どんなものなのかを説明してようやく「ああ、それはゴーズだよ」(“Aha! You mean gauze!”)と言われて初めてガーゼが英語ではないことが分かりました。ドイツ語のGazeに由来しているのです。ピエロも同様で、こちらはフランス語(pierrot)由来で、英語では“clown”なのです。

 日本語になった英単語のアクセントも要注意です。ブルドーザーのアクセントはドにあると思いきや正しくはブにあります。とにかく外来語はこまめに辞書を引いて確かめておくことが肝要です。

甲斐 晶(エッセイスト)

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