マルチ交渉の心得
IAEA(国際原子力機関)など国際機関の諮問グループ会合(AGM)や専門家会合、多国間の条約策定会合などマルチの交渉事に参加する際の心得を、この種の会合に実際に参加した経験から、いくつか挙げてみましょう。
まず、3S(Smile, Silent, Sleeping)は論外です。日本からは、いつも大勢の会議出席者が来る割には、議場での発言が少ないか、何を聞いても微笑みを浮かべるばかりだったり、居眠りしているばかりとの批判が従前少なからずありました。
しかし、最近では、日本の専門家の貢献度が増してきており、こうした批判は当たらなくなってきています。ただ、国内ではそれなりの大家でありながら、国際会議では語学力不足から、せっかく発言しても何を言っているのか理解されず、無視されている方もまま見かけます。
今や、rとlの区別が付かず、fやv、thの発音がうまくいかない日本人の英語もそれなりに国際的に認知され、市民権を得ています。先方はそれなりに翻訳して聞いてくれますので、自信をもって、大いに発言して欲しいものです。ちなみに、thがうまく発音できないのは、ドイツ人でもそうですし、中国人の語尾を飲み込む英語やタイ人のファーファーした英語、インド人の喉の奥に籠もった英語も慣れないと聞き取りにくいものです。
ポイントの第2は、マルチの会議では、発言のタイミングが肝心です。というのは、話題がすぐ変わりがちだからです。これが二国間の交渉では、相手との対話が確保されますから、議長に発言を求めるサインを送ってから実際に発言の許可を得るまでに議場の話題が変わってしまうと言うことはありません。ところが、マルチの会合では、そういうことがしばしば起こりがちです。とにかく、タイミングを失せずに、関連発言をするよう努めることが肝要で、そうでないと、もう既に決着済みの話題を蒸し返していると取られ兼ねない場合があります。
次なるポイントは、マルチの会合では、議場での公式の交渉ばかりでなく、議場外での非公式な「ロビイング」が重要なことです。すなわち、議場裡での根回しが功を奏することが多く、コーヒータイム、ランチタイム、レセプションなどあらゆる機会をとらえての廊下トンビ活動にも力を注ぐべきなのです。公の会議の場では言えないような裏事情も、ざっくばらんに話すことで理解が得られることもあります。
そして、肝に銘ずべきことは、AGMなど技術会合への参加者は、必ずしも各国の利益代表ではないことです。彼らの「良い格好しい」の発言には、要注意です。例えば、安全基準の策定作業の会議に出てくる各国の専門家は、その分野の「専門家」として来ているのであって、必ずしも行政や規制問題に精通しているわけではありません。従って、その発言は、割と格好の良い、建前論であることが多いのです。このため、専門家同士の審議の結果得られた基準・指針の勧告が法令に基づく規則や技術基準等に焼き直し得るものであるかどうかとの観点からの議論は、欠如しがちです。
基準・指針案に精神論的な規定がまま見られるのにはこうした背景があります。
ところが、対処方針を背負ってやってくる日本からの出席者は、専門家としての立場のみならず、規制当局や事業者としての立場からの発言をせざるを得ず、議場では、あれも削れ、これも削れと否定的、消極的な発言振りに映りがちです。
出来上がった勧告や条約をしっかり遵守する気がなければ、理想論を格好良く展開することも可能でしょう。例えば、改正前の核物質防護条約策定会合でのスェーデン代表の発言です(改正前の条約では、国際輸送のみが規制の対象でした)。青森港から函館港への輸送のように途中に津軽海峡という国際水路を通過するものは、国際輸送に当たるから条約の対象とすべきと強硬に主張。建前上はそうでしょうが、実効性の観点からは、ナンセンスだという当方の主張に理解を示してくれる国の数を増すのに、大いにロビーイングに精を出しました。
バイ(二者間)の交渉も大変ですが、マルチは、もっとややこしいのがお分かり頂けたでしょうか。
甲斐 晶(エッセイスト)
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