小澤征爾さんを偲ぶ
2024年2月6日、世界的な指揮者で、ボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場の音楽監督を日本人として初めて務めた小澤征爾さんが心不全のため逝去されました。享年88歳での旅立でした。その逝去の公表は、9日、所属事務所によってなされましたが、故人の遺志により、葬儀は近親者のみで執り行われ、「後日、お別れの会を検討しています」とされていました。
小澤さんは、成城学園中学校を卒業後、桐朋女子高校音楽科を経て桐朋学園短期大学に進学しましたが、世界的な指揮者になってからも成城学園と深い関係があったようで、結局、その「お別れの会」が成城学園澤柳記念講堂で執り行われることとなり、本年3月に成城学園のホームページに次のような案内が掲載されました。(https://www.seijogakuen.ed.jp/news/2024/u8ej300000008yza.html)
「今般、下記の通り「お別れの会」を執り行うことといたしました。
当日は、思い思いに故人をしのんでいただきたいとのご遺族のご希望をふまえ、特別な催しを行うことなくご参列者の皆さまにはご都合の良い時間にお越しいただき、献花をしていただくこととしております。
なお、ご香典、ご供花、ご供物の儀はご遺族のご意向により固くご辞退申し上げます。何卒、ご理解の程お願い申し上げます。
記
日時:令和6年4月14日(日曜日)午後1時から午後3時まで(随時受付)
場所:学校法人成城学園 澤柳記念講堂
午後1時より「コーロ・カステロ」「合唱団 城の音」による献歌を予定しております。
混雑を避けるために時間を拡大してご案内申し上げます。
上記の間でご都合のよい時間に平服でお越しくださいますようお願い申し上げます。」
成城に住んでいる私の友人からのメールによると、お別れの会の情報が「成城学園のHP、町内報、最寄駅や区掲示板に出ている」とのことで、小澤さんが実に気さくでどなたとも分け隔てなく交流されていたお人柄を反映していると感じさせられます。私の友人も、「小澤さんは蕎麦屋や小田急車内でお会いしてもにっこり挨拶に応じられ、鼻歌まじりで自転車に乗るなど、本当に気さくな方でした。」としていて、私の経験とも重なります。
実は、私の2度目のウィーン赴任中のことでしたが、小澤さんが後輩指揮者の秋山和慶さんとサイトウキネンオーケストラのコンサートをウィーンで開催された際に、ゲネプロにウィーン日本人学校の生徒や父兄、先生方を招待してくれたことがありました。楽屋にお二人を訪ねると、気軽に求めに応じて、我が家のゲストブックにサインをしてくれました(別図)。1989年9月11日、小澤さんが54歳の時のことです。
また、小澤さんがウィーン国立歌劇場の総監督を務めていたころ、2003年の5月のことですが、私がウィーンに出張した際に、たまたま歌劇場でのリハーサルを終えて、ご自分が滞在中であったアパートに戻りつつある小澤さんをケルントナー通りでお見掛けしたことがあります。大道芸人たちに声をかけて親しく談笑している姿をお見掛けして、偉大なマエストロなのに実に気さくな方だとの印象を受けました。(別図)
さらに、10年前、2014年の冬のことですが、奥志賀高原にスキーに出かけた際、そこに別荘をお持ちの小澤さんが、奥志賀高原ホテルの前にある音楽堂のほうへスキーウェア姿でやってこられ、我々の姿を見ると声をかけてこられました。親しくお話してくださり、その後一緒に集合写真に収まってくださったことを思い出します。(左図は、集合写真からトリミングした、スキーウェア姿の小澤さんです。)
実に偉大な指揮者を失いました。まさに巨星墜つです。
甲斐 晶 (エッセイスト)
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