サイバー先進国エストニア
ほぼ1年前のことになりますが、サイバーセキュリティの調査のため、この分野の先進国、エストニアの首都、タリンを訪れました(左写真:タリン旧市内の眺望)。タリンでは、教育・研究機関であるタリン工科大学(Tal Tech)、サイバーセキュリティに責任を有する行政機関である国家情報システム庁(RIA)、サイバーセキュリティ分野におけるNATO加盟国間の協力推進を行うNATOサイバー防衛協力センター(CCDCOE)(写真:CCDCOE加盟国の国旗掲揚。出典:ERR)などを訪問。 専門家との意見交換や情報交換を通じて、我が国の約100分の1の人口で、面積が約9分の1の小国、エストニアがどのようにしてサイバー先進国となったか、その秘密を探ることが出来ました。
古くからエストニアは外国列強による支配が繰り返されて来ました。すなわち、14世紀から18世紀にかけて、ドイツ(騎士団)、スウェーデン、ロシアによって領有されます。ロシア革命(1917年)の翌年にようやく独立を果たしますが、第2次世界大戦中の1940年に今度はソ連に併合されてしまいます。そうして、ソ連にペレストロイカの波が生ずるに及び、ようやく1991年に独立を果たすのです。こうした歴史から、バルト三国の中でも、いち早くNATO加盟、EU加盟を果たし、脱ロシア・欧州の一員への移行を進めるとともに、IT・サイバー防衛の先進国としての地位を確立するに至ったのです。
すなわち、独立後のエストニア政府は、まず、旧ソ連時代の非効率さを根絶し、投資を呼び込むためにIT分野の人材育成に力を入れたのです。また、国家予算の1%を効率的な電子行政サービスシステム(e-Estonia)の構築にあてました。これにより、ポータルサイトState Portal “EESTI.EE”を通して、出生や転居、税申告、教育、選挙投票など「ゆりかごから墓場まで」に必要となる公共サービスのほとんどがオンライン化されるようになり、国民の圧倒的な支持を得ています。例えば、このシステムを通じて子供の出生届を出しておくと、その子の保育園入園の時期になれば、どこそこの保育園へどうぞとの入園案内の通知が親御さんの元にくるようになっているとか。至れり尽くせりの血の通ったシステムなのです。また、15歳以上の国民全員が電子認証・署名の機能を持つ電子IDカード(eID card)を所有するようになっています(上写真。出典:総務省)。これは、公共サービスを使用するために必要な個人証明として使用され、モバイル版も存在しています。民間を含む電子サービスでの電子認証・電子署名としても使用され、非居住者向けにもe-Residency Card(一部制限あり)が発行されているそうで、あなたも申請すれば持つことができるかも。
さて、エストニアにおける調査では、訪問先のどの機関においても、エストニアがサイバー先進国となるきっかけとなった、2007年に起こった(ロシアによるとされている)大規模なサイバー攻撃のことが話題になりました。すなわち、2007年、タリン市の国立図書館前にあった戦没ソ連兵慰霊碑を郊外の軍人墓地に移転したことを巡り、ロシア語系住民の抗議活動が暴動・略奪に発展。治安部隊の介入により1名が死亡、約170名が負傷、1000名以上が逮捕。ロシアがエストニア政府の対応を批判する中、エストニア政府及び民間企業のウェブサイトがロシアからと思われる大規模サイバー攻撃(DDoS攻撃)を受け、一時的に機能不全に陥ってしまったのです。これを機に、エストニア政府はサイバー対策に本腰を入れるようになり、Tal Techによるサイバーセキュリティの修士コースの設置(2008年)、CCDCOEの誘致(2008年)、サイバー防衛関係の国際学会CyConの開催(2009年。以降、CCDCOEが毎年主催)、RIAの設立(2011年)に繋がっています。このため、事件の発端となった戦没ソ連兵慰霊碑を是非訪れてみたいと願い、CCDCOEの近くにくだんの軍人墓地があると知って、同センターを訪問した際の帰路、タクシーでホテルに戻る途中に、わざわざそこに寄って貰い、写真を撮ることが出来ました(左写真)。
ところで、今回の調査ミッションの日程が、たまたま一年で昼の長さが一番長い夏至(6月23日)の時期と重なってしまいました。タリンヘは、フライトの都合で、直前の調査国であるハンガリーの首都ブダペストから、まずヘルシンキに向かって飛び、そこで一泊し、その翌日タリン行きのフェリーに乗るというスケジュール。ところが、ブダペストからヘルシンキへの移動日に、ホテルに到着したのが真夜中に近いというのに、日没直後の残光が明るく、昼間と間違うほどでした。白夜なのです。(写真:運転席上のデジタル時計の時刻参照)
落語家の柳家権太楼師匠が「白夜」を見たくて、わざわざアイスランドのレイキャビクに訪れたところ、単なる真っ昼間に過ぎないことが分かってがっかりしたとの逸話があります。「白夜」→「北欧」→「オーロラ」→「美しい」との連想から、「白夜」にきっとロマンチックな光景を期待したのでしょうね。
甲斐 晶 (エッセイスト)
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