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ウィーンの水道水

 海外ではたとえ水道水であろうと生水は飲むべからずとのアドバイスが旅行ガイドブックに良く出て来ます。でもウィーンの水道水ならご安心下さい。遙かかなたのオーストリア・アルプスの水源地から引いてきた天然のミネラル・ウォーターで、その美味しさには定評があります。鯖田豊之氏の書かれた「都市はいかにつくられたか」(朝日新聞社、1988年)にウィーンの水道整備の事情が詳しく述べられています。

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 ウィーンで上水道が整備され始めたのは、1841年の皇帝フエルディナンド水道でした。これはドナウ運河の伏流水を蒸気機関でくみあげて集水池に集め、これを再度蒸気機関によって高台の配水池に圧力送水。配水池からは自然流下でしたが、ウィーンにとって初の水圧のある水道の誕生で、一部では各戸給水も行われました。

 しかし、伏流水を濾過せずに配水したことや集水池が完全には被覆されていなかったことから、水道の拡張とともにコレラや腸チフスの流行が却ってひどくなり、早くも1861年には別の水源を求める声が出始めました。そこで注目されたのが、ウィーンの南西約100kmにあるオーストリア・アルプスでした。

Kaiserbrunn2697462ラックスとシユネーベルグにはさまれたシュヴァルツァ渓谷のカイザーブルン(「皇帝の泉」の意)一帯は良質な泉水がたっぷり湧き出している上にあたりは皇帝領でしたので、フランツ・ヨーゼフ一世が無償供与を申し出たのです。

 これが現在でも利用されているウィーンの第一高地泉水水道で、1869年から工事が開始されました。水源地とウィーンの標高差280mを利用した自然流下による導水でしたが、途中、丘あり谷ありの地形が介在するため、岩をトンネルで穿つとともに、連通管の原理によるサイフォン橋や水道橋などの工夫によって高さ2m、幅1.6mの石造導管が延々とウィーンまで敷設されたのです(総延長120km)。18931024日、シュヴァルツェン広場の噴水とともにフランツ・ヨーゼフ一世によって開通式が行われ、第一高地泉水水道の供用が開始。ウィーンの各戸給水が普及し、水系伝染病の流行は治まりました。今でも水源地のカイザーブルンとシュヴァルツェン広場の噴水には立派な記念碑が存在しています。Hochstrahlbrunnen
 しかし、ウィーン市街の拡大に伴い、第一高地泉水水道だけでは市の水需要を全て満たすことは出来なくなります。新たな水源探しに迫られた当局はラックス、シュネーベルグの西方50kmの地点において、同様に良質で豊富な泉水の存在を突きとめました。これが第二高地泉水水道計画です。第一高地泉水水道が水源地から東に向かうのに対し、第二高地泉水水道はまず西に迂回してから北東方向へ向かう、延々200km近い水道工事が1900年から1910年にかけて進められました。水源地とウィーンの標高差は361mで、第一高地泉水水道と同様にトンネル、サイフォン橋、水道橋が敷設されましたが、全部が石造導管ではなく、一部にコンクリート管が使用されています。

Aquaedukt_moedlingウィーンは通常これら二つの泉水水道で水需要を賄って来ていますが、これほど遠距離の導水はヨーロッパでも余り見られません。また、普通は泉水、地下水に多い鉄、マンガン、石灰分もさほどではなく、第二次大戦に敗れるまではずっと塩素消毒なしで、ウィーンの水道水はどこよりも美味しいとの評判を得ていました。

しかし、第二次大戦後にウィーンを占領した連合国軍、とりわけアメリカ軍の強い要求で折角の泉水水道を塩素消毒せざるを得なくなりました。同様な立場に置かれたミュンヘンが独立回復後は塩素消毒を廃止したのに対して、ウィーンは今なお塩素消毒続行中です。このあたり、一度決めるとなかなか方向転換し難いウィーン気質の表れなのでしょうか。ただ、注入量はごくわずかなので塩素が気になることは余りありません。むしろ、折角のアルプスの雪解け水がIAEAの建物内ではなんとなく青臭い味がするのは、残念至極です。水源が別であるとの話も聞きませんので、給配水設備に問題があるのでしょうか。

 

 

 

甲斐 晶(エッセイスト)

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