セレンディピティ
セレンディピティ(serendipity)という言葉をご存じでしょうか?権威あるオックスフォード辞書のネット版では、”the occurrence and development of events by chance in a happy or beneficial way”(偶然、好都合に物事が起こったり、展開したりすること)とありますし、American Heritage Dictionaryでは、①the faculty of making fortunate discoveries by accident(偶然、幸運な発見をする能力)、②the fact or occurrence of such discoveries(そうした発見をすること)、③an instance of making such a discovery(そうした発見の事例)としています。
セレンディピティの語源について、後者は、英国人作家ホーレス・ウォルポールによる造語であるとし、1754年1月28日付けのその書簡の中で、「この発見は、正に私がSerendipityと称している大変表現力に満ちた言葉に近い」と語っているとしています。ウォルポールはこの言葉をスリ・ランカの古名Serendip(ペルシャ語起源)から作っていて、次のような説明をしています。
「これは『Serendipの3王子』という馬鹿げたおとぎ話の題名の一部で、王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、その聡明さによって、本来探していなかったことを発見するのです。」
平たく言えば、予想もしていないものを偶然発見する能力とでもなりましょうか。「偶然」に力点を置くと、単なる「ツキ」に過ぎませんが、「能力」に力点を置くと、普通の人が気付かないことに気付く「洞察力」ということになりましょう。
科学の分野でセレンディピティの例としてしばしば引用されるのが、元来意図していなかった結果が大発見に繋がった事例であって、思いがけない実験結果に遭遇した際に、これを大発見に繋げる能力が備わっているかどうかということです。
一例を挙げると、A・フレミングによるペニシリンの発見です。彼は培養実験を行っていた際に、黄色ブドウ球菌の培地にアオカビが混入しているのに気付き、細菌のコロニーがカビの周囲だけ透明で死滅していることを見つけ出したのです。これがのちに世界中の人々を感染症から救う抗生物質の発見のきっかけになったのです。
セレンディピティゆえの発見は日本人にも見られます。高分子質量分析法の発見によってノーベル賞を受賞した田中耕一さんの場合です。
タンパク質を質量分析するには、タンパク質を気化させて、イオン化する必要があります。しかし、気化させるには高エネルギーが必要ですが、高エネルギーをかけるとタンパク質は気化せずに壊れてしまいます。これを解決したのが、田中さんの偶然の発見、セレンディピティでした。実験中に、別々の実験で使うつもりだったグリセリンとコバルトの微粉末を混ぜるという失敗をしてしまいましたが、田中さんは「捨てるのはもったいない」と考えて、分析してみると、なんと溶液中の高分子がそのままイオンの状態になったのです。
残念ながら科学分野での高尚なセレンディピティの能力を筆者は持ち合わせていません。しかし、一部の英語の辞典では、「思いがけないところで、思いがけない人に出会うこと」もセレンディピティのなせるわざとしていますが、これまで、そうした思いがけない体験を何度かして来ています。
○婚約時代に「屋根の上のバイオリン弾き」の映画を見に行ったところ、私の前の席に座ったのが何と森光子と浅丘ルリ子でした。
○数年前、チェコに出張した帰りの機内で隣の席に座っていたのが、20数年来お目にかかっていなかった、かつての仕事のカウンターパート、I氏。多数の便があり、多数の座席があるなかで、隣り同士となる確率は如何ばかりでしょうか。
○かつて出向先で一緒に仕事をした別の組織の職員H氏が現役を引退して関西へ移動。音信不通でしたが、ある晩、別用で出かけた目黒駅前の街頭でばったりと再会。何という奇跡でしょう。
○最後は、ごく最近のことですが、ある日、ある時、官庁街の通りすがりに、かの田中耕一さんに出会いました。声を交わすこともなく、ただ目と目が合ったそれだけだったのですが、セレンディピティを感じている今日この頃なのです。
甲斐 晶 (エッセイスト)
| 固定リンク
コメント