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アイゼナハ

Imagedisplay 今からかれこれ20年ほど前、ウィーンに勤務していた頃のことです。イースターの休暇を利用して、当時はまだ東独に属していたアイゼナハ(アイゼナハ)を車で家族ともども訪れたことがあります。歴史上重要な出来事の舞台となり、また、複数の音楽家にゆかりの場所でもあったこの地に機会があれば行ってみたいと常々願っていました。(画像:http://jp.hotels.com/ho127276/shutaigenberuga-hoteru-turinga-hofu-aizenaha-doitsu/#maps

 ウィーンから陸路東独に入るには、西独経由かチェコ・スロバキLrg_13677500 ア経由のいずれかによりますが、当時の国境検問の厳しさから、前者を選びました。ウィーンからまず北西に進み、パッサウから西独のバイエルン州に入って、共産圏との国境線を迂回しつつヘッセン州内の森に囲まれた自動車道を進み、アイゼナハと国境を接する西独の小さな町で宿を取りました。背後にテューリンゲンの森が広がる田舎町です。りんごジュースの炭酸水割りをウィーンではApfelsaft gespritztと言うのですがhttp://servus.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-db5e.html、さすがにここまで来ると全く通じませんでした。(画像:http://4travel.jp/overseas/area/europe/germany/eisenach/travelogue/10232656/

Lrg_13677570 翌朝、国境を越えてアイゼナハへ。まず目指したのは音楽の父、J・Sバッハの記念館でした。彼は1685年にこの地で生まれ、少年期を15歳まで過ごしたのです。ここは彼の生家ではありませんがバッハ一族の住まいとされ、彼の生涯や作品に関する展示、当時の生活の様子を偲ばせる様々な家財道具とともに古楽器の見事なコレクションがありました。別室で古楽器によるミニ・コンサートが始まるから是非聴いて行くようにと強く勧められたのですが、子供連れだったこともあって断念してしまったのが今となっては悔やまれます。(画像:同上)

Lrg_15615101 次に目指したのは、郊外の小高い丘の上にあるヴァルトブルグ城。1999年に世界遺産への登録を果たしたことからも分かるように、大変由緒あるお城でその歴史は1067年にまで遡ります。テューリンゲン伯であったルードヴィヒ跳躍伯が山頂を見て、「待て(wart)汝我が城(burg)となれ」と言って築城を命じたのがその由来とされ、以来、200年以上にも渡ってその一族が神聖ローマ帝国内で最も影響力のある方伯(Landgraf)の一人としてこの地を治めたのです。(画像:http://4travel.jp/overseas/area/europe/germany/eisenach/travelogue/10318978/

Lrg_13677520 お城の入り口でオーディオ・ガイドを借りましたが、何と日本語。共産圏の片田舎のお城で何故と思わされましたが、ワグネリアンにとってここはバイロイトと並ぶ「聖地」なので日本からの観光客が多いからなのでしょう。実は13世紀初頭ヘルマン1世の治世にこの城の「歌人の間」でミンネジンガー(吟遊詩人)による歌合戦が行われたとされ、これを題材にワーグナーが楽劇「タンホイザー」を作っているのです。(画像:http://4travel.jp/overseas/area/europe/germany/eisenach/travelogue/10232656/

Rosenwunderaf597 タンホイザーには、彼を純愛するヘルマン1世の姪エリザベートが登場しますが、そのモチーフになったと思われるのは、4歳でこの地に連れて来られ1221年にルートヴィヒ4世と結婚したハンガリー王女エリザベ-トです。彼女は、結婚して間もなく貧しい人や病人を助け始めましたが、夫が十字軍従軍中に病死すると城から追われます。結局マールブルグに移り住み、そこで財産を寄進して病院を建て、貧しい人や病人に尽くしましたが、弱冠24歳で夭折。その墓で多くの奇跡が起こったことから聖人に叙せられました。城内には、彼女の生涯をフレスコ画に描いた部屋があります。(画像:http://tommy-music.blog.so-net.ne.jp/2012-04-02

Lrg_17460812 このお城を訪ねた最大の目的は宗教改革者ルターにゆかりの部屋を見ることでした。1521年5月、異端宣告された彼をこの城に匿ったのはザクセン選帝候フリードリッヒ3世で、この間にルターは聖書をドイツ語に翻訳したのです。板張りのとても粗末な部屋で陶器製の暖炉があり、木の机と椅子だけが置かれ、中央に初のドイツ語訳聖書がガラスケース入りで展示されていました。翻訳中に現れた悪魔に投げつけたインク瓶が割れて出来たという壁の染みが今でも残っています。観光客が記念に板壁を削って持ち帰るのでしょう。ガラスで全面が保護されていたのがとても印象的でした。(画像:http://4travel.jp/overseas/area/europe/germany/eisenach/travelogue/10394858/

アイゼナハと聞いて、オッフェンバッハのホフマン物語を思い浮かべた方は、余程のオペラ通です。冒頭、彼が登場して最初に唱う軽妙なバラードが「昔、アイゼナハの宮廷に」なのです。

甲斐晶(エッセイスト)

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