ヴィッレンドルフのヴィーナス
ユネスコの世界文化遺産に登録されたオーストリアの名所旧跡のひとつにヴァッハウ渓谷があります。バロック様式の修道院で有名なメルクから下流のクレムスまでの約30kmにわたるドナウ河両岸の一帯で、大変風光明媚な地域です。その南斜面にはぶどう畑が広がり、穏やかな気候と軽土壌がブドウやその他の果実の生産に理想的な条件を作りだしており、オーストリア有数のワインや果実酒(シュナップス)の産地となっています。
春先には、河畔の並木に桜の花に似た美しい杏の花が咲き乱れるので、ウィーン在任中には、「お花見」に良く出かけたものです。最近、日本からウィーンに戻ったオーストリアの友人からも、春を迎えて日本の桜が恋しくなり、ヴァッハウまで杏の花を見に行ったと聞いて、同様の感じを抱くのは日本人だけではないなと思ったりしました。
そんなヴァッハウ渓谷にある小さな村、ヴィッレンドルフにおいて、20世紀の初頭に考古学上重要な発見がなされたのです。
既に19世紀後半には、この村の名は、考古学的遺物の名品が出土することで個人蒐集家の間において知られるようになっていました。そして1908年のことです。ドナウ河北岸に沿ってヴァッハウ渓谷のクレムス-グライン間に鉄道の建設が進められました。これに伴って、発掘現場での掘削が行われ、「ヴィッレンドルフのヴィーナス」の発見となったのです。それは、石灰石に彫られた大きさが11cmほどの女性の裸像で、現在では、ウィーンの自然史博物館に展示されています。最近のカーボン14による年代測定では、紀元前2万5千年前後のものと推定されています。
「ヴィーナス」という名称からは、美しい均整のとれた女性の姿を想像し勝ちですが、実際にはその名とはほど遠い、ふくよか過ぎるほどの女性の姿なのです。しかし、その古い推定年代と女性の身体的特徴を強調した形状から有史以前の美術品の象徴となり、旧石器時代を代表するものとして、芸術史の入門書に登場するようになりました。
ご覧になれば分かるように、まず、大きくせり出した腹部と著しく豊満な胸に目が止まります。胴回りには、たっぷり脂肪が付き、見事に発達した腰と巨大ながらも平坦な臀部へとつながっています。立派に太い大腿部の先には、申し訳程度の下腿部と足の部分が省略気味に表現されています。
一方、両方の前腕と手も極端に細く、大きな胸の上部にそっと置かれています。お臍まで達するかに見えるその豊満な乳房には、張りがあり、決して垂れたような感じはありません。要するに超肥満な中年女性のような裸像なのです。
その頭部は、編んだような髪が頭頂から始まってぐるりと7重に巻かれ、本来顔である部分の半分以上が覆われている結果、顔自体は省略された形になっています。
さて、この「ヴィーナス」像は、どのような目的で作られたのでしょうか。色々な説がありますが、手足や顔が省略され、豊満な女性的な部分のみが誇張されていることから、子孫繁栄、豊饒のシンボルとして使用されたのではとか、単に石器時代の子供の玩具用人形だとか考えられています。
インターネットを検索すると、この像をモチーフにしたブローチやオーナメントなど各種グッズが売り出されているのにはびっくりですが、この像の持つ神秘性を利用して、これを所有すると癒しの効果があるとか、幸運になるとかの謳い文句が並んでいるのにはいささか苦笑させられます。
傑作は、この像を型取った石鹸で、使っているうちに細身のヴィーナスに変わることから、使用前・使用後の両方の写真を掲げて、ダイエットの補助用品としているのは、アイデア商品でしょう。
ある春の日、杏の花を愛でがてらヴィッレンドルフ村に出かけ、発見場所の巨大な「ヴィーナス」の記念碑の前で写真を撮っていると、妙齢のオーストリア女性が通りかかりました。眼前の像に勝るとも劣らない彼女の体型に、時代を超えて不変なものもあるのだなとの感を強めたものです。
甲斐 晶(エッセイスト)
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