« ノイジードラー湖 | トップページ | 最後の晩餐 »

日本の心を伝える

10060004741_s_2 グレッグ・アーウィンという米国人歌手をご存じでしょうか。彼は、日本の唱歌や童謡の魅力に惹かれ、これらに描かれている日本の心を世界に伝えたいと願い、日本語の原詞を英訳するとともにこれらを自ら歌ったCDを出すばかりか、色々な機会に演奏を行って数々の賞を受けています。

これまでに2冊のCD本「英語で歌う日本のうた」がジャパン・タイムズ社から出され、「さくらさくら」、「花」、「早春賦」、「仰げば尊し」、「竹田の子守歌」「椰子の実」、「かあさんの歌」など全部で16曲を収録しています。本の体裁は、まず、それぞれの歌にふさわしい大変美しい写真が見開きで掲載され、次いで左の頁に原詞、右の頁に英訳の歌詞が載っています。さらに巻末には、それぞれの歌についての解説があって、日本独特の風物、風俗、習慣、考え方、自然観などの紹介や訳出に苦労した点の披露がなされています。それぞれの曲は、軽快なアップビートのポップ調に編曲されていて、楽しいものに仕上がっています。9784270002018_1l_2

そもそも翻訳とは、単なる言語の置き換えで済むものではなく、文化・習慣の相違の翻案も必要です。加えて、英語の歌詞の場合には、歌い易さや韻にも配慮しなければなりません。

英語に訳された歌詞を見ていると、その辺の苦労が伝わって参ります。日本語の歌詞では、一音符一音節ですが、英語では、一音符に一単語を充てることが可能です。したがって、英語では、同一数の音節に対して日本語の原詞よりも長い文章にする必要が出てきます。ですから、原詞にない内容を補充して訳出しています。「花」の英訳では、原詞に無い恋人たちが隅田川の川岸に現れます。Akatonbo_03_ll_2

また、日本語には単数、複数の概念がありません。ところが英語では、これを明確にしなくてはなりません。「赤とんぼ」の日本語の歌詞のイメージでは、竿の先に止まっていることから、一匹の赤とんぼと思われるのですが、これが英訳では複数。とても一つの竿の先には、止まれません。したがって、この部分は訳出されていません。

Gentaikenkoramu42nanatunoko1_2 同様の問題が、「7つの子」の解釈です。お母さんカラスが鳴くのは、山の古巣に可愛い眼の7つの子がいるからという趣旨の歌詞なのですが、これを英訳では、「子ガラスが7羽」としています。果たしてそうでしょうか。これは、「7歳の子」ガラスと言う意味ではないでしょうか。日本語では、カラスは7つではなく、7羽と勘定するのです。ただし、人間ならまだしも、7歳になっても親から自立しない子ガラスでは、困りものです。きっと原詞に無理があるのでしょう。なお、原詞で、可愛いと鳴くのは、お母さんカラスですが、英訳では子ガラスに「Caw」と鳴かせています。

P1000846_2 日本語の歌詞を直訳するととんでもない内容になる歌もあります。「夏の思い出」で、尾瀬の水芭蕉を歌っていますが、この植物の英名は、何と「スカンク・キャベツ」。これが臭ってくるのでは、歌のイメージは台無しで、コメディ・ソングです。

ともあれ、いずれも良くできた英訳で、特に、「故郷」は、秀逸で、読んでいてじんと来ます。Furusatonousagi

Back in the mountains I knew as a child

Fish filled the rivers and rabbits ran wild

Memories, I carry these

Wherever I may roam

I hear it calling me, my country home

Mother and Father, how I miss you now

How are my friends

I lost touch with somehow?

When the rain falls or the wind blows

I feel so alone

I hear it calling me, my country home

I’ve got this dream and it keeps me awayWyominggrandtetonnationalpark_2

When it comes true

I’m going back there someday

Crystal

waters, mighty mountains

Blue as emerald stone

I hear it calling me, my country home

ただし、訳詞のイメージは日本のような山紫水明、箱庭のような景色ではなく、ロッキーの雄大な山並みを想像してしまうのではないでしょうか。

甲斐 晶(エッセイスト)

|

« ノイジードラー湖 | トップページ | 最後の晩餐 »

ことば」カテゴリの記事

コメント

Greg Irwinさんの英訳はあくまでも英語としてとらえたほうがよいと思います。原詞から意味が離れすぎていることが多いからです。したがってわたしは彼に「日本の心」と言われると大いに違和感をもちます。上の「故郷」の英訳はまだいいほうだと思いますが、瀧廉太郎の「花」の英訳などこちらが恥ずかしくて見ていられません。

投稿: passer-by | 2014年10月 2日 (木) 18時20分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ノイジードラー湖 | トップページ | 最後の晩餐 »