最後の晩餐
イエス・キリストが十字架に架かる前の晩に行った弟子たちとの「最後の晩餐」のシーンは、古今の多くの画家によって取り上げられて来たモチーフですが、中でも傑作として有名なのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品でしょう。
ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィェ修道院の食堂の壁に描かれたこの名画を初めて見たのは、今から約30年前のことでした。家族でローマ、ピサ、フィレンツェ、ヴェニスと飛行機で回った時に、ミラノで乗り換え時間が3時間ほど出来ました。急いで空港から市内まで往復して見てきましたが、当時、大修復作業の真っ最中で、絵の一部に布や櫓が掛けられていて全体を見ることができませんでした。ところが数年前、修復後の甦った名画を見る機会に恵まれました。
ダ・ヴィンチは、時間を掛けてじっくり描くために伝統的なフレスコ画の手法(漆喰の乾かないうちに手短に描く必要がある)を捨てて、テンペラ画の手法をとりました。そのため、絵の完成した1498年の20年後には既に湿気、カビなどが原因で絵が傷み始めていたとの記録が残っています。
その後さらに痛みが進み、この名画を保存しようとこれまでに何度と無く修復の手が加えられました。原画を油絵と勘違いして保存のために油絵の具やニスが上塗りされたり、原画を再現しようと油絵の具で破損部分が加筆されたりしました。
1979年から20年を掛けて行われた一番最近の修復作業では、顕微鏡、赤外線写真、レーダー、ソナーなどの現代技術を駆使することによって、ダ・ヴィンチの原画の絵の具の成分分析ができ、上塗りされた絵の具との区別が可能となりました。上塗りされた絵の具が剥げ落ちる際に、原画の絵の具も一緒に剥離させることも分かりました。
そこで、今回の修復では、カビや埃だけでなく、上塗りされた絵の具も顕微鏡的な細心の注意を払いつつ除去する作業が続きました。1日わずか切手の大きさしか修復出来ないことがしばしばだったそうです。従来あった原画の部分を当初の色に加筆する一方、劣化して空白になった部分には、あえて手を加えなかったため、今回の修復後の絵は、完全な原画の再現ではなく、痛んだ部分はそのままに仕上がりました。しかしながら、原画の持つ迫力が見事に再現されています。
まず気づくのは、12弟子がキリストを中心に3人ずつ4つのグループに配されていることです。しかも従来の古典画家の手法のように、テーブルの周りを囲んで配する(こうするとどうしても後ろ姿の弟子が出てきます)のではなく、個々の弟子の表情や仕草が生き生きと描けるようにと、テーブルの片側に全員を配しています。
その結果、「あなた方の内の一人が私を裏切る」とのイエスの宣告に、一体自分たちの内の誰なのだろうと、水面を行く波紋のように弟子たちの間に伝搬する驚きの様子が見事に描き出されていて、見るものを大いに魅了します。
どれが誰かを想像するのも興味深く、イエスの傍にいたとされるヨハネ、彼に「誰なのかイエスに聴け。」と迫る年輩者ペテロの両人は直ぐに判ります。ユダは、この3人の近くにいて、イエスの言葉にぎくりとした様子が描かれています。心なしか貧相な面容なのは、私の思い入れでしょうか。
ダ・ヴィンチは、他の弟子たちも見て直ぐ判るように描いたとしているのですが、残念ながら、誰が誰やら見分けがつきません。展示室の外にある売店で解説書を見てようやく判断できました。
この絵は、キリストのこめかみを消失点とする透視法で描かれており、あたかも壁画の描かれた食堂の奥に更に空間が広がっているような見事な錯覚を与えています。
さて、最後に鑑賞上のアドバイスです。この名作を見るには、予約が必要です。見学者は、25人ずつ食堂に入場させられ、15分間の鑑賞が許されます。多くの人は、貸し出し用の音声ガイドを耳にしていますが、そうしたサービスを知らないで入場した私の場合、5分も経てばもう十分で、時間を持てあまし気味でした。ですから、くれぐれも入り口で、音声ガイドの借用をお忘れ無く。
甲斐 晶(エッセイスト)
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