シェーンブルン動物園の人気者
ユネスコの世界文化遺産にも指定されている シェーンブルン宮殿は、ウィーンに行かれた方ならきっと訪れたことがおありでしょう。ハプスブルク家の夏の離宮として、ヴェルサイユを模して造られたこの宮殿に入った見学者は、マリア・テレジアとその子供達が暮らした部屋、東洋趣味の漆の間や陶器の間、モーツァルトが御前演奏をした部屋、ウィーンを占領したナポレオンゆかりの部屋、皇帝フランツ=ヨーゼフや皇妃エリザベートが生活した部屋、華やかな舞踏会などが開かれた大広間<鏡の間>、ハプスブルグ朝最後の皇帝カール1世が退位宣言に署名した部屋などを見て回ります。現在、1441室のうち約40室が一般に公開されていますが、残りは、公務員宿舎などとして今でも使われているとか。私の知人にも何人かがこの宮殿の一角を借りて住んだことがあります。
同宮殿の庭は、公園として一般市民に開放されており、また、その一部には、馬車博物館、温室植物園、日本庭園などが設けられているほか、動物園もあって、市民の人気を集めています。
このシェーンブルン動物園は、世界最初の動物園として歴史が古く、女帝マリア・テレジアの夫君がオランダ人宮廷造園師フォン・シュテックホーフェンらに命じて造らせ、1752年7月31日に完成し、昨年、開園250周年を迎えたばかりです。
ウィーンに住んでいた頃、戸外に出ることが制限されがちな長い冬には、我が家でも子供たちの溜まったエネルギーの発散にと、しばしば訪ねてみました。こんな極寒の地に良くもまあ熱帯の動物たちを集めたものと、象やキリンやカバに同情して見たり、鷲などの猛禽類に生きたウサギを餌として与えている発想の凄さ(日本でなら、情操教育上悪影響があると非難ごうごうのことでしょう)に驚いたり、防寒のため密閉空間で飼育されていることから猛烈な動物たちの排泄物などの臭いに閉口したことなどが思い起こされます。
この動物園には、その長い歴史の中で、色々な珍しい動物たちがやって来ました。1828年には、キリンが初めてウィーンにお目見えし、この出来事が当時のウィーンのファッションや社会に大きな影響を与えたと言います。すなわち、多くの衣料品や宝飾品などの日用品に「ア・ラ・ジラーフ(キリン風)」 の名称が付けられ、大衆に大受けだったようです。「何でもキリン風」と題する演劇まで大成功だったとか。
つい最近まで人気の中心は、オランウータンのNonjaでした。1976年ウィーン生まれの雌で、飼育係に育てられたせいか、人間を余り怖がりません。その特技は、何とお絵描き。彼女の集中力は、当初8分程度だったのが今や20~60分にも増大。具象画ではなく、筆に絵の具を付け、画面をピチャピチャやって描く抽象画しか出来ませんが、そのなかなかの色遣いに感心させられます。数年前にロスアンジェルスのホテルで彼女の作品のオークションが行われたりしました。20万円もの高値が付くものもあるようです。売却利益は、オランウータンの保護に用いられています。
さて、現在、シェーンブルン動物園の人気をさらっているのは、2003年3月にお目見えした2頭のパンダ、雌の「ヤンヤン」と雄の「ロンフイ」です。公開直後の日曜日には、2万5千人もの入場者が押しかけるほどでした。
パンダは、中国国内にももはや1000頭ほどしか生息していない希少動物のため、最近中国は以前のように親善友好の印にパンダを相手国に贈与することは、中止しています。シェーンブルンの2頭も学術研究用に10年間の期限付きで貸与されたもので、ねらいは貸与期間中に繁殖研究を成功させ、2世の誕生を図ることにあるようです。
さて、ちゃんとした中国名のあるこの2頭に、地元のラジオ局がウィーンらしい愛称を募集しました。その結果、6595通の応募の中から選ばれたのが、「シッシィ」と「フランツル」。ご存知のように、これは、悲劇の皇妃エリザベートとその夫君皇帝フランツ=ヨーゼフの愛称なのですが、ご両人の夫婦関係が冷たいものだったことを思うと、2世パンダ誕生計画の方は大丈夫かと危ぶまれましたが、2007年8月に富龍(フーロン)が無事誕生しました。
甲斐 晶(エッセイスト)
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