ウィーンの市電
ウィーンを象徴するものは、シュテファン寺院を始めとして、数多くありますが、ウィーンの市電もそのひとつでしょう。NHKの名曲アルバムのシーンなどで、二頭立ての観光馬車フィアカー同様、良く出て来る被写体です。
その車体は、赤と白のツートーンカラーで、ウィーン市の市旗と同じ配色です。(ちなみにオーストリア国旗の色は、上から順に赤白赤となっています。これは十字軍遠征でオーストリア大公レオポルトⅤ世がアッコンの戦いで奮戦し、甲冑の上に着用していた白い衣服が血染めになり、ベルトのところだけ白く残ったのをモチーフにしたものだという説があります。)
市電に限らず、ウィーン市の公共交通機関は全て改札が無く、省力化が図られています。各駅の改札口に改札要員を配したり、自動改札機を設置したりするよりも、検札で無法者を取り締まることにより、無賃乗車を抑制したほうが、安上がりで合理的だとの計算のようです。その背景には、大多数は正直者であり、システムを悪用する輩は少ないとの性善説に立っているのでしょう。(このオーナー(名誉:honor)システムによる省力化は、オーストリアの随所に見かけられます。短時間に限って駐車が許される市内の指定区域(Kurzparkzone)では、利用者がタバコ屋などで指定の駐車チケットを購入し、そこに駐車開始日時を自ら記入し、車外から見易い所に掲示しておくシステムです。許容時間を過ぎても駐車しているのが見つかれば、罰金というわけで、パーキングメータを設置する費用が節約できるのです。その場合、運転手達が正直に駐車開始時刻を記入するとの前提に立っており、許容時間を超えて駐車できるようサバを読んで時刻を先付けしたりする事は無いという建前なのでしょう。)
地下鉄や近郊電車の駅では、ホームへの入り口に出入り自由のゲートがあり、そこに刻印機があって、乗客が切符を差し込むと、駅の略号と入場時刻が印刷される仕組みです(バスや市電の場合には、車内の柱に設けられた刻印機を利用します)。一定時間内であれば、一方向どこまで行こうが、また、市電、市バス、地下鉄、近郊電車に何度乗換えても構いません。
改札が無い代わりに厳しい検札が行われ、違反者には高額な罰金が課せられます。知らなかった、買い忘れたなどの言い訳は一切通用しません。ドイツ語が分からない振りをしても駄目で、車内には、独・英・仏語で「無賃乗車には、罰金をもって処する」旨、表示されています。
ある日の朝のこと、私の娘が登校に際し、定期券を家に置き忘れたところ、運悪く検札に引っかかってしまいました。友人がしきりに事情を説明して、助け舟を出してくれたのですが駄目で、止む無く大枚を支払う羽目になったことがありました。
ただし、刻印を忘れた場合には、大目に見てくれるようで、有効な乗車券を所持していれば、見逃してくれるそうです。また、土・日曜日や夜間は検札も手薄です。こうしたことを悪用して、無賃乗車で捕まる確率と罰金額の積(言わば罰金の期待値)を計算し、これが一回ごとの乗車料金を下回ることから、只乗りするのが最も経済的と豪語する輩が居りましたが、これは如何なものかと思われます。
市電に限らず、市バス、地下鉄などウィーンの公共交通機関の車内アナウンスは、どういうわけか、全ての路線で10年1日の如く、同じ男性の声です。あまり抑揚の無い、感情を抑えたトーンで、次の駅の名前や乗換え案内を実に淡々と流します。長い旅行から戻って、久しぶりに市電などに乗り、あのアナウンスに接すると、「いやあ、ウィーンに帰ってきたなあ。」とほっとするウィーン在住の日本人も少なくないようです。ただ、聞き慣れると懐かしいこのアナウンスも、ウィーンに赴任した早々はちっとも聞き取れず、どこで降りたら良いのか不安になった経験があるのは、私だけでしょうか。
甲斐 晶(エッセイスト)
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