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チェコ再訪

 2002年の夏、天皇皇后両陛下が中東欧をご訪問されましたが、お出かけになられたプラハ、ワルシャワ、ウィーン、ブタペストは、いずれも筆者が実際に住んだり、訪れたりしたことのある場所でしたから、個人的にも大いに関心がありました。

Ambf101b 初めてプラハを訪れたのは、今から20ほど前の夏休み、まだ共産政権下の時代で、家族で出かけました。国営旅行社のチェドックを通じて宿の手配をしたところ、「プラハの春」の際に反体制派の民衆が集まったことで有名な、街の中心部ヴァーツラフ広場(ご訪問に際し、両陛下が献花を行なわれました)にあるアンバサダーホテルを割り当てられました。値段は超一流でしたが、共産圏の常で、朝食などのメニューは貧しく、コーヒーも色の付いたお湯と言ったところで、とても飲めた代物ではありませんでした。

Dscf1119_m しかし、2001年の晩秋、自由化後初めて、チェコを再訪しましたが、同ホテルは見違える程の変りよう。値段の高いのは、相変わらずですが、英語もしっかり通じますし、サービスも格段と良くなっていました。部屋のバスには、ジャグジーまで備わっています。ヴァーツラフ広場の周りも、以前は殺風景だったのが、洒落た感じのお店が並ぶようになり、マクドナルドまでありました。

Karlovy20vary 日程が週末にかかっていたので、これを利用してチェコの有名な温泉保養地のひとつ、カルロヴィ・ヴァリ(ドイツ語名カールスバード)を訪れてみました。プラハから北西120kmほど離れたドイツ国境に近いボヘミア地方にあります。日本では入浴が主体であるのに対して、ヨーロッパでは温泉に行く目的は、もっぱら飲泉、すなわち温泉水を飲んで胃腸病などを治療することにあります。

Odbget カルロヴィ・ヴァリは、こうした飲泉保養地として、ヨーロッパにおいて中世から良く知られた有数の温泉地です。その存在を個人的に知ったのは、2001年9月のことでした。遅い夏休みでしたが、家内のひざの状態が思わしくないので、湯治を兼ねて草津まで出かけた時のこと。Pop10_p温泉街に入る手前にある道の駅の一角が「ベルツ記念館」となっていて、これに立ち寄ったところ、ベルツに大変造詣の深い沖津館長が草津温泉とベルツ博士の関係、博士の功績など、実に詳しく熱弁を振るって説明して下さいました。

ベルツ博士は、明治時代、東京医学校(のちの東京大学医学部)の外国人教師として招かれ、日本医学の近代化に大きく貢献した人物で、日本人女性、花と結婚。彼女を記念した日本庭園が草津の姉妹都市であるカルロヴィ・ヴァリにあることを耳にして、大いに好奇心をそそられました。Balz02

 カルロヴィ・ヴァリへは、運転手つきのガイドを雇い、日帰りで出かけました。ガイドは日本文化への関心が高い初老の婦人。道中、ビロード革命のこと、ハベル大統領の人となり、モラビア対ボヘミアの民族・文化論、自由化の功罪など興味深い話を沢山してくれ、片道2時間弱をあっという間に過ごすことができました。

カルロヴィ・ヴァリは、谷合にあり、小川の両側に遊歩道が設けられ、瀟洒な宿やお店が並んでいます。どことなく日本の温泉街に似た雰囲気もありますが、洒落たコロナーダと呼ばれる泉源があちこちにあり、 Lrg_10403793扁平で吸い口の付いた独特の形状の陶製カップを手にしたお客が競い合うように温泉の湯(4472℃)を飲んでいる姿が違います私も試してみましたが、生理食塩水並みの薄い塩味で、そう沢山は飲めそうにありません。しかし、湯治客は、サナトリウムと呼ばれる宿に投宿し、数週間、毎日一定量の飲泉を処方され、運動のために小川の畔の散歩が義務づけられるそうです。

共産党時代には、ソ連が最上の建物を占有し、フルシチョフなど歴代の首相が好んで訪れていたのが、時代が変わって、今では、ロシアマフィアが進出。高級ホテルなどを買い占め、温泉地を闊歩している姿にガイドは、眉をひそめていました。Hana_stone_garden

ベルツ・花の石庭をガイドは知らなかったのですが、案内所で尋ねるとすぐ判りました。温泉街の外れ、リッチモンドホテルの入口で、ひっそり辺りの草木の中にすっかり溶け込んでいました。

甲斐 晶(エッセイスト)

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