アルカヌム
ヨーロッパには、マイセン(ドイツ)を始め、セーブル(フランス)、アウガルテン(オーストリア)、ヘレンド(ハンガリー)などの有名な窯が存在し、それぞれ見事な磁器を供給しています。このヨーロッパにおける磁器の開発の成功に錬金術師が関与していたこと、また、当時、東インド会社を通して到来する中国や日本の磁器は極めて貴重であり、その製造を独占すれば巨万の富を生むことになることからその製造方法が国家機密にされ、これをめぐって厳しい情報管理がなされる一方、その裏を掻くためのスパイ作戦や人材の引き抜き合戦などが行なわれていたことを、
J・グリーソン著「マイセン―秘法に憑かれた男たち」(南條竹則訳:集英社)で知りました。磁器造りの秘法を究め、マイセン窯の確立に貢献したザクセン王と3人の職人を巡る物語です。
18世紀のヨーロッパの人々にとって、製造方法の不明な東洋からの磁器はエキゾチックな素材であるばかりか、魔術的で護符的な意味を持つ物質、長命、生命力、不死の霊薬であったようです。特に、ザクセン王国アウグスト強王(在位1694~1733)の磁器への情熱は、美女への欲望にも劣らず旺盛で、宮殿を4万の磁器で埋めつくすとともに、プロイセン王所有の磁器を得たいばかりに、自分の竜騎兵の連隊600名と取り替えたほどでした。
彼の磁器への飽くなき欲望は、ついには、ベトガー(1682~1719)という錬金術師を幽閉して、磁器の製法の秘密を探らせるまでに至ります。
当初、ベトガーは、卑金属を黄金に変える魔法の物質、「賢者の石」を生む秘法(アルカヌム)を会得したとの触れ込みで、アウグスト強王の庇護を求めて来たのですが、いつまで経っても、金を多量に作り出すとの王との約束は反故にしたまま。まさに王の逆鱗に触れなんとした時に、仲介に立ったのが宮廷顧問官で科学者のチルンハウスでした。 彼は、錬金術同様の秘法、粘土を磁器に変える方法を追い求めており、ある程度の見当を得て(本物の磁器は、粘土とガラスを融合させて作ると確信して)いたのです。ベトガーの豊富な化学的知識や科学的才能を評価し、自分の研究の後継者として王に推奨。王はこれに同意し、金に勝るとも劣らない貴重品である磁器の開発をチルンハウスと共同で行なうようベトガーに命じ、その身柄をドレスデンの北西約25kmのマイセンに近いアルベルヒスブルグ城に幽閉します。
ところでチルンハウスの見当とは異なって、磁器の秘密は2つの主原料、カオリン及び長石を含む岩石を混ぜ、高温で焼成することにあります。長石に含まれる石英が熔けてガラス化し、粘土中の小孔にしみ込んで、その過程で磁器特有の非常に微細な構造に晶出するのです。
ベトガーはザクセン地方で産出する原料(カオリンと雪花石膏(アラバスター))を変えて何度も試験焼きを繰り返し、試行錯誤の末に、白い半透明の磁器の秘密に迫る発見をします。改良を重ね、ついに1709年3月28日、彼は「中国のものに勝るとも劣らない、上質の白磁」を製造できるようになったと報告。かくして1710年1月23日、アウグスト王は王立磁器工場の新設を布告したのです。
ベトガーの発明に加え、ヘロルト(1696~1775)、ケンドラー(1706~1775)という優れた絵付師や陶工職人が工房に入ったことによって、マイセン磁器の名声が確立。ザクセン王国の財政は大いに潤い、ドレスデンはエルベ河のフィレンツェと呼ばれるに相応しい芸術・文化の都として栄えます。
磁器製造の秘法(素材粘土の産地、調合法、焼成温度、高温を得るための窯の設計、彩色絵具の成分など)を探ろうと、フランス、オーストリアなどヨーロッパ中の競争相手が、ドレスデンやマイセンの町にスパイを送り込むものの、ザクセン側は秘密漏洩に対する厳罰、作業者の監視、核心情報に接し得る人物の限定、素材の独占などの措置によって磁器製法の秘法を独占し得ました。
しかし、いつしか機密が漏洩します。人材の引き抜きなどによって秘法が拡散し、各地に磁器造りの窯が設立。マイセンに代わってアウガルテンやセーブルなどの名声が高まることになるのです。
甲斐 晶(エッセイスト)
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