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2008年10月

国旗にまつわるルール

 毎年夏に米国で開催されるINMM(核物質管理学会)の年次大会は、国際的な会合であることを印象づける演出として、主催者が、大会参加者の出身国の国旗をずらりと会場の壁に張り出しています。手違いがあれば、国際問題へと発展しかねません。国旗掲揚のプロトコール違反にならないよう細心の注意を払っているようですが、それでも参加者から、上下逆さだとか、裏返しだとかの苦情が絶えないようです。Brazil

  昨年の大会でもブラジルの国旗が裏返しになっていました。なぜ、そんなことになったのかと言うと、星条旗の場合のプロトコールをそのまま当て嵌めてしまったからのようです。

 室内で国旗を横長に張る場合には、上下を間違えさえしなければ、それほど難しくありません。旗竿側が左に来るように配置すれば良いのです。ただし、上下、左右対称のデザインである我が国やオーストリアの国旗の場合には何の問題もありませんが、Uk 英国国旗(ユニオン・ジャック)のように、点対称のものは要注意で、うっかりしていると上下逆さにしてしまうことがあります(参照

 問題は、国旗を縦長に配置する場合です。この場合には、旗竿側を上にして配置するのが通例ですが、国旗の左上部に「カントン」 (星条旗の星の部分Usaオーストラリア国旗のユニオン・ジャックの部分のように四角く区切られた部分)や紋章などが配されているものは、 ほとんどの場合、縦長に配置するときにもカントンや紋章の部分が左上になる向きで取り付けます。こうすると、星条旗もオーストラリア国旗も裏返しにして配置することになってしまいます。Australia

ところで、ブラジルの国旗は、ポルトガルから独立した1822年9月7日の星空を描いた天球儀を中央に配し、その赤道上に「秩序と発展」と言う国の標語が記されていることから、INMMの事務局は、これをカントン扱いとし、星条旗などの場合に倣って、裏返しに配置してしまったようです。(ちなみに、正式なブラジル国旗は、裏表で同じデザインとなるよう、この部分を裏表縫い合わせて国旗を製作しているそうです。)

 ところが、カントンが無いデザインの国旗であっても、縦長に配置する際には、その方向が規定されている場合があり、複雑です。例えば、カナダの場合旗竿側を下にするよう規則で定まっています(参照)。一方、カントンを有すると見なすことの出来る中国国旗の場合、縦長に配置する際には、先に述べたカントン部分が左上になる向き(裏返し)で取り付けるのではなく、旗竿側を上にして掲揚します。Image1

また、リヒテンシュタインや北朝鮮のように、通常の横長のものとは別に縦長用のレイアウトが存在する国もあります。さらに、オランダ、ブラジル、パキスタン、サウジアラビアの4ヶ国は縦長に掲揚すること自体を禁じているなど、国によって様々なルールがあります。ですから、縦長に配置する場合に、国毎にどうするのが正式な掲揚の仕方なのかに違いがあるので、念のため当該国の大使館などに問い合わせてみる必要があります。縦長に配置する際の国旗の方向の例が旗の販売会社「更五」のHPにあります(参照)。

 Burizgon_on0067 国旗や州旗を飾るのが好きな米国人向けに、これらの旗を掲揚する際のルール(United States Code Title 4 Chapter 1)を詳しく述べたサイトがあります(参照)。この中で興味深いのは、国旗の品位を損なうことになる禁止行為の例として、星条旗の一部または全部のデザインをアパレルに使用することが挙げられていることです。星条旗をデザインした、 Tシャツやネクタイ、バッジなどは米国内でごく普通に売られ、人気も高いのですが、本当はルール違反なのです。Img55517341実は、ある有名ブランドの福袋を日本で購入したところ、星条旗をデザインしたトランクスが入っていましたが、米国内では着用してはいけないようです。

また、ルール上、星条旗には何の文字やサインも書いてはいけないことになっています。我が国の場合には、先の戦争中、20080815_442847出征兵士の武運長久を祈願して、友人知人が日の丸に寄せ書きをしていたことを思うと、彼我の文化の違いを感じさせられます。

甲斐 晶(エッセイスト)

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チロルでのロングステイ

Flaggeoesterreich昨年から、団塊世代が大量に定年を迎えるようになり、定年後の第二の人生をどのようにして過ごすかが大きな関心を集めています。これまで出来なかった趣味に打ち込んだり、新たな資格を取ったり、地域活動やボランティア活動にデビューしたり、炊事・洗濯・アイロン掛けなどの家事をマスターして自立した夫となるなど、色々なアイデアがあるようです。そんな中で、治安や環境の良い国でのロングステイが注目を集め、各地でこのためのセミナーが開催されたりしています。

51kol3lof2bl_ss500_ オーストリアで優雅なロングステイを目指すシニア層に特にお薦めの本がオーストリア大使館商務部との連携によって書かれた「オーストリー、優雅なロングステイの愉しみ」(相原恭子著:東京書籍)です。オーストリアについての基本情報を含む ロングステイのための基礎知識に始まり、日本人向け受け入れ態勢の整った各地方のサポート状況、滞在先、病院・薬局、その地での過ごし方の例など、役に立つ情報が満載です。

オーストリアの場合、どこの観光地でも長期滞在型のアパートがあって、手頃な値段で利用できます。食器は勿論のこと、調理道具や冷蔵庫、洗濯機まで完備していますので、自炊が可能で、滞在費を安く抑えることができます。Image_apartment_exterior_1

この本には、スーパーでの買い物の仕方に始まり、洗濯機の使い方(オーストリアでは、全自動洗濯機の場合でも熱湯を湧かして洗濯物を煮沸するプログラムが普通なのです)、ごみの出し方に至るまで、日本の生活習慣と違う点が実にきめ細かく書かれており、実際に現地で生活して戸惑うことの無いよう、温かい配慮がなされています。

 オーストリアでロングステイを志す理由には、異文化に触れて見たい、Salzburgfortressbyその土地の風土やライフスタイルを知りたい、現地の方々と新たに交流をしたい、錆び付いたドイツ語を磨き直したい、音楽の本場で声楽や楽器のレッスンを受けたい、若い時に駐在した街にもう一度住みたい、大自然の中で健康的でゆったりした生活を楽しみたい、音楽三昧・芸術三昧の日々を送りたい等多種多様でしょう。この本には、 Tirolウィーン、バーデン、ザルツブルグと言った超有名地ばかりではなく、日本では余り知られていない、温泉地や保養地、 チロルの片田舎などが紹介されており、様々なニーズに対して十分応えられるものになっています。

Augfactorypaint例えば、ウィーンでは名所旧跡を見て回ったり、音楽会を楽しんだり、美術館巡りをしたりする他、ウィーンの森の散策、アウガルテンでの絵付け、市民大学での受講など、伝統と歴史に支えられた文化の都を体験するプランが紹介されています。

モーツアルト、ベートーベン、ヨハン・シュトラウスなどが訪れ、ハープスブルグ家の夏の都とも言われた保養地、バーデンでは温泉保養、カジノ、オペレッタの楽しみなどが挙げられています。

Caw3c9q8 また、モーツアルトの生誕地、ザルツブルグでは、土産物として有名なゲヴュルツビンデン(乾燥ハーブ、スパイスなどを用いたリースやブーケ)造りへの挑戦、造形芸術の夏期アカデミーへの参加など、ひと味違った楽しみ方が示されています。

この他、湖水地帯で、湖で採れた新鮮なマス料理を土地のワインで楽しんだり、バート・ガシュタインなどで、温泉とエステを満喫し、Header_heilstollen 旧坑道を利用したラドン治療を受けたりなど、様々なゆったりライフの過ごし方が提案されています。

Austli_map そんなオーストリアのロングステイを紹介するセミナーのひとつが商務参事官公邸で開催されました。30名ほどの参加者が、チロル州クラムザッハ村を代表する観光局幹部の説明に熱心に聞き入っていました。この村は、長野県安曇野市(旧豊科町)と20年来の姉妹都市関係にあり、既に日本からのロングステイヤーの受け入れ実績もあります。人口4500Kramsachwillk01人の小さな町ですが、治安は良く、人情味豊かな人々との交流を楽しめそうです。観光局を通して予約すれば、ザルツブルグまでのお迎えなど特別なサービスもあり、現地の方と結婚してアパートを経営する日本人女性などがきめ細かい現地サポートをして呉れるそうです。風光明媚なチロルでのロングステイはいかがでしょうか。

甲斐 晶(エッセイスト)

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セキュリティ・チェック

 Pan_am_747_lax 2001年9月11の民間航空機を用いた米国多発テロ事件の前のことでしたが、国際線・国内線を問わず、米国の航空会社の便に乗ろうとすると、搭乗手続きの際に必ずなされるセキュリティ上の質問が2つありました。第1は、「お預けになる荷物は全てご自分のものですか、誰かから運ぶように頼まれたものは無いですね」。そして、「荷物を詰めてから、ずっとあなたが管理されており、目を離されことはありませんね」というものです。198812月にスコットランド、ロカビー町の上空でロンドン発ニューヨーク行きパンアメリカン航空103便が、Image1 リビアのテロリストが積荷に仕込んだ爆弾により空中爆破され、乗員乗客など270名の命が失われた事件以来、持ち主不明の荷物を積み込ませないよう、厳重なチェックが行なわれるようになったように思います。

一時期、例えばフランクフルトで米国の航空会社の便に乗り換えると、チェックイン済みの自分のスーツケースがタラップの下に並べられており、搭乗前にそれを指差し確認しないと、その場に取り残される程の厳しさでした。従って、当時、米国の航空会社は敬遠されたものです。(その後も、インドの国内線の一部や中央アジアの一部の路線では、治安上、同様の厳しい措置が取られました。)

Img10574653421 しかしながら同種の事件が久しく起こっていなかった2001年9月11日以前には、随分と簡略化されており、その直前、米国の国内線を利用した際には、この質問を紙に印刷したものを係員が指で示して、イェスかノーかを尋ねるだけでした。

ある時、この質問に余りに馬鹿正直に答えたために、ひどく手間取ったことがありました。ホテルをチェックアウトしてから空港に行くまでにかなりの時間が有ったので、その時間までポーターに荷物を預けたのですが、搭乗手続きの際にそのことを係員に正直に告げました。すると、一瞬係員の目が輝き、私は、荷物と共に別室に招き入れられたのです。スーツケースを開けさせられ、中の品物をひとつひとつ、見慣れぬ怪しいものは無いかどうか、しっかり確認させられてしまいました。私は、パッキングの名人を自認しており、靴の中に下着をぎっしり詰めたりして、限られたスペースを有効に使い、Johntierney要領良く最大限に品物を詰めてあります。取り出すのにも、元通りに詰め直すのにも大いに手間・暇を要し、苦労しました。以来、この種の質問には好い加減に答えるようになりましたが、 似たような体験により同様の結論に達したJohn Tierney 氏の書いたニューヨークタイムズのコラムに意を強くしました。

 彼は、国際線で十年以上前から、国内線で1995年から行なわれてきたこれらの質問によって、どれだけ乗客の安全が確保されたかを計るのは難しく、真面目に答える意義があるのかとしています。「米連邦航空局(FAA)は、0409faa_logo過去15年間に3個の爆弾が発見されたことから、この質問の継続を主張しているが、いずれも国外の空港での事例であり、国内では、ほぼ半世紀前の1955年に、ある男性が保険金目当てに自分の母親に爆弾入りの包みを渡し、乗っていた飛行機が爆破された事例である。しかし、仮にこれらの質問が当時なされていたとしても、その母親が自分の息子からの包みをあえて申告した確率はどれ程のものか。」と論じています。米国の国内便を利用する延べ65千万人の乗客の半数が、この質問に一回あたり15秒間真面目に考えたとして、年間では、約8,100分=154年にもなり、毎年ほぼ二人分の生涯が費やされることになり、一人の命も救ったことがない規則の犠牲になっていると試算しています。

しかし、2001年9月11日以降、内外の空港でのセキュリティ・チェックは、一層厳しくなりました。先の質問は廃されるとともに、これまで引っかかったことの無かった、Vm_54091_sol_a02 キーホルダーに付けたミニ・ナイフ(刃渡り3.5cm)でさえ、航空会社に預ける荷物の中に入れるように指示されます。米国では、セキュリティチェックの際に、ハサミやナイフが見つかると、没収されるか、お客が旅先から戻ってきて受け取るまでの間の保管料を請求されるそうです。まあ、安全上、ある程度の不便は我慢せざるを得ないのでしょう。

甲斐 晶(エッセイスト)

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ウィーンのお正月

 Stefan_10045013657 2001年の元旦は、ウィーンにおいて21世紀の幕開けを夫婦2人で迎えました。

 半年以上も前から、手頃な値段で家庭的な雰囲気の宿を予約し、クレジットカードの番号も先方に教えて、万全を期したつもりでした。ところが、乗り継ぎ便の関係で宿に着くのが夜遅くなる旨のメールを入れると、なんと予約など入っていないとの返事。出発が2週間後に差し迫っており、しかも年末年始で混雑するフライトの予約を終え、オペラのチケットもインターネットで確保していた矢先でしたから、大いに慌てました。

 FAXやメール、インターネットを駆使して調べて見ましたが、他のどこの宿もこの時期は予約で一杯。諦めざるを得ないかなあと思いつつも、先方のミスであることは明らかです。証拠書類の写しなどをFAXで送りつけ、責任もって代わりの宿を探すように激しく抗議。このあたり、外国生活が長かった賜物でしょう。ようやく、代わりの宿を確保してくれました。

ウィーンには、暮れの29日からお正月の3ヶ日まで滞在し、ウィーンの風物を満喫しました。お目当ては、大晦日の「こうもり」と元日の「ニューイヤー・コンサート」です。「こうもり」は、昔は年末年始に国立オペラとフォルクスオペラの両方でやっていたものですが、この頃はフォルクスオペラのみ。Kllustige国立オペラでは、その代わりにこの時期に「メリー・ウィドウ」をやるようになりました。大晦日の「こうもり」と元日の「メリー・ウィドウ」を日本からインターネットで予約。便利になったものです。「ニューイヤー・コンサート」の方は、一年前に予約しなければならず、ハナから諦めてテレビ桟敷での鑑賞と決め込みました。

大晦日までの2日間は、もっぱら買い物三昧。手袋、帽子、靴など良いものが手頃な値段でした。GerathermbasalFieberthermometerklein_ger

変わったところでは、Uebe社製の昔ながらの水銀体温計。 ウィーンのは頑丈で目盛りが大きくて見やすいので、半ダースも買い占めました。ウィーンみやげです。

大晦日、マティネの「こうもり」がはねた後に旧市内をそぞろ歩きしました。最近では、市庁舎前からアム・ホフやグラーベン、シュテファン寺院、ケルントナーを経て国立オペラ座前の広場に至るまでの通りが「大晦日の小径(Silvesterpfad)」として指定され、要所要所に、ステージやキオスクが設けられています。Bild1_970x600 この時期ならではのグリュー・ワイン(薬草入りホットワイン)や縁起物(豚、煙突掃除人、四つ葉のクローバーなどの小物)を求めるお客で大混雑でした。どうも、ドイツやイタリヤからの観光客で一杯の感じで、子豚の帽子をかぶったり、鳴り物を鳴らしたりと、大はしゃぎ。深夜12時にシュテファン寺院の鐘が鳴るや、シャンパンを掛けたり、瓶を投げつけたりと危険とのことなので、早めに宿に引き上げ、大晦日恒例のTV番組Silvesterstadlを見ました。Ms

これは、昔、NHKでやっていた「ふるさとの歌祭り」的な番組Musikantenstadlの大晦日特別番組で、ドイツ語圏の都市からの多元中継により、5時間にも及ぶVolksmusikのオンパレード。司会は、オーストリアの宮田輝と私が勝手にあだ名を付けたKarl Moikです(2007年からAndy Borgに交代)。もう20年以上も続く超人気番組ですが、年越しの0時には、ちゃんと美しき青きドナウが流れます。Post4510171152891584

21世紀最初のニューイヤー・コンサートは、完璧主義者で知られたアーノンクールが初登場。いきなりラデツキー行進曲と、いつもならアンコール最後の曲で始まって聴衆を驚かせます。しかも手拍子抜きのオリジナル版。大いに楽しませてくれました。2002年は小沢征爾の番です。Lrg_10338154

元日のお昼は、雪景色のレオポルドベルグへ。ドナウ川を望むレストランで遅いお昼を摂りましたが、寒さにめげぬ散歩客で一杯でした。

短時間の滞在でしたがフィグルミュラーのシュニッツェル、Img_5800_2 フラクッタのターフェルシュピッツ、デーメルのケーキ、オバラーのクラプフェンのほかブルスト、シンケン、ザワークラウト、ブッターケーゼなど、ウィーンの味覚を満喫しました。

ただし、宿の近くに回転寿司が出現していたのには、びっくり。ウィーンも変わりました。

甲斐 晶(エッセイスト)

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