ナターシャ・カンプシュ
オーストリアの小都市アムシュテッテンで18才の娘が実の父親に24年間も監禁され、性的虐待を繰り返し受け、子供7人を出産していた事件のことを書きました(「アムシュテッテン事件」参照)。オーストリアで少女監禁事件が発覚したのはこれが初めてではなく、ウィーンの少女ナターシャ・カンプシュが10才の時に登校途中に誘拐され、男(当時36才)によって自宅の車庫の下の地下室に8年間も監禁されていた事件が、今から2年ほど前の2006年8月に明らかになりました。
事件の概要はこうです。彼女は1998年に行方不明となり、8年に亘って男に監禁されていましたが、2006年8月23日、掃除機を使って車内の掃除を命じられた際に、男が携帯電話に出て掃除機の騒音がうるさくて車を離れたわずかな隙に、隣家に逃げ込んで無事保護されたものです。犯人ウォルフガング・プリクロピル(44才)は、通信技術者で、彼女が逃げ出した夜、警察の追求を逃れ列車に飛び込んで自殺を果たしてしまいます。
この誘拐事件が起きた当時、オーストリア警察により隣国ハンガリーにも亘る大々的な捜査が行われ、犯行に使われた白いバンと同じものを彼が所有していたことから、捜査が彼の元にも及びましたが、結局容疑不十分で逮捕を免れたのでした。
保護当時、彼女の体調は良好で、監禁中に暴行などは受けなかったと語り、警察の聴取に対し、「犯人は確かに犯罪者だと思いますが、私にはいつも親切でした。」と述べたそうです。ある心理学者は、彼女が「ストックホルム症候群」(長期間監禁が続いた際、被害者が犯人に親近感を抱くという異常な心理状態)に陥っていたと分析しました。
彼女は誘拐された日、犯人に車の中に引きずり込まれ、「おとなしくしろ、さもないと痛い目にあうぞ」と言われ、結局8年間、ガレージの下の僅か5m2ほどの空間に監禁されました。しかし、その間、「自分は監禁されるために生まれたのではないと」言い聞かせ続け、自由の身になることを決して諦めなかったという気丈さには感服します。
保護直後のインタビューで誰もが驚いたのが彼女の知性と語彙の豊富さでした。それもそのはずで、犯人は彼女に多くの本を与え、教育していたのです。また、彼女はラジオを聞き、テレビも見ていました。誘拐後数年間、彼女は犯人の名前を知りませんでしたが、彼女にとって彼は父親のような存在で、基本的なことから生理用品の使い方に至るまで何もかも教えられていたようです。
彼女は極めて前向きです。「監禁されていた8年間で何かを失ってしまったとは感じていない、むしろ喫煙や飲酒や悪い友達との交友などを避けることができた。」と語っています。
現在、彼女は高等教育に専念中であり、将来はメディアで活躍し、女性や子供に対する暴力を正すプロジェクトに従事したいとの夢を自らのサイトで述べています。
アムシュテッテン事件について感想を求められ、彼女は自分の体験と重ね合わせながら、「被害者をそっとしてやって欲しい。時間だけが傷を癒すから。」と述べ、被害者の42才になる娘とその子供達に25,000(約400万円)ものお金を寄贈したことを明らかにし、また、同胞達にも彼らへの同様の寄附を呼びかけています。事件の原因を問われた彼女は、「この事件はどこの国でも起こり得ることですが、やはり第二次大戦の後遺症でしょう」と指摘し、「ナチスの教育が女性の抑圧と権威主義をもたらした」としています。
ナチス時代に醸成されたオーストリア人のメンタリティがアムシュテッテン事件の一因とする意見は他にもあります。この事件の存在を薄々感じていた住民は何人もいたのに、見て見ぬふりや知っていながら知らないふりをしていたのは、正にオーストリアの国民がナチスの強制収容所の存在に敢えて目をつぶっていた歴史と重なると厳しい指摘をする人もあります。でも同様の傾向は、列車や街中で行われる犯罪を傍観し、面倒な関わり合いにはなりたくないとする、無関心な我が日本の都会人にも言えるのではないでしょうか。
甲斐 晶(エッセイスト)
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