インドネシアにて
2000年の夏、フィリピン(「マニラにて」参照)、マレーシア(「クアラルンプールにて」参照)に次いで、インドネシアを訪れました。ここでも省エネルギーや公害防止などの技術の移転を通じて、環境問題の解決に資する支援策を検討するために、政策担当者との対話を行いました。
ジャカルタ空港に到着して機体のドアが開くやいなや、乗客が我先にとパスポート・コントロールに走る姿に、まるで日本と同じメンタリティだなと思わされました。空港から車で市内へのハイウェーに入ると、暫く両側には水田が広がり、実に東南アジアらしい風景です。しかし、市内に近づくにつれてあたかも建築デザインコンテストのように超モダンな高層ビルが林立。一見したところでは、とても援助が必要な国には見えません。
ところが現地駐在員によれば、貧富の差が激しく、また、政府関係者による汚職や私腹を肥やす体質には目に余るものがあって、その状況は当時のワヒド政権になっても余り変わっていないようです。
用務が無事終わり、知人のアレンジでインドネシア科学院関係の施設をいくつか見学しましたが、ジャカルタの南、車で約1時間ばかりの所にある有名なボゴール植物園にも参りました。 1817年に当時の宗主国オランダ政府によって開設され、広大な敷地内にインドネシア各地からの植物が収集され、育成されています。
バイオテクノロジーの進歩に伴い、遺伝子資源の確保が叫ばれる昨今ですが、200年も前にこうした地道な努力を始めたオランダの先見性に敬服します。第二次大戦中には、
日本の管理下になった時期もあり、木材調達のために園内の木々を伐採しようとする軍部に抵抗した日本人園長らの逸話が残っています。
園内には、さほど綺麗な花は見あたりませんでしたが、とにかく大規模。ここにしかない貴重な植物種が多数集められおり、専門家にとっては垂涎の的とか。この植物園は、インドネシア語では「大きな庭園(Kubun Raya)」と呼ばれて地元の人々から親しまれ、週末ともなると大勢の家族連れや恋人同士で賑うそうです。園長(当時)は、東大小石川植物園に留学された日本語のとても達者な方で、日本の協力に大いに感謝されていました。
ここには、動物標本館も付設されていたのですが、その老朽化が激しいため、生物多様性条約がらみの日尼協力の一環として、 チビノン地区に空調完備の立派な施設を新設して標本を移転する作業が行われています。珍しい蝶類、甲虫類の見事な標本を見せていただきましたが、ここで「生きている化石」シーラカンス(Coelacanth)の標本に出会うとは思っても見ませんでした。インドネシアのスラウェシ島近海で捕獲されたものです。それまで南アフリカ近くの西インド洋にしか生息していないと思われていたシーラカンス。それが1997年にインドネシアでも生きたまま発見されたのですが、その陰にはこんなエピソードがあります。
1997年9月、当時、加州バークレイ大で博士号を取ったばかりの海洋生物学者Mark Erdmann氏夫妻は、スラウェシ島を新婚旅行中でした。二人で青空市場を歩いている時に、奥さんが不思議な魚が木製の荷車に載せられて引かれて行くのを見かけ、ご主人の注意を引きます。彼は、すぐにそれがシーラカンスだと気付いて写真を撮り、漁師に現地産であることを確認したのですが、それが一大発見だとは分かりませんでした。
バークレイに戻って初めて、シーラカンスがマダガスカルの東では未発見で、まして1000kmも離れたインドネシアに生息している訳が無いと考えられていたことを知ります。 11月にスラウェシ島に戻った博士は、200人ほどの漁師の聞き取り調査をして、あの漁師の他にも3人からシーラカンスを捕まえたことがあるとの証言を得ます。地元では「海の王様(Raja Laut)」と呼ばれ、年に数尾捕まえられていました。彼らに報奨金を約束して果報を待ちます。ついに1998年7月30日の朝、スラウェシの北、モナド・トゥア島の近海で鮫の網に掛かったシーラカンスが生きたまま隣島の博士の家まで運ばれて来たのです。そのシーラカンスはその後数時間生きており、博士はその泳ぐ姿の撮影に成功しました。この発見が同年9月24日号の「ネイチャー」誌に報告され、世界を驚かせたのです。
甲斐 晶(エッセイスト)
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コメント
白楽ロックビル様
引用戴き光栄です。ただ、拙稿はオリジナルではなく、記事中に示した出典のサイト
http://www.ucmp.berkeley.edu/vertebrates/coelacanth/coelacanth1.html
の概要をとりまとめたものに過ぎません。
お褒めを戴き恐縮です。
甲斐 晶
投稿: 甲斐 晶 | 2014年12月20日 (土) 10時34分
こんにちは。
研究者事件集を書いている白楽と申します。
甲斐さまの優れた解説を、私の解説・「ベルナー・セレ(Bernard Seret)、ローラン・プユウ(Laurent Pouyaud)、ジョルジュ・セル(Georges Serre)(仏)」に引用させていただきました。
サイト:http://haklak.com/?page_id=3087
ありがとうございます。
白楽ロックビル
投稿: 白楽ロックビル | 2014年12月19日 (金) 08時45分