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マニラにて

  Philippines2000年の夏、フィリピン、 マレーシア(「クアラルンプールにて」参照)、 インドネシア(「インドネシアにて」参照)の3ヶ国を相次いで訪れる機会がありました。省エネルギーや公害防止などの技術の移転を通じ、これらの国における環境問題の解決に資する支援策を検討するため、各国の政策担当者との対話を行って来ました。

 Idいずれの国もその首都を訪れるのはMalaysia_flag私にとって初めての経験です。各国は、アジア危機(1997年タイの通貨下落に端を発したアジア地域の金融危機)を見事に乗り切った国、そうでない国、元々経済状態が悪く危機の前後でさほど変化のない国(どれがどれかは、皆様のご想像にお任せします)と三者三様で、その実態を興味深く見聞出来ました。

 飛行機が最初の訪問国の首都マニラに近づくと、眼下に水田の広がる緑豊かな景色に、日本の原風景を見るような気がして、ああ、日本もこの東南アジアの国の一員なんだなとの感を深めました。

 インターネットのフィリピンに関するサイトで、「空港では、制服を着た係官でも要注意。空港税を出せと言われて騙し取られた例がある。また、『社長、社長』と日本語で馴れ馴れしく話しかけてくるフィリピン人にはご用心。『○○さん』と自分の名前を呼ばれても無視のこと。」との忠告を読んで大いに身構えていただけに、出迎えの知人に会えてほっとしました。フィリッピン出張に出かけた社員のうち1人が空港からそのまま車で連れ去られ、死体で発見されたなんて話は、枚挙にいとまがありません。

 Manila2 空港からホテルまでの車窓からの景色は、人々や車が道に溢れ、実に東南アジアらしい活気を見せていました。ただ、道端に放置されて積み上がった塵芥に、誰も片づけないのだろうかとの素朴な疑問が湧きます。マニラ生活が長い駐在員に聞くと、彼らはあまりゴミを気にしない由。着任早々、「マニラ湾の美しい夕陽」を眺めるとの謳い文句に誘われてクルーズに参加したところ、湾に浮かぶゴミと悪臭に閉口。とても優雅に夕陽を眺める風情ではなかったそうです。マニラの海岸は、雨が降ればすぐ水浸しになるものの、水が引けば道端のゴミも一緒に海に洗い流してくれると達観していて、ゴミなど片づける人はいないそうです。

 Pict48781 ところで、フィリッピンがスペインから独立するのに精神的指導者の役割を果たしたのが、国民的英雄として慕われている詩人ホセ・リサールです。彼は、その夢を果たす前に捕らえられて処刑されてしまいますが、その拘留されていた牢屋跡が記念館になっており、彼を忍ぶ遺品などが展示されています。処刑前に親族に渡した辞世の詩が英語、中国語、日本語などに訳されていますが、その祖国を思う熱情が読む人の心を打ちます。ちなみに、彼は、日本に滞在していたことがあり、その記念碑が日比谷公園内にあるのですが、Pict51371 残念ながらそれに気づく人は少ないようです

 会議の合間に、旧知のシアソン外相と連絡を取ったところ、わざわざ私の滞在しているホテルに来られて朝食をご馳走して下さいました。20年ほど前に彼がIAEA(国際原子力機関)事務局長のポストを争って破れ、その後UNIDO(国連工業開発機構)の事務局長に就任した頃からのお付き合いです。Unido 彼は、日本(教育大)に留学したことがあり、奥様が日本人であることから、流暢な日本語を操ります。日本駐在大使の後、ラモス政権下で外務大臣となり、エストラーダ政権でも同大統領の同級生であったことから、外相に留任。大変気さくな人柄でユーモアに富んだ会話を楽しみました。私の会議の相手がイスラム教徒であることを良く知っおられ、私が、「イスラム教徒は、4人まで奥さんを持てるそうですね。」と水を向けると、「いや、4人しかいなければイスラム教徒だけれど、5人以上いたら、それはカトリックなんだ。」との答え。当時、いずれ国連事務総長やフィリピンの大統領になるのではと目されている人物ならではの機知だなと思わされました(現在、再び駐日フィリピン大使)。10

 彼によれば、日本人が老後をフィリピンで優雅に暮らせるよう、病院付きの養老施設をセブ島に計画中とのこと。頭金300万円を支払えば、日本語を話す職員がきめ細やかにお世話してくれるそうです。皆さん、いかがですか。

甲斐 晶(エッセイスト)

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