ちょっと良い話
パラオ共和国(「ナカムラ大統領」参照)に引き続いて、ミクロネシア連邦を訪れました。第1次大戦まではドイツ領でしたが、1914年戦争勃発とともに日本がこれを無血占領。1920年に国際連盟より委任統治領として認められ、第2次大戦終了まで南洋群島として統治していました。本家の日本がとっくに失ってしまった良い習慣、伝統が今でもちゃんと残っています。
これは、(社)日本・南太平洋経済交流協会の機関誌に浜田信三郎氏が紹介しておられた話です。 ミクロネシアは、ヤップ、激戦地だったトラック(現在のチューク)、首都のあるポナペ(現在のポンペイ)、そしてコスラエの4州からなる連邦国家ですが、浜田氏はこのコスラエ島をしばしば訪れては、大いに「癒され」てきたそうです。
そんな氏に、あるお婆さんが自分の孫、16才のM君のことで相談します。父の事業の倒産、両親の離婚と行き場を失った彼は、登校拒否とあてのないぶらぶらの毎日。このままでは悪の道に進んでしまうと思った浜田氏は、気軽な気持ちで「南の島に放り込んでみたら?」とお婆さんに提案してみたものの、果たして異なる環境の南の島に馴染めるものかと心配になり、では試しにとM君を連れていくことになりました。
空港でM君に初めて引き合わされた浜田氏はシマッタと思います。長髪、茶髪、鼻と耳にピアス、首にはクサリがじゃらじゃら、だぶだぶズボンで、そっぽを向いているだけで挨拶もなし。お互いに意志の疎通はなく、道中も、コスラエでも無言のまま。止めれば良かったと後悔したそうです。
ところが、しばらくしてM君がコスラエに永住したいと言ってきます。半分困ったと思いながらも現地の人に相談し、ホームステイ先を確保。コスラエでM君の1人ぼっちの生活が始まりました。
しかし、案ずるより生むが易し。半年ぶりにコスラエを訪れた浜田氏を「荷物をお持ちします」とニコニコ顔で出迎えたM君の変貌ぶりに氏は吃驚仰天。その後も周囲に打ち解け、学校に行きたいとまで言い出すほどで、日系のイセザキ家にホームステイ先を変え、現地の高校1年生からやり直し。毎日バイクで通学し、帰宅すれば家事や畑の手伝い、野球や釣りをしたりとすっかり島の若者になって健康な生活を送るようになったのです。
実は、初めてイセザキ家にM君を連れていったとき、現当主のキリオンさんは、「日本人ダッタラ、シャントシロ!」と現在の日本では全く聞かれなくなった言葉を発するなり、壁に手をつかせ、長い茶髪をチョン切ったそうです。礼節を重んずる誇り高い日本人像が今でも生きているのです。
話は変わり、2000年初め習志野市で、第1次大戦中に青島で捕虜になったドイツ兵約千人を収容していた「習志野捕虜収容所」の特別展が開かれました。彼らが収容所の中でモーツアルトやシューベルトの演奏会を開き、スポーツに興じ、日本人にハムやソーセージの作り方などを伝授した様子が紹介されました。これを見た人が、「第2次大戦でポナペに駐屯中のこと、『自分は習志野で捕虜だった』と語る現地人がいた。」という話をしたことから、その軍人と子孫探しが始まります。
その結果、かの軍人は、ポナペにいたドイツ人Helgenberger氏と現地人女性Berminaとの間に生まれたWilhelmで、第1次大戦に水兵として応召し、乗っていた軍艦が青島沖で撃沈。海上を漂っているところを日本軍に助けられ、習志野に捕虜として収容され、第1次大戦の終結とともにポナペに戻ったのです。時が移り、今やその子孫は、70余名。お孫さんの一人のNancy Salomon女史は、唯一の女性州議会議員で、我々一行と州議会議員との会見では、ミクロネシアの将来を担う青少年の教育・訓練と女性の地位向上の重要性を熱く語っておられました。日本に対する期待がここでも大きいのです。米国との自由連合に基づく盟約金の支給も間もなく終わります。延長交渉中とはいえ、この国の経済発展の舵取りはいよいよ正念場です。
空港を立つとき、見ず知らずの女の子が私の頭に花の冠を被せてくれました。いつも笑顔の絶えない島の人々を見ていると、物質的な豊かさには代えることの出来ない、心の豊かさを感じました。
甲斐 晶(エッセイスト)
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コメント
浜田氏は小生の友人です、コスラエではこれから活躍するでしょう。今日も日本食、情報紙、DVDなど、彼に送るところです
彼は大手電機メーカーの出身で私は後輩です。会社ではいずれ社長になる人でしたが、組織にしばられるのが、嫌いで
コスラエに、、、私も人生の終末はコスラエでとおもっています。?
投稿: TADA | 2013年7月11日 (木) 18時43分