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ベルンハルト作戦

 3_seen 今から45年前の19631031日に、オーストリア、シュタイヤマルク州にある長さ約2km幅約400mトプリッツ湖の湖底でミュンヘン出身の19才のスキューバ・ダイバー、アルフレド・エグナーの遺体が発見されました。彼は、その3週間前、仲間と3人で湖底に沈む「ナチスの埋蔵金」探しにやってきて、目的を果たせぬまま命を落としたのです。

 Map トプリッツ湖は、フランツ・ヨーセフ皇帝と皇妃エリザーベートがこよなく愛した温泉保養地、バード・イシュルからほど遠くありません。しかし、標高718mの僻地にあって車では直接行けません。まず隣接するグルンドル湖まで行き、さらにそのはずれから徒歩で20分も進まなければなりません。しかも大変危険な湖で、10mも潜れば日光がほとんど届かなくなり、30m以深では凍てつく水温になります。水深103mの湖底の水は酸欠状態のため、植物や魚類と言った生命体は全く見られません。加えて、湖底は倒木で厚く覆われている(十数mに及ぶ部分もある)ことから、ナチスが「埋蔵金」を隠すには理想的な場所と考えられたのです。Teplitzsee_mit_wasserfalle

実際に1945年のある早朝、当時21才だった農家の娘、イーダ・ワイゼンバッハーさんは、ナチスの将校から荷馬車を供出するように命じられます。沢山の重い箱を積み込んだ荷車を運んでトプリッツ湖まで3往復させられました。任務が終わって兵士達がボートから湖水にこれらの箱を放り込むのを彼女は目撃しましたが、これらの箱に一体どんなものが入っているので湖底に沈めなければならないのだろうかと、彼女はいぶかしく思ったそうです。イーダさんが目撃した箱には、果たしてナチスの金塊が一杯詰まっていたのでしょうか。

その最初の答えは、1959年にドイツの写真雑誌社、シュテルンがトプリッツ湖の調査のためにダイバーを派遣した時に得られました。彼らが発見したのは、金塊などではなく、英国ポンドの偽札、機密文書及び印刷機などが入った9つの木箱でした。Banknotes

後で、分かったのは、これら湖底からの発見物こそ、第二次大戦中にナチスが秘密裏に行っていた「ベルンハルト作戦」の名残だったのです。

ナチスは、敵国である英・米の経済に打撃を与えるために、ポンド及びドル札の偽造作戦を構想しました。当初、偽札を空からばら撒けば、拾って届け出るのはほんの僅かで、ほとんどの人がそのまま使い、経済が大混乱に陥るだろうとの目論見でした。しかしながら、当初の計画は関係者間の内紛や充分な数の飛行機が得られなかったことなどから、頓挫。1942年に紙幣偽造作戦は、ナチス親衛隊(SS)少佐ベルンハルト・クリューガーの指揮下に移され、その名を冠して「ベルンハルト作戦」と呼ばれました。

最終的には、ベルリン郊外のザクセンハウゼン収容所に集められた様々なユダヤ人技術者約140名を使って、5、102050ポンド札の偽札作りに成功。余りに精巧な出来映えに、英国銀行は5ポンド以上の高額面のお札の発行を止めてしまったほどです。結局、印刷された偽ポンド札は約900万枚総額1億3400ポンド(現在価値で、推定6千億円以上)に上り、スパイへの報酬、秘密工作、武器調達などの資金に用いられたのです。

Conterfeuters 偽札作りに加わった囚人の一人がスロバキア系ユダヤ人印刷工、アドルフ・ブルガー氏です。その手記(邦訳:『ヒトラーの贋金 悪魔の工房』(朝日新聞社、2008年))やローレンス・マルキン氏の史実本(邦訳:『ヒトラー・マネー』(講談社、2008年))をもとにベルンハルト作戦を描いたオーストリア映画 ”The Counterfeiters”(邦題「ヒトラーの贋金」)が、今年のアカデミー賞外国映画部門で最優秀賞を受けました。映画は、ナチスの贋金作りに積極的に協力する主人公ソロヴィッチと妻をアウシュビッツで失いナチスへの協力に良心の呵責を感じて抵抗し始めるブルガーとの葛藤を見事に描いています。

Bruger ところで、その後2000年に米国CBSテレビが先端海洋探査技術を駆使してトプリッツ湖の徹底調査を行った結果、更に多くの偽ポンド札が回収されました。調査に立ち会い、55年も経って自分の作った偽札を再び目にしたブルガー氏はとても感慨深げだったとか。現在、90才となった彼は、反ナチスの語り部として各地において熱心に活動しています。

甲斐 晶(エッセイスト)

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