アムシュテッテン事件
本年4月末、ウィーンの西約130kmに位置する人口約2万3千人の小都市アムシュテッテンで実におぞましい事件が明らかになりました。73才になる男ヨーゼフ・フリッツルがなんと実の娘(現在42才)を24年間も「地下牢」に監禁し、性的暴行を繰り返して7人の子どもを生ませ、そのうち3人を自分の養子とし、他の3人を娘と一緒に地下に閉じこめ、生後間もなく死んだ嬰児1人の遺体は自宅で焼却していたのです。この他、男には妻との間にこの娘を含めて7人の子どもがあり、この妻は、この間、夫の二重生活に全く気が付かなかったと言うのです。
事件が発覚した切っ掛けは、父娘の間に生まれ、地下に実母と一緒に監禁されていた19才の長女が腎臓疾患で意識不明の重体となり、救急車で病院に運び込まれたことによります。男は当初この長女を自分の孫と称していましたが、治療のため長女の病歴が必要となり、医者から実母を呼ぶように求められ、男は止む無く娘を病院に出向かせ、その証言によってこの信じ難い犯罪事件の全貌が明らかになったのです。DNA検査の結果、長女の証言通り、これらの子ども達の父親がこの男だと判明したのです。
電気工のフリッツルは、娘が11才の頃から度々性的虐待に及びます。娘はこれを嫌って17才の時に家出をしますが、すぐに警察によって発見され、自宅に連れ戻されます。そして、1984年、娘が18才の夏、男によって1年以上も前から周到に準備して作られていた地下牢に閉じこめられてしまうのです。
地下牢は当初、1部屋35m2だったものが1991年に3室60 m2に拡大。窓が無くて陽は入らず、防音上の高い機密性のために酸欠状態で息苦しくなると言います。狭い通路で互いに結ばれた高さ約1.7mの3部屋(トイレ兼浴室、台所及び4床の寝室)への入り口の扉は鉄とコンクリートで補強され、重さは300kg。 フリッツルの地下作業場の収納棚の奥に隠され、彼だけが暗証番号を知っている電子錠が掛けられていました。この作業室へは、地下にある5つの部屋を通らなければなりませんが、その全てに鍵が掛けられ、また、地下牢の入り口の扉を開けて、更に監禁されていた娘とその3人の子ども達の部屋に行くには、暗証番号が必要な電子錠の掛かった扉がありました。そして、男は娘たちに、この扉をいじれば電気ショックで死ぬとか、逃亡を試みたり不測の事態となったりすれば、地下室を毒ガスで充満させると言って脅していたのです。
その後の調べで男には1967年にリンツでの婦女暴行等の性犯罪歴があり、禁錮18ヶ月の判決を受けていたことが判明しました。
この猟奇的事件を巡っていくつかの疑問が湧きます。なぜ家人や隣人が24年間も気が付かなかったのか。地下牢で生まれた子どものうち3人を男の養子とする際に何の疑念も生じなかったのか。なぜ、男の性犯罪の前科に当局が気が付かなかったのか。
娘が地下に監禁されて直ぐに妻が捜索願を警察に出しますが、男は娘に手紙を書かせ、「自分は、家族との生活にうんざりしている。カルト集団に入ったので探してくれるな。」と、家出歴のある娘の「意志」を信じ込ませるのに成功したのです。養子とされた3人の子ども達はいずれも生後間もなく自宅の玄関先に捨て置かれ、「他に世話をする子供がいて育てられない。」との娘の書き置きがあったことから、当局に詮索されずに養子手続きが進められたようです。もしもこの時に警察が男の性犯罪歴を把握していたらもっと早く事件が明るみに出たことでしょうが、オーストリアでは性犯罪等殺人罪以外の裁判記録は15年経つと抹消されてしまうのです。
オーストリアでは、10才の少女が登校途上ウィーンで誘拐され8年間も地下に監禁されていた事件が2006年8月にありました。オーストリア政府は、こうした異常事件の続発に、オーストリアのイメージアップを図るべく腐心しているようです。また、再発防止のため、性犯罪記録をより長期間保存したり、性犯罪者により厳罰を求める声が上がっています。
しかし、こうした監禁事件は必ずしもオーストリア特有ではなく、我が国でも新潟で同様の事件があったことは記憶に新しいところです。現代社会に共通の病理の1つだとは言えないでしょうか?
甲斐 晶(エッセイスト)
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