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南の島々

 Aa_map_oceania 職業柄から外国に出かけることが多く、これまでにも色々な国や地域を訪れました。しかし、その数が48カ国・地域を越えた頃から、中々それ以上に増えませんでした。ところが、10年ほど前の夏、職場が変わってオセアニアの国々を訪れる機会に恵まれ、一挙に50の大台を越えることができました。

  8月の初めに東京を発ち、まずインドへ。ここで最初の用務である二国間協議を終えた後、私だけ同僚と別れてそのままニュー・カレドニアNewcaladへ向かいました。そこで、先に日本から来ていた南太平洋の国々への交流ミッションに合流。経路は、ニュー・デリーからシンガポール、シドニー(1泊)経由でしたが、この方が東京に一旦戻ってから出直すよりも、大圏コースに近く、早いのです。

 Q18_people_2 「天国に一番近い島」として、森村桂の小説で一躍有名になった所ですが、独立国ではなく、フランス領。空港から首都ヌーメアまで立派な自動車道路が伸び、まるでフランスのたたずまいです。海の色は、どこまでも美しいマリンブルーで平和そのものなのですが、独立を巡って、東チモールの様に独立派と反独立派が抗争。独立を決める国民投票は、当面延期されています。独立したとしても、観光やニッケル鉱山位で他に産業は無く、経済的に自立できるのかとの不安や、現在、経済的に実権を握っている層がフランスとの利権を失いたくないとの思惑も絡んで、独立問題は、そう簡単ではありません。しかし、外国製品に高い関税が掛けられており、物価が高くて大変というのが現地駐在の日本企業の方の偽らざる気持ちのようです。ここでも日本の支援に対する大いなる期待が述べられました。

 Tv 次ぎに乗り継ぎのため訪れたのがバヌアツ。昔のニューヘブリデスだと言えば、お分かりになる方もいらっしゃるでしょう。フランスとイギリスの共同統治だった時代から、首都ポート・ビラは、良港として有名。丁度、オーストラリアからの豪華客船が入港していました。しかし、首都といっても全長数百メートル程度の大通りが一本あって、Q22_vanuatu_wedding_party_4_ladies その周りに商店があるだけ。地方都市がそのまま一つの国になったようなものです。日本の援助で出来たという立派な空港施設のトイレの鏡が全て盗まれていて、そこにこの国の民度を見たような気がします。空港では、数人の若い日本女性に会いましたが、海外青年協力隊の一員として、それぞれ看護婦、保母さんなどとして活躍している由。現代の大和撫子の逞しさを感じさせられました。Solomon

  公式訪問国の2番目は、ソロモン諸島。首都ホニアラは、太平洋戦争中の激戦地、ガダルカナル島にあります。我々の到着したのが丁度終戦記念日。戦没者記念碑に花輪を捧げようということになったのですが、Q27_solomon_is_honiara_henderson_ai 碑のある丘は、最近、部族間闘争によるゲリラの襲撃で多数の死者が出たばかりとのこと。結局、警察官の護衛付きで訪れ、事無きを得ました。

 Q28_mtaustin_war_memorial この部族間闘争の遠因は、英国統治時代にまで遡ります。当時、支配者である英国人は、隣のマライタ島から多くのマライタ人を移住させてプランテーションなどで就労させました。(マライタ人は、メラネシア系ですから、肌の色は黒く、頭髪は縮れています。ところが、驚くべきことに髪の色は、金髪で、顔も平べったい容貌なので、外見でガダルカナル人とすぐ区別出来るのです。) マライタ人は、ガダルカナル人よりも勤勉で優秀。次第に、政治や経済の実権を握るようになり、土着のガダルカナル人の反感を買うに到ったのです。もともと土地は、土着民の共同所有だったのですが、英国人がその所有関係を明確にしないままマライタ人に売却。一部の過激なガダルカナル人が、その補償とマライタ人のマライタ島帰還などを求めて武力闘争を開始したのです。治安の悪化に伴いマライタ人約2万人がマライタ島に移住。テントでの難民生活を強いられているのです。

 Ulfaaru1997年に政権に就き、諸改革を進めているウルファル首相と会談する機会が与えられました。その際、この問題の解決にも腐心しているその胸の内を伺うことができましたが、残念ながら紙数が尽きました。この続きは、次回に譲りましょう。

甲斐 晶(エッセイスト)

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