« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月

ダイエット

 誰しも「自分は、思ったことの半分も言えない、内向的な人物だ」と思っているそうです。これと同じように、若い女性の多くが自分は肥満で、ダイエットが必要と感じているようです。070305goo_03

 ダイエットとは、食事療法による減量法で、食事制限によって摂取エネルギーと消費エネルギーのバランス(いやアンバランス)によって、体脂肪を燃焼させ、筋肉や骨を減らすことなく体重を減少させようとするものです。本来、"diet"は、「日常の食事」を意味しており、菜食主義の食事は、"a vegetarian diet"と言います。さらに、治療・体重調節などのための規定食、特別食のことも指しており、食事療法[減量ダイエット]を始めることを、"go on a diet"と言います。

 かく言う私も、一念発起してダイエットを始めました。健康診断の結果、肥満気味と言われ、体重削減を勧告されたからです。しかし、好きなものを食事制限するのは、辛いものがあります。苦労せずに痩せる方法はないものかと、インターネットで内外のサイトをサーベイしてみました。Dietkantan

 世の中には、実に無数のダイエット法があります。大別すると、食べる量を制限する「摂取カロリー抑制型」、運動などによりエネルギー代謝を促進する「消費カロリー促進型」、そしてこれらの「併用型」の3つがあります。最近では、ダイエット用の各種機能食品、簡単に体脂肪の計れる体重計、食品成分表のデータに基づくカロリー計算器、運動器具などダイエット関連商品がどんどん開発され、市場に出されています。100_7469

 「摂取カロリー抑制型」には、3日間リンゴだけを食べ続けるもの、ひたすら1週間パイナップルだけを食べ続けるものなど、偏食を基本とするものが殆どです。対象食品としてこれらの他に、スターフルーツ、こんにゃく、ゆで卵、粉ミルクなどが紹介されています。

 Fudia_r2_c2 しかし、これらの方法では、栄養のバランスが崩れるおそれがあります。そこで、特定の食品をまず摂取して満腹感を醸成し、後の食事は、全く制限しないか、通常の半分から3分の1に抑える方法もあります。これには、小豆、ヨーグルト、プロティンなどを用いるものがあります。また、バランスの取れたダイエット効果があると称する専用の機能食品を販売するケースもあります。さらには、かなり面倒なのですが、摂取総カロリーの目標値を定め、摂取食品のカロリー計算をしながら食事を摂る方法もあります。

 Photo_146 この他、マヨグイニット法というデンマークの国立病院の肥満治療法があります。2週間の献立表に基づき、それを実践することで体内組織を根本から改善させるというもので、最近、インターネットでも流され、人気があるそうです。

 「消費カロリー促進型」では、ダンベル体操が一時期ブームを呼び起こしましたが、継続して運動を行うというのも結構努力を要しますし、運動だけでカロリーを消費するには、相当の運動量が必要です。

 250pxhorace_fletcher_1 そこで私の取ったダイエット法は極めて簡単。ただ良く噛んで食事をするだけです(フレッチャー法)。良く噛んでいる間に、血糖値が上がるので満腹感に達し、摂取食事量が僅かで済むのです。これに、お腹が空いても間食を止めること、Image2 毎朝、パンツ一枚で体重計測をして、体重変化の推移を把握することを課しました。驚く無かれ、僅か3ヶ月で5㎏の減量に成功。1年後には8kg減量し、今まできつかったズボンのウェストも楽になりました。騙されたと思って、皆さんもこのダイエット法に挑戦してみて下さい。Image79

 さて、なぜ日本の国会を英語でダイエットと言うのでしょうか。行政改革の一環で議会のスリム化が必要だからでしょうか。いや、議員定数の削減が話題になる以前から使われていましたから、その語源は、別にあるのです。この英語を用いて議会を指しているのは、スウェーデンやデンマークな507586811_9d3b1d2e2d どでもそうなのですが、"diet"とは、古いラテン語の「日」を意味する単語に由来した、「(会議の)指定日」を指す言葉なのです。ドイツ語でも議会のことを、古語に由来した"Tag"(日)を用いていますから、両者は同じ語源に因る様です。

                            甲斐 晶(エッセイスト)

| | コメント (0)

過剰包装

 お店で買物をすると、日本では、どんな商品でも過剰なまでに包んでくれます。例えば、ちょっとおしゃれなパン屋さんで、アンパンや菓子パンを何個か買ってみてください。まず、アンパンなどを個別に薄いビニール袋に入れ、次ぎにこれらをプラスチックのバッグに入れ、最後に手提げの紙袋に入れてくれます。さらに、フランスパンでも買おうものなら、食べ残しのフランスパンが硬くなるのを防止するための専用の透明袋までつけてくれます。一事が万事こんな具合ですから、ちょっとあちこちで買物をして家に戻って整理してみると、包装用の紙袋やパッキング材でごみ箱はすぐに満杯になってしまいます。20061111baquette2

 これとは対照的に、パリなどでフランスパンを買っても包んではくれません。むき出しのフランスパンを何本か小脇に抱えて家路に急ぐパリジャンの姿を旅先で目にすることがあります。ウィーンでも、買ったものを入れるビニール袋は有料ですから、お客は、買物袋持参でショッピングに出かけます。ギフト用にリボンや綺麗な包装を頼めばこれまた有料。こんな時、日本のデパートならただでやってくれるのになあと、悔やまれることも有ります。でも、この結果、過剰包装が防止され、ごみ問題が軽減されるのです。

 とにかく、日本の過剰包装は、度が過ぎています。本来、物を包むべき役割のはずの封筒や香典袋でさえ、商品は既に透明なセロハン紙に包まれています。店員は、さらにこれを包装紙で包んだ上で、紙袋に入れてくれます。もっともこれは、ちゃんと代金を払ったもので、万引きしたものではないことを示すためなのでしょう。過剰包装と思われる包装にもそれなりの意味があるのです。E383b4e382a3e38383e382afe382b9e6ada

 例えば、日本の湿気の問題です。具体的な商品名を挙げて恐縮ですが、外国でヴィックスを買うと、外箱の中を開けて出てくるドロップ全体を包んでいるのは、単なる油紙ですが、日本ではちゃんと密封性を考慮し、アルミ包装になっています。

 また、消費者の利便性を考えた小分け包装の側面もあります。昨今、家族構成が小人数となったため、おせんべいなど一袋全部を一度には食べきれません。残せばすぐに湿気てしまいます。そこで、近頃では、おせんべいを一枚一枚個別に包んだ上、全体を袋に入れたものが売られています。これも実に日本的な工夫でしょう。Image_col_11_l

 過剰包装が増える理由のひとつに、消費者のブランド志向があります。商品の包装だけでは満足せず、どこで買ったかを示すために、特定のお店の包装紙や紙袋などが珍重されるのです。海外出張のお土産に、ある有名デパートで、専門店のお茶を求めました。その際、包装紙をその専門店のものにするか、Tissuecasecoverそのデパートのものにするかを尋ねられたことがあります。我ながら内心忸怩たるものがありましたが、贈り先の反応を考え、デパートのものを頼んでしまった経験があります。

 日本人の何でも包みたがる性向は、一体どこから来るのでしょうか。ティッシュ・ボックスのカバー、ドア・ノブのカバー、パスポートのカバーと身の回りには、Choco_20020827_2 何でそこまでやるのと思われるほどカバーばかり。本音と立て前を区別する国民性に由来するのでしょうか。清潔好きの国民性の故でしょうか。とにかく、むき出しでは先方に対して失礼と思うメンタリティが作用しているのは、確かです。我々は、ご祝儀を渡すのにも、まずお金を薄紙の中包みに入れ、これをご祝儀袋に納めてから、袱紗に入れるほどの念の入り用です。

 どうせ破って捨てると分かっていても、包装パッケージの破損した商品を日本人は買いません。

アメリカでは、そんな商品でも平気で売られています。外見より中味が大切とのメンタリティ、合理性なのでしょうか。03img03

 日本でも、ゴミ減量のために、リダクション(減量)、リユース(再使用)、リサイクル(再利用)を基本とする改正リサイクル法が施行されました。我々もここらあたりで考え方を改め、過剰包装を拒否する消費者態度を身に着ける必要があります。さあ、買い物袋を持ってお店に出かけましょう。

甲斐 晶(エッセイスト)

| | コメント (0)

ケニア・タンザニアへの旅

Image8  これまでアフリカの国には、27年ほど前にエジプトに、そして18年前に核兵器の廃止を宣言したばかりの南アフリカに講師として招かれて訪れたことがあります。しかし、アフリカ大陸の南と北の両端ばかりでサブサハラの国々とは、全く縁がありませんでした。Fkenyaそこで、1999年の秋、カイロで開催された日・エジプト二国間会合に出席した折りに、ケニアとタンザニアまで足を延ばしました。

 Image5 ケニアでは、ペルーの日本国大使館人質事件でご苦労された青木大使とお話しする機会を得ました。ケニアの開発のために日本が何を為すべきか熱弁を振るわれる様子に、ケニアの国とその人々に対する大使の情熱を伺い知ることが出来ました。

  首都ナイロビの鼻の先に広大なサファリパークがあるのには、驚きました。縞馬やキリンやサイなどが自然のままに棲息する大平原のかなたに、ナイロビの摩天楼のシルエットが浮かんでいますNairobi

 現地人の運転手の話では、今日は特別にライオンの群が出てきているとのこと。遠来の客である我々に是非見て欲しいものと、然るべき地点に車を進めるのですが、その姿は、とんと見当たりません。夕暮れ時となり、閉園時間が迫ります。もう良いからと言うのですが、彼は諦めません。もう少し、もう少しと、どんどん園内の奥に進入して行きます。タイムアウトで締め切られ、猛獣の中で野宿するなど望むところではありませんImage6

 そろそろ心細くなってきた時、「あっ、ライオンの群だ。」と彼の声。草原のどこにもそれらしいものは見えません。じっくり彼の指さす方を見ると、いました、いました。5、6頭の若いライオンの群で、お誂え向きにこちらに向かって進んできます。勿論、車の窓越しにカメラのシャッターを押し続けました。夜目、遠目という言葉がありますが、彼の視力、認識力は、並大抵ではありません。我々が現代文明に染まった結果失ってしまった身体能力をちゃんと備えているのですTanzania05_big

  仄聞したところでは、ライオンやサイ以上にカバが危険な動物だというのです。草食動物でおとなしそうですが、図体に似合わず猛烈なスピードで追いかけられ、その巨体に押しつぶされて命を落とす観光客が毎年後を絶たないそうです。

 Image7_2 ナイロビからタンザニアの首都ダルエスサラームに飛ぶケニア航空の機内から幸いにも万年雪を頂くキリマンジャロを見ることが出来ました。キリマンジャロと言えば、ケニアを想像しがちですが、実は、タンザニアにあるのです。また、サファリと言えば、これもケニアを思い起こしますが、ヌーの大群の移動で有名なセレンゲッティ自然公園は、大部分がタンザニア側にあります。しかし、夏の乾季の移動先がケニアであり、キリマンジャロを背景に象の群の写真が撮れるのもケニア側であるため、ケニアの印象が強いようです。

  Im_20061204 タンザニアでは、財務省次官にお会いして、密輸対策の強化をお願いしました。というのも現地進出した日本企業の工場の製品が中東などを経由して密輸された格安の同ブランドの正規製品や類似・偽ブランド品に太刀打ちできないからです。

 この企業は、社会主義政権時代に現地工場を建設。日本から設備一式を移入し、現地人を養成・訓練し、日本式の品質管理を導入するとともに、社員に現地語で社歌を歌わせ、社是を唱えさせて会社への帰属精神を高揚させていました。

 Ftanzaniaしかし、社会主義時代からのタンザニアにおける独特の雇用慣行を継続せざるを得ず、苦労が多いようです。すなわち、従業員の送迎、昼食代などが全て会社持ちであるほか、その家族が病気になってもその医療費を全て会社が面倒を見ることになっているのです。極めつけは、従業員が死んだ場合で、その遺体を納めるお棺代及び葬儀が行われる故郷への移送費は、会社の丸抱え。社会主義政権当時は、雇用者が社会保障制度のかなりの部分を担うことが期待されていた名残なのです。

 政権が代わって自由経済体制になっても、従業員は、既得権益を放棄しません。こうした、日本では全く想像もつかないような雇用慣行の中で利益を上げるのは、至難の業。所変われば、品変わるで、海外では色々ご苦労が多いのです。

甲斐 晶(エッセイスト)

| | コメント (0)

ハワイ良いとこ

 63 10年ほど前の夏のことです。家内が福引で4泊6日のハワイ・ペア旅行を当てました。ペアでなら誰と行っても良い訳ですが、当選者の殆どが親子連れ、姉妹連れで、我々のような夫婦連れは、少数派。長年連れ添うとお互い鼻に付き、今さら一緒に旅行でもないと言うのが中年夫婦の実態のようです。

 ハワイには、これまで数回行った事があり、オアフ島以外の島にも出かけたことがあるので、今回は、もっぱら買物三昧の旅です。Sany0320 といっても免税対象の高価なブランド物ではなく、シーツやジーンズ、スニーカーといった日用品ばかりが目当て。物価が高いハワイでさえ、これらは、日本で買う値段の半値以下です。10ドルで4日間乗り放題のバス・チケットを求め、アラモアナ・ショッピングセンターなど観光客で一杯の所は避け、ワイキキから1時間以上もバスで行くプレミアムアウトレットなどに出かけました。Waikele_pic しかも、クーポン券を大いに活用して、さらに安く求めるという節約ぶり。ガーメント・バッグを買い、ハワイに来た時に持って来た衣類をこれに入れ、空になった2つのスーツケースに一杯、買った物を詰め込みました。

 往復の飛行機は、乗務員の接客態度やサービスの悪さで名高いN航空。三十数年前に同じ路線に乗った時には、おばちゃんスチュワーデスが厨房の閉まりの悪い扉を足で蹴飛ばす姿を目撃しました。食事のサービスの時にも、乗客に対して"Beef or chicken?"とか"Tea or coffee?"とぶっきらぼうな対応ぶり。せめて、"Would you?"とか"Please"とか付けて聞いて欲しいものでした。今回は、若いスチュワーデスが目立ちましたが、乗客への接客態度は、相変わらず。昔と違って、今では乗客の殆どが日本人でしたから、余り複雑な文章で聞くと、却って分かって貰えないからとの配慮なのかも知れません。その証拠に、ちゃんと日本語で「おちゃ、こうちゃ、こーひー(コフィーではないことに注意)?」と聞いて回っていました。2121

 観光も、ほとんどバスで出かけました。一度は、アウトレットへ行く途中に寄った真珠湾のアリゾナ記念館。三十数年前に訪れた際には、娘が3歳半だったため、沖合いにある記念館への渡し舟に乗せて貰えず、家内は、娘と後に残ったため見学できませんでした。当時は、船着場だけだったのが、展示場や映像ホールなどが整備され、全く見違えるほど。国立記念公園となっているようで、ボランティアが大勢の観光客を整理・案内している様子に、ボランティア精神豊かなアメリカを感じましたDh

  もう一度は、ダイヤモンド・ヘッド頂上までのハイキング。大した高さではないのですが、途中真っ暗闇のトンネルの中や狭い030螺旋階段を登らされたりと結構大変です。しかし、登り終われば眼下に素晴らしい眺望が広がり、苦労が報われます。ここでも登山口にボランティアが控えていて、無料でハイカーに懐中電灯を貸し出したり、冷たい飲み物を提供。そして、Lrg_10207817登頂証明書まで発行していたのは、アメリカ人らしいユーモアでしょう 。

 我々が参加した唯一のオプショナル・ツアーは、米国人の友人の強い勧めで行ったポリネシア文化センター 。トンガやサモアなど7つの島の住居が村内に再現され、火起こし、椰子の木登り、ドラム・ショウなど、観客も参加してのユーモア溢れるショウが行われ、その合間にフラダンスの講習もあります。日本人グループには、ちゃんと日本語の出来るガイド163703 (隣接の大学のアルバイト学生)が冗談たっぷりの案内をしてくれます。

 レストランでの実にアメリカ的な夕食の後に、いよいよ呼び物であるポリネシア民族のダンス・ショウが始まります。見応えのある民族音楽や踊りの連続で、圧倒されます。また、火を使ったショウは、実に見事。噂に違わず圧巻でした。

 レストラン入り口の接客係が胸に付けていた名札で分かったのですが、167482ここと隣接の大学の運営は、モルモン教団によっています。そう言えば、屋外の指定場所以外は、禁煙でしたし、アルコール類は一切、売っていませんでした。刺激物であるコーヒーもカフェイン抜きのものしか有りませんでした。ただ、しっかりコーラを扱っていたのが未だに理解し難いところです。

甲斐 晶(エッセイスト)

| | コメント (0)

続・南の島々

 Solomon2_2 前回(南の島々)は、南太平洋の島々、ニューカレドニア、バヌアツを訪れたときの印象を記すとともに、部族間闘争の解決や諸改革に腐心するソロモン諸島ウルファル首相と会談するところまで書きました。 彼は、1997年、それまで20年間に亘ってこの国を治めていた前政権に代わって首相に就任し、 以来、行財政改革などの諸改革に着手。国民の支持を得るために、PRに力を入れ、「重病人には、手当てが必要。痛みを伴うが荒療治をしなければ死んでしまう。」と説明。情報公開と説明責任を掲げて4つの改革に着手したのです。

 第1は、財政改革でわずか6ヶ月で黒字を達成。第2は、行政改革。前政権によって膨れ上がった公務員定数を500人も削減。第3は、地方自治改革で、中央、州、地元(市町村)の3階層で600人もいた代議士の数を中央、州の2階層、200人に削減。第4は、税制改革。WTO対応の関税制度などにより投資や企業活動を活性化して税収増を図るもの。Ulfaaru_2

 こうした改革が順調に進んでいた折に、不幸にもマライタ人とガダルカナル人の部族間対立が激化して改革は中断。マライタ人が金鉱山やプランテーションなどから去ったため、生産活動に支障が出、経済的影響が現れ始めていました。国連の仲介により、フィジーの前首相が英連邦代表として調停を行い、ようやく政府とガダルカナル人武装勢力との合意にこぎつけたところでした。

 今後は、この合意の実施による治安回復が急務ですが、根本的な解決のためには、これまでの開発がガダルカナル島に集中していたことを改める必要があります。すなわち、マライタ島には見るべき産業がないために多くのマライタ人がガダルカナル島に移住。これが、紛争の元凶でした。そこで、マライタ島など4島の開発に力を入れようとしており、日本の支援が期待されています。日本は、これまでにも空港整備、道路整備、食料品市場の建設などに貢献してきました。人で溢れ返る市場の賑わいを見ていると、僅かな支援でも途上国にとっては大きな効果のあることを感じます。

 ここでも、道端には、所在無さそうな男性が大勢、道行く人を眺めています。都会に出れば何とかなると地方から出てきた人たちなのでしょうか。産業を興し、これらの人々に仕事を与えていくというのは大変なこと。40以上もある部族間の調和を図りつつ、改革の実を上げ、いかに国を繁栄させていくのか。首相の双肩にかかる重い課題です。Papua3_2

   最後の訪問国は、パプア・ニューギニア。パプアとは、現地語で「縮れ毛」の意。ヨーロッパ人が初めてこの島を訪れ、縮れ毛で黒い肌の人々に出会った時にアフリカのギニアの人々の容貌を連想したことから、この名が付いたようです。Qairport

  鉱物資源や石油・天然ガスなどの天然資源に恵まれた国で、バヌアツやソロモン諸島に比べると首都ポート・モレスビーの建物や道路の整備は、格段に進んでいます。しかし、都市と都市を結ぶ道路網などは未整備。街に出れば何とかなるだろうと田舎から出てきた人々で街角は溢れています。空港から街へは、路側帯付きの片側2車線の立派な自動車専用道路があるのですが、そこを裸足で歩く人々を多く見かけました。やはり日本の援助で完成した綺麗な空港のエントランスには、難民風の人々が何家族も地べたに座ってました。Q18_people

 こうして都市に流入して来た職の無い若者たちが一部暴徒化。押し込み強盗などを働き、治安の悪化が問題になっています。我々の泊まったホテルも2重の柵の中。物々しい警備で、気軽に街の中を散歩できる雰囲気ではありません。治安の改善が、外国からの投資拡大のための鍵のようです。

 Qqparliament 南の島々は、対日感情も良く、風光明媚なのですが、治安が悪かったり、悪性のマラリアやコレラの危険があったりで、気が抜ける時がありませんでした。しかも、長袖シャツ、虫よけスプレー、蚊取り線香で自衛していたにもかかわらず、ソロモン諸島ではしっかり蚊に刺されてしまい、10日から2週間といわれる潜伏期が無事に過ぎるのを一日千秋の思いで過ごしました。お陰様で、マラリア原虫に汚染されていない蚊だったようで、何事もなくて済み、ほっと一安心でした。

甲斐 晶(エッセイスト)

     ******

追記:ソロモン諸島の政治情勢その後(外務省のHPより引用)

1997年8月の総選挙の結果、ウルファアル自由党党首を首相とする連合内閣が結成されたが、1998年末より首都ホニアラがあるガダルカナル島において先住民ガダルカナル人と移民マライタ人との間で部族対立が激しくなり、2000年6月、マライタ人武装勢力による同首相拘束事件が発生し、同首相は辞任に追い込まれた。7月にはソガワレ政権が発足し、10月にはソロモン政府、ガダルカナル、マライタ両武装勢力代表の3者間で和平協定が結ばれた。

 2001年12月、国際選挙監視団が監視する中、総選挙が実施され、ケマケザ政権が発足。同首相は、法秩序の回復と財政再建に取り組んだが、その後も事態は深刻化し、自力では解決できないと判断して、2003年4月に豪州に支援を求めた。7月、豪州・NZが主導し太平洋諸島フォーラム(PIF)加盟国の警察・軍隊からなるソロモン地域支援ミッション(RAMSI)が、ソロモンの法と秩序回復のために派遣されて以来、著しく治安が改善された。2006年4月、国際総選挙監視団が監視する中、選挙が平和裡に実施された。しかし、首相指名選挙でリニ氏が首相に選出後、首都ホニアラ市で騒擾が発生し、ソロモン政府は、同騒擾沈静化のため、PIF諸国へ支援を要請。豪、NZ主導で軍・警察要員がRAMSIへ増派された。その後、リニ首相は辞任。RAMSIが監視する中、首相指名再選挙が行われ、5月にソガワレ政権が発足した。

ソガワレ政権は少数5政党による連立政権であったが、同首相の政治運営に対する与野党からの不満等が高まり、2007年11月、総督に対し、首相辞任要請が提起され、12月同首相に対する内閣不信任案が可決された。その後行われた首相指名選挙で、野党統一候補として立候補したシクア前教育相が首相に任命された。

| | コメント (0)

南の島々

 Aa_map_oceania 職業柄から外国に出かけることが多く、これまでにも色々な国や地域を訪れました。しかし、その数が48カ国・地域を越えた頃から、中々それ以上に増えませんでした。ところが、10年ほど前の夏、職場が変わってオセアニアの国々を訪れる機会に恵まれ、一挙に50の大台を越えることができました。

  8月の初めに東京を発ち、まずインドへ。ここで最初の用務である二国間協議を終えた後、私だけ同僚と別れてそのままニュー・カレドニアNewcaladへ向かいました。そこで、先に日本から来ていた南太平洋の国々への交流ミッションに合流。経路は、ニュー・デリーからシンガポール、シドニー(1泊)経由でしたが、この方が東京に一旦戻ってから出直すよりも、大圏コースに近く、早いのです。

 Q18_people_2 「天国に一番近い島」として、森村桂の小説で一躍有名になった所ですが、独立国ではなく、フランス領。空港から首都ヌーメアまで立派な自動車道路が伸び、まるでフランスのたたずまいです。海の色は、どこまでも美しいマリンブルーで平和そのものなのですが、独立を巡って、東チモールの様に独立派と反独立派が抗争。独立を決める国民投票は、当面延期されています。独立したとしても、観光やニッケル鉱山位で他に産業は無く、経済的に自立できるのかとの不安や、現在、経済的に実権を握っている層がフランスとの利権を失いたくないとの思惑も絡んで、独立問題は、そう簡単ではありません。しかし、外国製品に高い関税が掛けられており、物価が高くて大変というのが現地駐在の日本企業の方の偽らざる気持ちのようです。ここでも日本の支援に対する大いなる期待が述べられました。

 Tv 次ぎに乗り継ぎのため訪れたのがバヌアツ。昔のニューヘブリデスだと言えば、お分かりになる方もいらっしゃるでしょう。フランスとイギリスの共同統治だった時代から、首都ポート・ビラは、良港として有名。丁度、オーストラリアからの豪華客船が入港していました。しかし、首都といっても全長数百メートル程度の大通りが一本あって、Q22_vanuatu_wedding_party_4_ladies その周りに商店があるだけ。地方都市がそのまま一つの国になったようなものです。日本の援助で出来たという立派な空港施設のトイレの鏡が全て盗まれていて、そこにこの国の民度を見たような気がします。空港では、数人の若い日本女性に会いましたが、海外青年協力隊の一員として、それぞれ看護婦、保母さんなどとして活躍している由。現代の大和撫子の逞しさを感じさせられました。Solomon

  公式訪問国の2番目は、ソロモン諸島。首都ホニアラは、太平洋戦争中の激戦地、ガダルカナル島にあります。我々の到着したのが丁度終戦記念日。戦没者記念碑に花輪を捧げようということになったのですが、Q27_solomon_is_honiara_henderson_ai 碑のある丘は、最近、部族間闘争によるゲリラの襲撃で多数の死者が出たばかりとのこと。結局、警察官の護衛付きで訪れ、事無きを得ました。

 Q28_mtaustin_war_memorial この部族間闘争の遠因は、英国統治時代にまで遡ります。当時、支配者である英国人は、隣のマライタ島から多くのマライタ人を移住させてプランテーションなどで就労させました。(マライタ人は、メラネシア系ですから、肌の色は黒く、頭髪は縮れています。ところが、驚くべきことに髪の色は、金髪で、顔も平べったい容貌なので、外見でガダルカナル人とすぐ区別出来るのです。) マライタ人は、ガダルカナル人よりも勤勉で優秀。次第に、政治や経済の実権を握るようになり、土着のガダルカナル人の反感を買うに到ったのです。もともと土地は、土着民の共同所有だったのですが、英国人がその所有関係を明確にしないままマライタ人に売却。一部の過激なガダルカナル人が、その補償とマライタ人のマライタ島帰還などを求めて武力闘争を開始したのです。治安の悪化に伴いマライタ人約2万人がマライタ島に移住。テントでの難民生活を強いられているのです。

 Ulfaaru1997年に政権に就き、諸改革を進めているウルファル首相と会談する機会が与えられました。その際、この問題の解決にも腐心しているその胸の内を伺うことができましたが、残念ながら紙数が尽きました。この続きは、次回に譲りましょう。

甲斐 晶(エッセイスト)

| | コメント (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »