左利き
近頃は、「バリヤー・フリー」という概念がようやく定着して来たようで、公共施設の出入り口にスロープが設けられて、車椅子の人のアクセスが容易になったり、シャンプーとリンスの区別をするギザギザが容器に設けられて、目の不自由な人にも便利になりました。しかし、せっかく身障者専用の駐車スペースが設けられていても、そこに健常者が平気で車を止めている光景をサービスエリアなどで見かけます。自分だけ良ければいいとの発想なのでしょうが、これがウィーンなど外国だったら、レッカー車で移動させられてしまいます。社会的弱者の身になってみないと分からないようです。
先日、自動改札口を通ったときのことです。たまたま右手が塞がっていたので、左手で定期を投入口に入れようとして、とても入れ難かったことがありました。そこで、改めて身の回りを見渡してみると、ほとんどの道具や機器は、右利きの利用者を前提に作られていることに気がつきます。左利きは、社会的に少数派だからでしょう。
ところが、欧米人(特にアメリカ人)には、左利きが多いのです。 フォード、 レーガン、 ブッシュ、 クリントンと最近の米国の歴代大統領は、ほとんどが左利きです。また、テニス選手では、 マッケンロー、ナヴラチロヴァ、セレスなどが左利きですし、芸術の世界でも、ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエル、ベートーベン、ピカソなどがそうです。その他、有名人として、アレキサンダー大王、ユリウス・シーザー、シャルルマーニュ神聖ローマ帝国皇帝、ナポレオン、英国女王エリザベス二世、自動車王フォード、金融王ロックフェラー、マーク・トウェイン、チャプリン、キム・ノヴァック、マリリン・モンロー、ブルース・ウィリスなどなど各方面で優れた才能を顕わしています。
インド・ヨーロッパ語族では、左を表す言葉(例えば、ラテン語のsinister、フランス語の gauche、スペイン語のzurdo、ドイツ語のlinks、イタリア語のmancino)は、いずれもそれと同時に<劣る>、<不器用な>、<誤り>、<不吉な>といった意味合いも含んでいます。そんなことから、昔は、家庭や学校において、子供を叱りつけ、無理矢理その左利きを右利きに矯正させたために、深い心の傷を与えてしまったことがあったようです。
しかし、現在では、 左利きを無理に矯正すると吃音になる可能性があるなど、その弊害が認識されるようになり、子供の左利きを強制的に訓練して右利きに直すことは、稀となったようです。
では、なぜ人は左利きと右利きになるのでしょうか。右脳、左脳の機能との関連で解明しようとの試みがありますが、まだ成功していません。通常、言語機能を支配するのは左脳なのですが、左利きの人では右脳にも言語野が形成されるとか。従って、左利きの人が左脳に脳梗塞を起こしても、右脳による言語機能の回復が期待し得るのです。
ギターなどの弦楽器やスポーツ器具に左利き用のものが売られているのは理解できますが、えっ、こんなものも左利きの人は普段右利き用の道具で苦労しているんだというのを挙げてみましょう。はさみ(普通のはさみは左手では切れません)、缶切り(手前に引いて開けざるを得ず、力が入らない)、定規(目盛りが逆。寸法をゼロから計れない)、コルクの栓抜き(ねじの向きが逆で、中に食い込んで行かない)、 パソコンのマウス(パソコンの右側からしか接続できず、また、左クリックを右クリックより多用する設計となっている)、トランプ(左手に持って扇状に開いたときに数字が隠れてしまう)などです。いずれもちゃんと左利き用の製品が売られています。
こうしてみると、社会的弱者とは言わないまでも、左利きの人は苦労が多いようです。そこで、1976年に毎年8月13日を「国際左利きの日」と定めて、左利きの人に対する認識を高めようとしたグループがあります。彼らは、左利きの方が優秀であると主張し、一定割合の左利きの人の大学入学や雇用を法律で義務づけるよう求めています。しかし、そこまでするのはやり過ぎでしょう。
甲斐 晶(エッセイスト)
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