ミッキー
毎年、クリスマスの時期になると、勤め先や自宅に仕事上の知人や個人的な友人から沢山のカードが舞い込みます。そんな中、ある年の12月初めに職場宛にかわいいメルヘンチックなカードが送られてきたことがあります。差出人の住所はデンマーク。差出人の名前にも心当たりが全くありません。いぶかしく思いつつも帰宅して家内に見せると、しばらく思い巡らしてのち、「ああ、ミッキーじゃないの。」と言います。もう一度カードを良く読み返してみると、「鎌倉では、お助けいただき有り難う。」とあります。
そうです。あれは、敬老の日に鎌倉に出かけたときのこと。私の職場が主催する国際会議への参加者の奥様方のための観光案内を家内に頼んでおり、その下見に一緒に出かけたのです。北鎌倉でJRを降り、歩いて建長寺に到着。山門をくぐったところで、白人の青年(と初めは見えた)に呼び止められ、カメラのシャッターを押してくれと頼まれたのがミッキーとの出会いでした。
私はそのまま別れるつもりだったのですが、家内が我々も今日は鎌倉見物なので一緒に付いて来るかと尋ねると、渡りに船。家内にとっては、ガイド役の予行演習となりました。彼は、デンマークの高校をその夏に卒業したばかり。大学に入る前にボランティアを1年間やることを計画し(入学資格の1つになる由)、広尾にある叔母さんの家に滞在中とか。現在、女子校で英語のアシスタントをしており、1ヶ月ほどして故国に帰ってから、スペインにいる父親(スペイン人)を訪ねに行く予定だと話していました。
その前年にお母さんが来日。鎌倉を訪れ、 竹寺(報国寺)が大いに気に入ったとのこと。是非お前も行ってみるようにと勧められたとか。良く知らない所でしたが、外人に人気があるのならと一緒に出かけることになり、その道すがら彼の身の上話を聞く羽目になりました。彼がまだ小さいときに、お母さんは離婚し、その後再婚した相手とはじきに死別。現在は、別の男性と同棲中で、ミッキーには、お母さんの再婚相手との間に生まれた父違いの弟があり、みんなで一緒に暮らしていることなど、かなり立ち入た話までしてくれました。家庭の複雑さなど感じさせない素敵な美少年です。
竹寺を尋ねた後、鶴ヶ丘八幡宮へ。 丁度、秋の大礼祭の最中で、境内は沢山の人出でごった返しです。外人連れの役得で部外者オフリミットの区域まで侵入。祭礼の人たちに配布しているゴム底の白足袋が気に入り、譲って呉れるよう交渉を仲介させられました。超LLサイズの物が彼の足にぴったり。千円を支払って彼は大満足。その後散策した日本庭園では、萩が盛りで見事でした。
お昼に入ったそば屋で彼はカツ丼を注文。これが大好物と至極ご満悦です。家内は、せがまれるままに作り方を伝授。丁度その時、店の前を時代行列が通過しました。鎌倉時代の衣装に彼は興味津々。しきりにシャッターを切っていました。
最後は、大仏へ。鎌倉駅で江ノ電に乗り込むと、我々が英語で喋っているのを聞いたからでしょう、今度はベトナム出身のアメリカ人が付いて来ても良いかと尋ね、我々一行に加わりました(まるでハーメルンの笛吹き男の童話のようです)。
ところが長谷の大仏でミニチュアの大仏像を買う段になって、彼は手元不如意なことに気付き、必ず返すので何某か融通してくれないかと頼んできました。この後、彼は別行動で銭洗い弁天に行くことになっていたので、その費用も含めいくら必要なのかを尋ねると、1500円で良いとのこと。あげたつもりで、その額を彼に渡しました。
翌日の午後、台風一過の後、彼は広尾から自転車に乗って短パンにリュック姿で、名刺を頼りに都心の私の職場に現れました。秘書は場違いな訪問者にびっくりしていましたが、私の方は、彼が予想に反してちゃんと約束を果たしに来て呉れたことが爽やかな驚きでした。その時、クリスマスカードを寄越すように頼んでいたのが冒頭の出来事になったと言うわけです。彼の見かけに寄らない律儀さに改めて感心するとともに、人は見かけで判断してはいけないことを痛感した次第です。
甲斐 晶(エッセイスト)
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