世界に響け平和の鐘の音
冬季オリンピックが2度開かれたことのあるチロルの州都インスブルックにヨーロッパでも有数の歴史を誇る鐘のメーカーがあります。その存在を知ったのは、ウィーンで日墺文化協会の常務理事をされていた佐藤喜美子女史を通してでした。
オーストリアのスキーメーカー、アトミック社の工場があるアルテンマルクトと岩手県松尾村とが姉妹都市となり、それが縁で松尾村役場にオーストリア製のカリオン(色々な音程の鐘を用いてメロディーを奏でる装置)が設置され、その仲介を佐藤女史がされたのです。
そんなことが記憶にあったので、10年ほど前にある教会が新会堂を建てることになり、屋根の上に念願の鐘を付けたいとの相談を受けた時に、すぐ佐藤さんに連絡を取りました。輸送費を入れても、日本で製作する場合の約3分の1以下の値段とすこぶる魅力的。お話を進めて貰いました。
女史の日本出張が間近となり、その際には詳細を打ち合わせましょうと言っていた矢先、新聞でその訃報に接してびっくり。一緒に出張することになっていた方が、どうもおかしいと連絡を取ってみたら、お一人暮らしのアパートでお亡くなりになっているのを発見したとのことでした。
日本で関係者による先生を偲ぶ会も無事終わったところで、はたと困ったのが先生にお願いしていた鐘のメーカーの名前も連絡先も不明なこと。幸い、先生からのファックスに添えられていた図面の欄外にそのメーカーのファックス番号が小さく印字されており、ようやく連絡が取れました。かくしてスペックの詳細も確定。いよいよ代金を前支払いする段になって、たまたまインスブルックにあるその工場を訪れる機会を得ました。
チロリアン航空の小型ジェット機が、雪を頂くアルプスの峰々に抱かれた小さなインスブルック空港に到着。そこからタクシーを飛ばして、市内へ。お店と博物館、事務所兼住居となっているグラスマイヤ社の建物はすぐに分かりました。
要件を告げると、現れたのは輸出担当のヨハネス。とても好感の持てる青年で、裏手にある工場を案内しながら会社の説明をしてくれました。親族6人で経営する町工場ながら、従業員は55人、年商は8億円とか。1599年創業のヨーロッパでも1、2を競う老舗の鐘のメーカーで、彼が14代目。今でも現役で鳴っているグ社の鐘のうち、最も古いものは1635年製で、南チロルにあるそうです。
1つの鐘の音は50以上もの成分音から成っており、仕上がった鐘の音色の善し悪しは微妙な鐘の形状と材料の錫と銅の混合割合にあり、それがノウハウのようです。平時は鐘作りに専念するものの、戦争になれば大砲作りに変身。平和が戻ればまた鐘作りと、いつでも仕事はあったようです。こうした歴史のためでしょうか、この会社では、「平和」がキーワード。1つ1つが手作りの鐘の鋳型に金属を溶かし込む時には、その鐘の音を聞く人々に平和と祝福があるようにと必ず司祭を招いて祈るそうです。また、工場の中庭には、「平和」という言葉が54カ国語で刻まれた重量2.5tの大きな鐘が置かれていました。
所用が済むとヨハネスが市内を案内して呉れた上、有名な「黄金の小屋根」の前のテラスでお昼をご馳走して呉れました。彼のご両親も加わって遠く東洋からのお客への懇ろなもてなしでした。
さて、1999年の春、久しぶりにヨハネスからの手紙が舞い込みました。グ社の創業400年となるのを記念して行う「世界に響け平和の音」キャンペーンに参加しないかとのお誘い。世界平和を祈念して、異なる時間帯の50カ国から選ばれた鐘を一定の時刻(午後7時)に鳴らそうというもの。5月7日午後7時にインスブルックで鐘を鳴らし始めてから、順次、1時間毎に西へ西へと移動して行き、日付変更線を越えたら、今度はその時間帯の5月8日午後7時に鐘を鳴らすこととし、インスブルックまで戻ったところで、同じ時間帯に属するヨーロッパ各地から集められた鐘を一斉に鳴らそうという趣向です。インターネットに載せ、マスコミにも流すということでしたが、どんな結果だったか、残念ながら遠い日本からでは把握できませんでした。
甲斐 晶(エッセイスト)
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