モーツァルトの住家
ザルツブルグは、私の好きな町の一つです。イスタンブール、ナポリと並んで世界で最も美しい都市三つの中に挙げる人もいます。
学生時代、今から30年以上も前に、英国留学の帰路に立ち寄ったのが初めて。 定番のモーツァルトの生家を訪れ、その余りの質素さに驚いたり、ゲトライド・ガッセの趣向を凝らした判じ物のような看板に興味をそそられたりしました。
また、ミラベル宮殿の端正な庭園越しに遠くそびえ立つ城塞、ホーエンザルツブルグ城の姿に惹かれ、ケーブルカーで登った城塞の上から眼下に広がる眺望を堪能。大聖堂を中心とする旧市内の瀟洒な町並み、不思議に
緑白色のザルツアッハ川の流れ、アルプスを彷彿させるような急峻な近くの峰々の姿が今でも印象深く心に残っています。
その後、2度にわたるウィーン赴任中にも、春夏秋冬の折に触れ何度もザルツブルグを訪れたり、知人や友人たちを案内したりしましたが、その度に新たな発見をし、自然と歴史と芸術が融合したザルツブルグの美しさに魅了されました。
特に好きなのは、現在美術館となってしまったカフェー・ヴィンクラーからの眺めです。旧市内の半分を包むようにそそり立つメンヒスベルクの岩盤をくり貫いて造られたエレベーターで昇ると、そこがカフェー・ヴィンクラー。そのテラスから、ホーエンザルツブルグ城をバックに、大聖堂を始めとする旧市内の種々の教会の塔や屋根が競い合うように並ぶ姿はとても美しく、いつまで眺めていても飽きませんでした。モーツァルト没後200年記念レクイエム公演を聴きに訪れた際にそこから撮った、雪降る中に幻想的に浮かぶ旧市内の写真。時折、部屋に飾って見る度に、ザルツブルグの素敵な思い出が新たになります。
さて、旧市内にあるモーツァルトの生家ほどの人気はありませんが、生家が手狭になったために一家が転居し、その後7年間にわたって住んだ住居、「モーツァルトの住家」がザルツアッハ川右岸、旧市街の外のマカルト広場にあります。
第2次世界大戦中の空襲で破壊され、その後、一部修復されてはいましたが、だだっ広い部屋にピアノがぽつんと置いてある程度の展示物。訪れてもあまり感激が少ない、みすぼらしいものでしたが、住家の所有者、国際モーツァルテウム財団が1989年以来、復元事業を開始し、世界各国の篤志家からの寄付を得ました。モーツァルトの時代の姿にようやく甦って、彼の240回目の誕生日、1996年1月27日に一般公開。丁度この年の4月に、チェルノブイリ事故後10周年記念の専門家会合がウィーンで開かれ、これに出席したついでに、週末を利用して修復なった住家を訪れて見ました。
入り口を入ると、以前に比べとても明るい感じに仕上がっています。玄関ホールの壁には、復元事業に多大の貢献をした第一生命の単独の銘板や寄付をした個人・企業・各国のモーツァルト協会などの名前を刻んだ2枚の大理石の銘板が取り付けられています。総額380万円を寄付した日本モーツァルト協会の名前もちゃんとあります。
展示品も以前より充実。指定のポイントに立つと英語の解説がFMで聞ける装置を貸してくれるのでとても便利です。室内の装飾も天井、壁、床、シャンデリアまで往時のままに再現。あの有名な「モーツァルト一家の肖像」 も壁に掛けられています。モーツァルトとお姉さんのナンネルがピアノを連弾。その横にバイオリンを持つ父レオポルトが座り、壁には、既にこの世を去った母マリア・アンナの肖像が掲げられている構図のものです。
旅を続けたモーツァルト親子の欧州各国の足跡などハイテクを駆使したディスプレイやSONYの高級機種を用いたオーディオルームなど愛好家から見てもとても興味深い展示となっていました。
ただ一つ難を言えば、くだんのFMによる解説装置。ドイツメーカーS社のものでしたが、指定のポイントに立ってもいつも解説の途中で、初めに戻るまで待たなくてはなりません。また、指向性のせいなのでしょう、展示物をよく見ようと体を動かすと次のポイントからの音波と混信。フラストレーションが高まります。これを日本の技術で改善すれば大いに喜ばれると思うのですが・・・。
甲斐 晶(エッセイスト)
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