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スロバキア出張

 10年ほど前になりますが、3月末にIAEAとスロバキア原子力規制庁(UJD)との共催による中・東欧諸国の規制当局とメディアを対象にした原子力安全と広報に関するセミナーがスロバキアの首都ブラチスラバで開催され、私もこれに参加しました。Dsc11391

 Bratislava1 ブラチスラバは、ウィーンの西方、約60kmにあり、オーストリア・ハンガリー二重帝国時代の前にはハンガリー王国の首都だったこともあります。その地理的・歴史的な関係から、チェコ共和国のプラハと同様に、どことなくハプスブルグ朝の影響を感じさせる佇まいがあります。Sk_3

  スロバキア(国旗:右上)という国は、日本人には、あまり馴染みがなく、 スロベニア(国旗:右中)Si_2 と区別が付かない方も多いことでしょう。1991年に中・東欧を吹き荒れた民主化の嵐の中で、いわゆるビロード革命によってチェコ・スロバキア共和国として旧ソ連の支配下から独立。Cz_2 その後、民族的自立を求める民意によって、1993年にチェコ(国旗:右下)から分離独立しました。

 ところで、スロバキアには、運転中及び建設中の原子力発電所がそれぞれ1つづつあり、電力需要の半分以上を担っています。ところが、独立前にこれらの建設、運転、安全規制に当たっていたのは、そのほとんどがチェコ人。(基本的には、チェコが工業国、スロバキアが農業国の役割を担っていました。)独立したのは良いのですが、原発技術者の養成、安全規制体制の確立を急遽ゼロから始めざるを得ませんでした。しかもその炉型は安全性に問題のある旧ソ連型でしたから、これらの責務に加えて安全性の向上作業も行わなくてはならず、このため日本を含む西側諸国の強力な支援が行われました。

 Img33273838 ブラチスラバを訪れたのは、実に8年ぶり。当時は、共産圏時代で出入国のチェックが厳しく、あちらで安く求めたボヘミアグラスを国境で咎められないかと冷や冷やものでした。共産圏時代には、町を行く人々もどことなく暗くて陰鬱な雰囲気。また、建物や交通機関のメンテナンスは余りなされておらず、どことなく薄汚れた風情。今回、それがすっかり綺麗になっていたのには、驚きでした。西側の企業の進出も目覚ましく、情報・通信、自動車などのメーカーのオフィスや広告をあちこちに見かけました。マクドナルドも旧市内にあって、結構、流行っているようでした。P5042086

 しかし、あれ程安かった物価も民主化・独立後に急騰。5倍ぐらいになっているのでしょうか。しかし給料はそんなに上がっていないので大変だ、というのがUJD職員の率直な感想。それでも、市電の料金が約30円、ホテルの朝食代が400円ですからまだまだ安い感じがします。会議参加者と中華料理屋(世界中どこに行ってもあるのです)で夕食を摂ったのですが、たっぷり飲み食いしても一人当たりわずか1600円でした。P5040086

  民主化によって人々の思考パターンが一朝一夕に変化したわけではなく、原子力広報担当者にもそれなりの苦労があるようです。彼らが強調していたのは、市民に対し、まず、「自分なりの意見を持っても良い」ことを認識させること、次に、「公的な機関が市民に何か進んで知らせるということは、必ずその裏があって、何か隠しているか、発表内容は真実ではない。」との共産圏時代に醸成された誤った認識を打破することでした。410_323_bohunice02

  セミナーの一環として、ボフニチェ原発を視察しました。4基の旧ソ連型軽水炉WWER440があり、そのうちの新しいもの(413 V2)のタービンホール、制御室、原子炉室を案内されました。V2は、インフォメンションセンターから5kmも先にあるほどで、広大な敷地に、巨大な冷却塔が並んでそびえ立っているのが印象的でした。まだ花は咲いていませんでしたが、建物の周りにはチューリップが植えられており、建物内部のハウスキーピングや放射線管理も良好に見えました。

 ただ、中央制御室で、運転員の緊張を和らげるためなのでしょう。ポップ調のBGMが常に流れていたり、プラント・パラメータの表示用CRT上に、ビキニ姿の女性の画像が出ていたのには、びっくりしました。運転員の注意力を散漫にするようなことは、日本では到底許されないことです。

          甲斐 晶(エッセイスト)

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