エリザベート
1998年4月25日、アン・デア・ウィーン劇場において、丸5年以上にわたってロングランを続けてきたドイツ語のミュージカル「エリザベート」が大好評のうちに千秋楽を迎えました。
「エリザベート」は、シッシィ(Sisi)の愛称で親しまれた、美貌のオーストリア皇妃の悲劇的な半生を描いたミュージカルです。彼女のお姉さんとその従兄弟、若きオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフとのお見合いの場に居合わせた彼女が、皇帝に見初められ、お姉さんに代わって皇妃に選ばれたことから、その数奇な運命が始まります。
その時、彼女はわずかに16才と3ヶ月。しかし、おとぎ話のように甘いはずのロマンスもじきに辛いものに変わってしまいます。自由奔放に育ったシッシィにとって、ウィーン宮廷の厳格な礼儀作法・しきたりには、うんざり。叔母さんである姑のゾフィー皇太后や宮廷員達との仲も最悪です。きらびやかな籠の中にあって窒息しそうになり、宮廷の務めや夫から逃れる方便として急病になるコツを直に修得。これらに時間を費やす代わりに、自分のスリムな容姿や美しく長い髪の手入れ、詩作、乗馬などに費やしましたが、それでも彼女の心に安らぎは、もたらされませんでした。
いつも大きなメランコリーを感じていたシッシィは、ヨーロッパを端から端まで常に旅し続けることによって、これを紛らわそうとしました。そして1898年、そうした旅の途上、レマン湖畔で、イタリア人無政府主義者、ルケーニによって暗殺されてしまうのです(右:暗殺場所の記念碑)。
ミュージカル「エリザベート」は、過去100年間にわたって煉獄で続けられているルケーニ(写真:右)の審問で始まります。「なぜ彼女を殺したのか」との尋問に対して彼は、「彼女は、『死』(トート)と恋仲にあり、彼女自身が死を望んでいた。」と主張し、「『死』が彼にナイフを手渡したからだ。」と自分の行為を正当化します。そして、彼が狂言回し役となってミュージカルが展開。色々なエピソードを交えながら、真に自立を目指した女性としてのシッシィ像が描かれて行きます。
M・クンツェの詞とS・レバイの曲による音楽は、「キャッツ」などを手がけたA・ロイド=ウェーバー風の名曲揃い。特に、シッシィが歌う主題曲、"Ich gehoer nur mir"(私は、私だけのもの) は、『死』と彼女が舞う場面での曲、"Der letzteTanz"(最後のダンス)と並ぶ珠玉の名曲です。また、ジャッキによってそれぞれが上下に独立して動く8分割の舞台全体が回転するようになっていて、場面展開に応じて複雑に動き、圧倒させられます。さらに、舞台構成や演出の面でも色々なアイデアが盛り込まれており、見ていて大いに楽しめます。
観客は、断然若者が多く、特に、千秋楽のこの日には、舞台と観客が一体となっていました。開演前、客席にオリジナル・キャストが現れると熱狂的な歓声と拍手。舞台に主役が現れても同様です。一曲歌い終わるごとにキャー・キャー、ワー・ワーと大騒ぎ。これがマナーにうるさいウィーンの劇場なのかといぶかしくなるほどでした。
実は、このミュージカルは、日本とハンガリーでもそれぞれの国の言葉とキャストにより公演されました。 日本では、宝塚歌劇が2度ほど行いましたが、全く宝塚風にアレンジされ、オリジナルとは似て非なるもの。何しろフィナーレには、主役がそれぞれカーニバル風の羽根飾りを背中に背負って、電飾階段に登場。最後は、タイツ姿で黄色い声を上げての宝塚恒例のラインダンスでした。 ウィーンの千秋楽の舞台では、メインの公演が終わった後、間髪を置かずに余興として、オーストリア、日本、ハンガリーそれぞれのエリザベート役3人とオーストリア、日本の『死』(トート)役2人がそれぞれの言葉で競演。 日本版トート役は、元宝塚雪組トップの一路真輝でしたが、宝塚風の衣装と振り付けで「最後のダンス」を唄い終わると、客席は、万雷の拍手に沸いていました。
この年の9月10日は、エリザベートがジュネーブ湖畔で暗殺されてから丁度100年目。これを記念してウィーンでは、エリザベートにゆかりの3ヶ所の宮殿において展示会が行われました。
甲斐 晶(エッセイスト)
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