地球の裏側
11年前に初めてアルゼンチンを訪れました。地球の裏側だけあって、我が家を出てからブエノスアイレスのホテルにチェックインするまで、ニューヨーク経由で、実に40時間の長旅でした。
ブエノスアイレスにはアルゼンチンの総人口の約4割弱、1200万人が住むほどの首都集中。目抜きの7月9日大道りは24車線で幅が140mもあって、世界一幅の広い通りなのに車が一杯。その排気ガスのお陰で、ブエノスアイレスは「きれいな空気」という名にはほど遠い大気汚染状態でした。
街にはプジョーのタクシーが多く、極めて安くて、夜遅くまで流していてとても便利。料金をごまかされることもなく安心して乗れます。ただし、人も車も信号などお構いなしなのは極めてラテン的です。しかし、タクシーでさえ信号が青から黄色に変わるとちゃんと停止。東京とは大違いと感心したのですが、実は、黄色に変わるとすぐ横から車が見込み発進してくるからで、東京と同じように黄色で交差点に突っ込めば大事故は必至。実に「ところ変われば・・・」と言った感じでした。
南米だからインディオや黒人が多く、治安も悪いのではとの先入観があったのですが、実際にアルゼンチンを訪れてみると違っていました。基本的には白人社会で、イタリア、スペイン、イギリス、フランス、ドイツ系が人口の97%。治安も極めて良く、真夜中過ぎに劇場がはねてから、女性が一人歩きでホテルに戻る姿を見かけたほどです。 ヨーロッパの古き良き伝統が残っている感じです。軽い昼を食べに、とある喫茶店に入った時のこと、そんなところでもお客がちゃんと背広にネクタイ姿なのには驚きでした。また、夕食が始まるのは夜の9時過ぎからで、食べ終わると真夜中を回ってしまいます。かと言って、翌朝はちゃんと9時から仕事が始まり、スペインのようにシエスタの習慣はなさそうです。これでは慢性の寝不足。これに時差も重なって、あちらにいる間は、連日4時間ほどの睡眠しか出来ず、閉口しました。
アルゼンチン人はとても陽気で親切との印象を受けました。仕事で一緒だった英国人が、アルゼンチン人について、「英国人のように考え、スペイン語を話す、イタリア人なのだ」と評していましたが、けだし名言です。
しかし、優雅に見える彼らの生活も、当時の不景気、15%にものぼる失業率のお陰で現実には厳しいものがあり、過去の栄光に生きている面もあるようです。実際、そんなコメントをかの有名なコロン劇場でたまたま隣り合わせになった老婦人の口から聞きました。
コロン劇場はミラノ・スカラ座に次ぐ世界で2番目に大きな劇場で、これにパリ・オペラ座を加えたのが世界3大歌劇場。1908年にイタリア・ルネッサンス様式で建てられた劇場内は、馬蹄形のフロア席と側面に6層の観覧席があり、4500人もの収容力を有します。黄金の渋い光を放つ観覧席側面の装飾と深紅のビロードの椅子がバロックの雰囲気を醸し出しています。バルコニー席に設けられた照明の電球は花の形のカバーに収められていて、華麗な花が咲き乱れた感じ。天井にはアントーニオ・ベルーニ作の瀟洒なフレスコ画が描かれ、その周りにはベルディやドニゼッティなど16人の有名な作曲家の名前が記されていました。
当日の出し物は、ロシア・ザンクトペテルブルグからやってきたキーロフ・バレーの白鳥の湖。ソ連時代、まだレニングラードと呼ばれていた頃に彼の地を訪れ、その優雅な「クルミ割り人形」を見て、感激したことがあります。今回、彼らは南米での初公演。たまたま私も地球の裏側のブエノスアイレスに居合わせ、その公演を再び堪能することが出来ましたが、遠い地の果てで知己に巡り会ったような感じがしました。
ところで東京とブエノスアイレスとの時差は丁度12時間で昼夜が全く逆転。こうなると東回りでも西回りでも時差の影響は全く同じはずなのに、東回り(アルゼンチンに行った時)の方が、西回り(日本に帰ってきた時)よりも深刻でした。どうも時差が抜けないまま帰国してしまったようで、適応力の無くなった自分に齢を感じています。
甲斐 晶(エッセイスト)
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