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サマー・タイム考

ある年のこと、3月の下旬にイースター(復活祭)の連休でイタリアを家族旅行していました。ローマ、ピサ、フィレンツェ、ミラノと名所、旧跡を巡っての旅の終りに水の都、ヴェニスヘ。日曜日の午前中の見物が一段落し、サン・マルコ広場でひと休みしながら、有名なムーア人の時計塔を眺めているときでした。Location2_b

 毎正時に2人の青銅製のムーア人が出てきて鐘を鳴らすので、これを見ようと沢山の見物客が集まっています。定刻となり機械仕掛けのムーア人が鐘を叩いたのですが、正午なので12回のはずなのに1回しか叩きません。これは変だ、と思い、近くのイタリア人に“Kaputt?”(壊れているのか)と尋ねました。(このカプットという言葉は大変便利です。本来はドイツ語なのですが、戦争中にドイツ兵によってヨーロッパ各地に広められたらしく、今やヨーロッパのどこの国でも通じます。)

 Clockvenezia13 すると“Uno ora avanti"という答えが返って来ました。イタリア語の素養がないので、何のことか分からず一日舜慌てましたが、窮すれば通ずです。“uno”は“unoduetre123)”と数えますから数詞の「1」です。“avanti”は交差点で歩行者用信号が青になると、この文字が出てくるので「進め」でしょう。残りは“ora”ですが、これは相手がしきりに腕時計を指しながら説明しているので、時間のことのようです。結局、「1時間進んでいる」との意味で、ようやくその日から夏時間(サマー・タイム)に変わったことに気が付きました。

 旅行中でテレビやラジオと無縁の生活でしたから、この情報は大変貴重でした。翌日は早朝に列車でオーストリアに発つことになっており、夏時間に変わったのをそのまま気がつかずにいたら、危うく列車に乗り遅れるところだったからです。250pxbegin_cestsvg

 このサマー・タイムは夏の間、日中の時間をよく利用するために時刻を常時より1時間進める方法で、第1次世界大戦中の1916年にドイツが経済上の理由から最初にこれを採用。次いで同盟国のオーストリアもこれに倣いました。

 実は初めてこの方法を考えついたのは英国人のW.ウィレットで、1908年に英国議会に「日光節約法」(System of Daylight Saving)を上程しましたが結局は廃案に。しかし1916年に敵国が採用するに及んでこの法案が復活して可決され、さらにフランス、イタリアなどの連合出側も採用。その後様々な変遷を経て、現在では70ケ国以上が実施中で、先進国で未実施なのは白夜で時間をずらしても意味が無いアイスランドと日本のみとか。

 しかし夏時間の実施の時期は世界中で画一ではなく、地域によって異なるので注意を要します。米国、カナダなどの北米諸国では3月の第2日曜日から11月の第1日曜日までなのに対し、英国、アイルランドでは3月の最終日曜日から10月の最終日曜日までと、開始が2週間、終了が1週間のずれがあります。

したがって3月下旬や10月下旬に欧米間を旅行する際には、移動先での夏時間の実施の有無による相違に加えて時差も考慮して時計合わせをしなければならず、とても複雑です。

 わが国でも戦後の一時期(194852年)に夏時間(当時は4月の第1土曜日の午後12時から9月第2土曜日の翌日の午前零時までを1時間進めた)が導入されましたが、結局定着しませんでした。しかしサマー・タイムの実施によって①照明、冷房の需要が減って省エネ効果がある、②仕事後の余暇活動の幅が拡がるなどとして、再び夏時間導入の動きが最近見られます。

 しかし低緯度に位置し、高温多湿な気候の日本と、高緯度に位置して冬季の日照量が少なく、昼夜の温度差が大きい欧米諸国との気候風土の差を捨象して導入の是非を論ずるのは適当ではありません。また勤務時間彼の余暇が増えると言っても、アフター・ファイブの拘束が多いわが国の労働環境や通勤に長時間を要する住宅環境を改善し、手頃な余暇設備を増やすなど、サマー・タイムの恩恵を享受するための環境整備が先決でしょう。            甲斐 晶(エッセイスト)

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