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国歌あれこれ

Jp 村山政権の発足後、社会党は「日の丸」や「君が代」が国民の間に定着したとしてこれまでの姿勢を見直しました。しかし最近の若い世代には、「君が代」は大相撲千秋楽の表彰式の歌としか思っていないむきもあります。

 Br 君が代」は僅か13小節と短いので、覚えるのに大して苦労はありませんが、ブラジルの国歌は第Ⅰ部だけでも39小節の長編。さらにこれに第Ⅱ部が加わり、余りにも長すぎて誰も覚えていないということです。

 誰でも知っている外国国歌と言えば、まず英国のGod Save the QueenKing)”(神よ女王(王)を守り給え)でしょう。Uk これも14小節と短めです。本来は3番まであるのですが、現在もっぱら歌われるのは1番だけです。歌詞の“save”は本来「救う、救済する」という意味ですが、チャールズ皇太子を始め、息子達のスキャンダルに悩むエリザベス女王にとっては今や相応しい歌詞のようです。

 世界の国歌の中でも最古と言われる英国国歌だけあって、その作詞、作曲者は残念ながら不明ですが、多くの国の国歌などに影響を与えました。スウェーデン、プロシヤ、ワイマール、ロシアなどではかつてこの曲が国歌として使用されたほか、独立前のアメリカの植民地で歌われ、アメリカ合衆国が成立し、後述の「星条旗」が国歌として使われるようになった後でも別の歌詞が付けられ、現在では“America”として引き続き歌われています。

 またハイドンは英国滞在中にこの国歌に接し、祖国オーストリアにも国歌があればと考え(当時オーストリアはナポレオンの脅威下にあり、祖国の士気高揚のために国歌が必要と判断したようです)、帰国後の17971月「皇帝賛歌」(神よ皇帝を守りたまえ:Gott, erhalte Franz den Kaiser!)を作曲。At この名曲は長らくオーストリアの国歌として親しまれましたが、第二次大戦後第二共和国の誕生にあたって新しい国歌を選定することになり、公募の結果、今度はモーツァルト作曲の曲に、やはり公募の歌詞を付けたものが採用されて今日に至っています。毎夜公営TV放送の番組終了時に、風になびく国旗の映像と共にこの国歌が流されます。

1922年にはドイツもハイドンの「皇帝賛歌」を国歌として採用。De 当初の歌詞はフォン・ファレスレーベンの詩(1841年)の第一節、“Deutschland ueber Alles”(これは本来、ドイツ統一達成の標語、「総てに優先してドイツ(統一)を」なのに、あえて「世界に冠たるドイツよ」の意味を持たされた)でした。第二次大戦後の1950年に歌詞はその第三節だけに変更されましたが、曲の方は東西統一後もそのままです。

 Us さて米国はどうでしょう。米国水泳陣が世界を席捲していた頃、その国歌「星条旗」はオリンピックの表彰式の歌だと思っていた人もいた程ですから、これまた馴染み深いはずです。ただその歌詞がフランス国歌のラ・マルセイエーズ同様、戦闘をモチーフにしているのを知っている方は少ないでしょう。

1814年の米英戦争の時のことです。913日、英国艦隊がボルチモアのマックヘンリー要塞を砲撃。英国軍によって船上に身柄を拘束されていた弁護士キーら3人のアメリカ人達は、この要塞はとても英国軍の攻撃には耐え得ないと覚悟しつつ、昼夜に渡る激しい戦闘を海上からつぶさに目撃。翌朝、朝霧(あさもや)の切れ目の中に、Starbanner依然として要塞の上に勇荘に翻る星条旗の姿を見て感動したキーがその感激を書き留めて詩にします。これを当時流行っていた乾杯の歌、「天国のアナクレオン」の曲で歌ったのが国歌「星条旗」の由来です(当時の星条旗の星の数は15でした:上図参照)。

 この原曲は実は英国人J・スミスの手になるものなのですが、このメロディーはオペラ「蝶々夫人」の中で、プッチーニが米国士官ピンカートンの心情を描くのにも使っています。それに対して蝶々夫人を描くのには官軍の行軍歌「宮さん、宮さん」(midiファイル)が使われているのは興味深いところです。当時「君が代」は国外には知られていなかったのでしょうか。

      甲斐 晶(エッセイスト)

                                       

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