カー・ウント・カー
オーストリアの老舗には名前の前に「K.u.K.」(ドイツ語読みでカー・ウント・カー)という名称が付く場合があります。例えば、有名な菓子店、デーメルの場合、“K.u.K. Hofzuckerbäcker Demel”( K.u.K.宮廷菓子司デーメル)が正式な名称です。
この「K.u.K.」は、日本で言えば「皇室御用達」、英国なら“the Royal warrant”に対応する名称で、“Der kaiserlicher und königlicher Hoflieferant”(皇室・王室御用達)のことです。なぜ、皇室と王室と二重になっているのかは、オーストリアの歴史を紐解く必要があります。それは、オーストリア・ハンガリー二重帝国に由来するのです。
現在の中欧ほぼ全域とイタリアの一部を版図に収めていた多民族国家であるオーストリア、ハプスブルグ帝国は、有名なフランツ・ヨーゼフⅠ世(1830-1916)の時代に、領内各地で民族独立の動きが激しくなります。
事実、ハンガリーでは、貴族を中心とする独立闘争が続けられ、1848年の革命で一時独立を宣言しますが、結局、鎮圧されてしまいます。 一方、スラブ系諸民族の独立運動にも悩まされ続けていたオーストリアは、1866年に普墺戦争に破れると、非スラブ系であるハンガリー人貴族たちと妥協。ドイツ人とハンガリー人によるスラブ系諸民族の支配を図るため、1867年にハンガリーを立憲君主国に昇格させるとともに、その国王をハプスブルク皇帝が兼任する、オーストリア・ハンガリー二重帝国を成立させたのです。
現在でもこの特権的な“K.u.K.”の名称を用いているお店の業種は多種多様で、Ankerbrot(パン)、 Bösendorfer(ピアノ)、Augarten(磁器)、Freytag & Berndt(地図出版)、L. Heiner(菓子)、A. Heldwein(宝石)、Lobmeyr(ガラス器)、E. Sacher(菓子)、“Zum schwarzen Kameel”(レストラン)、“Zum Weißen Storch”(薬局)といった具合。その多くは、目抜きのGrabenやKörntner通りにあります。
ただ最近、これらの老舗が高騰する家賃のため廃業する例があり、Grabenの高級紳士服店、E. Braun & Coも庶民的な婦人服店H&Mに替わってしまい、大いに嘆くウィーン子も多いのです。
さて、一昨年3月赤坂に、その名も「カー・ウント・カー」というオーストリア料理のお店が開店。小泉前総理大臣も官邸から抜け出して、お出かけになったことが新聞報道されたりしました。
シェフは、弱冠30歳の神田真吾氏で、一生に一度しか受験できないという超難関のオーストリア国家公認料理マイスター試験に、2004年5月、日本人で初、いやヨーロッパ人以外で初めて合格された方です。
如何に難関かは、ご本人の体験談をまとめた「世界のマイスターをめざして」神田真吾著(創美社)に詳しいのですが、筆記試験は16科目。料理だけでなく、語学、栄養学、簿記などの知識も求められ、実技試験は5日間にも及びます。しかも実技では、自分で料理を作るのではなく、くじ引きであてがわれた助手をどう上手く使いこなして料理を完成したか、その「親方」としての資質が問われるのです。
日墺協会主催の夕食会が「カー・ウント・カー」で開催された際に、直接、神田シェフからご苦労話を伺いました。やはりオーストリア料理に適した食材探しが、一番の悩みのようで、日本では魚類は最高なのですが、牛肉は脂身が多く、オーストリアの味に近づけることが出来ないそうです。
レストランは黒とダーク・ブラウンを基調とした大変落ち着いた佇まいで、ウィーンの雰囲気そのもの。食器類はK.u.Kの称号を有するAugartenとLobmeyrのものを使用。お料理も全てが本物志向で、ウィーン料理がこれほど洗練され、上品なものだったかと、改めて感服しました。ハプスブルグ家の宮廷料理はフランス料理の流れを汲んでいるようです。
お店の名前は、共同経営者で神田シェフが師と仰ぐ、我が国初のオーストリア国家公認お菓子マイスター、栢沼稔氏のイニシャルもKであることに由来するとか。素晴らしい料理を堪能した夕食会の参加者からは、“Kultur und Kunst”(文化と芸術)の略でもあるとの賞賛の声が聞かれました。 甲斐 晶(エッセイスト)
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