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オーストリー騒動

 At 我が国においては、オーストリアとオーストラリアは、良く混同されます。 英語では、それぞれ、AustriaAustraliaで、発音上は、前者がーストリアで後者がオーストィリアと下線部にアクセントがあり、語尾の子音もRとLと異なるのでAu混同されることは余りないようです。しかし、表記上は微妙な違いなのでやはり混同されるようです。ウィーンに住んでいた頃、日本から投函された我が家宛の郵便物がまず南半球のオーストラリアに送られ、そこで「誤配達」のスタンプを押された上で、ウィーンまで転送されてきたことがありました。こうした間違いは日本からの郵便物に限らず他の国からのものでも多いようで、シドニーには、そうして誤配された郵便物を専門に取り扱う郵便局があるとか。この誤配を避ける工夫として、Austria (Europe)とか、オーストリア(ヨーロッパ)と補筆することをお勧めします。

Austria そもそも、オーストリアとオーストラリアは語源的には全く無関係です。前者は、ドイツ語で東方の帝国を意味する”Österreich”に由来するのに対し、後者は、ラテン語の「南の地」、terra australisが由来です。しかし、そう言って見たところで、オーストリアとオーストラリアの混同は避けられません。Australia_map 実害を受けているのは、大使館関係者のようで、オーストリア大使館には間違って尋ねてくる人のためにオーストラリア大使館への道順を示す地図が用意されているそうです。大使館への間違い電話は勿論のこと、手配したリムジンにオーストラリア国旗が付いていたこともあったとか。

Moser2 騒動の発端は、昨年10月のことでした。同国大使館のホームページに、モーザー駐日「オーストリー」大使とラーシャン同大使館商務参事官名で、 オーストラリアとの混同を避け、違いをより明確にするため、国名の日本語表音表記をオーストリアからオーストリーに変更すると発表したのです。I01「オーストリー」とする根拠として、日本では19世紀から昭和20年まで「オウストリ」と表記されていたことを挙げています。すなわち、我が国初の本格的な国際地理誌「萬國地名往来」(明治6年発行)で同国は「ヲウストリ」とされており、翌年開催されたウィーン万国博覧会も開催国「オウストリ」と宣伝されました。英語読みの「オーストリア」が主流となったのは第二次大戦後なのです。Bankoku Bankoku2

この発表がマスコミに取り上げられたことから、大きな反響を呼びます。発表後1週間で同大使館のホームページのヒット数は10万を越え、大量のメールが寄せられました。商務参事官によれば呼称変更に否定的なものは1通もなかったそうですが、逆に、原語に近い「オーストリヒ」や「エストレイヒ」としてはとの提案があったそうです。一方、ヤフーがネットで呼びかけた投票では、「オーストリー」への呼称変更に対する日本人の賛否の意見は相半ばでした。

Photo ところが、意外にも身内から反旗が翻ったのです。ヤインドル「オーストリア」政府観光局長兼ウィーン市代表は、①「オーストリー」の名称は時代錯誤である、②戦後再興した同国は当時から「オーストリア」と称されている、③爾来、日本の学校では「オーストリア」と教え、この名称が公に定着している、④混同がよりひどい米国においてさえ、呼称変更の提案はない、⑤呼称変更に伴う経費は膨大であることなどを理由に、「名称変更に関する計画は無意味」で、賛同しないと宣言しました。どうも根回し不足だったようです。

モーザー大使の離任が間近だったこともあったのでしょう。結論は以外に早く出されました。昨年1123日付けで「オーストリアの公式日本語表記変わらず」との同大使の声明がホームページに出されました。また、ラーシャン商務参事官も商務部のホームページ「今後も『オーストリア』はÖsterreichの公式名称として使用されます。また、国名の公式変更の申請は現在のところ行われておりません。」と表明しました。でもその肩書きを依然として「オーストリー」大使館商務参事官としていて、いささか未練がましく映ります。 甲斐 晶(エッセイスト)

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