SERVUS!

娘が、私にとって初孫となる長男を出産したのを機会に、その成長記録のブログを始めたのに刺激されて、私もブログを始めて見ようと思い立ちました。現在、ある機関誌に「SERVUS!」という主にオーストリアやウィーンの事物、そこでの異文化体験などを綴ったエッセイを連載しています。書き始めたのが1994年ですから、かれこれ13年になります。そこで、これまで書き溜めたものの中から、これから少しずつご紹介しようと思います。

 

さて、このブログのタイトルをエッセイのタイトルと同じ「SERVUS!」(セアヴス)としました。これは、南ドイツやオーストリアで日常的に交わされる挨拶の言葉です。極めて親密な間柄の人たちの間でなされる、とても気軽な挨拶で、「こんにちわ」にも「さようなら」にも使える大変便利な表現です。英語では、出逢ったときの「Hi!」や、お別れの時の「Cheerioh」(英俗語)や「Bye!」といったところでしょうか。

 

では、次回まで、「SERVUS!」。 甲斐 晶(エッセイスト)

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三都物語(1)

 2月下旬にオーストリア、ハンガリー、チェコの3つの首都、ウィーン、ブダペスト、プラハを訪れました。これらは、かつてハプスブルグ家の版図内の古都で、これら三都を巡る「三都物語」と称するツアーは、ハプスブルク家の繁栄や芸術、中世の建築美を堪能できる、優雅な周遊旅行として人気があります。しかしながら、今回、そのツァーに参加してこれらの都市を訪れた訳ではありません。EU域内の原子力発電所におけるテロ攻撃やサイバー攻撃に対する防護対策の現状を調査するための出張でした。(以下、画像をクリックすると拡大表示されます。) 

 Wins_logo まず、ウィーンでは、市内にあるWINS(World Institute of Nuclear Security:世界核セキュリティ協会) の本部を訪問し、担当者からWINSの事業内容の説明を受けました。核セキュリティとは、核物質や放射性物質、その関連施設や輸送を対象とした、テロ行為などを防止し、検知し、対応することです。WINSは核セキュリティ対策を専門とする国際的なNGOで、核セキュリティ専門家の育成(WINSアカデミー)やワークショップの開催などを通じて、世界中の原子力事業者や規制当局のセキュリティ文化醸成と能力向上を支援しています。WINSの事業内容を聴取するとともに、ロシアのウクライナ侵攻を受けた、設計基礎脅威を超える脅威の想定、施設内の枢要な設備を熟知し、アクセス権を有する従業員が脅威となる内部脅威への対策、従業員等の身元調査など信頼性の確認、ドローンなどによる空からの攻撃への対策、⑤AIなど先進技術の核セキュリティ対策上の利用、核セキュリティ事象への対応訓練などについて、各国における対応状況について調査を行いました。 

 WINSの本部は、古風な建物の「1階」にあります。しかしながら、各階の呼び方はヨーロッパ式ですので、日本でいう1階はこちらでは地上階(ドイル語では Erdgeschoss、英語では ground floor)と呼ばれ、その上層階が1階(日本式の呼称では2階) となります。ところが、ウィーンの古い建物では、 しばしば、地上階と1階の間にメザニン(Mezzaninne)という中2階が設けられていますから、1階と称していても、実質的には、日本の3階にあたるのです。WINSの本部のある建物でもそうでした。しかも、ウィーンの古い建物では、各フロアーの部屋の天井が極めて高く作られているので、地上階から「1階」までだとしても、建物の中央部にある、らせん階段を歩いて上るのはとても大変です。そこで、こうした古い建物には、らせん階段の中央部を貫通するようにエレベータが設けられています。 

 Opencageelevetoraustria ところが、このエレベータがとても前時代的で、古色蒼然としているのです。写真の例のように、エレベータ本体は鳥かご型で、中からも外からもよく見通せます。エレベータが停止して、各フロアーにあるエレベータの外扉を手で開くと、内扉も連動して開くので乗り込みます。エレベータ籠の中には、現代的なエレベータと同様に、行き先階別のボタンが並んでいるので、その1つを選んで押すと、エレベータは選択した階まで自動的に移動して止まります。そこで内扉を開けると、行き先階のフロアーの外扉が開くので、エレベータ籠の外に出ます。そして、外扉を閉めると、内扉も連動して閉まり、エレベータ籠は次の行き先階に移動して行くのです。(ちなみに、地上階を示すボタンの表示は、「0」または「E」(Erdgeschossから)です。また、英国では、「G」(ground floorから)です。) 

 Stephan さて、WINSでの用務を終えて、夕方のブダペスト行きフライトにチェックインするために市内を発つて空港へ向かうまでに、3時間ほどの自由時間が出来たので、同行者たちを案内して、旧市内へと足を延ばしました。まずは、シュテファン寺院へ。一昔前には、大気汚染のため、石造りの建物全体が黒く煤けていたのですが、その後、レーザーなどの洗浄技術を駆使して磨き上げられ、すっかり綺麗になっており、ウィーンの空にその雄姿が映えていて見事でした。 

 Feh 3時間の限られた時間内に、同行者への市内案内と家内から頼まれた買い物をこなさなければならないので、大変です。シュテファン広場から、まず、目抜きのケルントナー通りの取っ掛かりにあるドラッグストアBIPAへ。ピンクの店名が書かれた看板が目印です。ここでのお目当ては、オーストリア製のポケットティッシュ、「feh」です。クリネックスなどのように、1回使って捨てるタイプではなく、ハンカチのように何度も使用が可能です。しかもお肌に優しく、ほのかにラベンダーの香りがする優れもの。しかもポケットに入れ忘れたまま洗濯機で選択しても、クリネックスの場合のような悲劇的な結果にはなりません。しかも feh のホームページでは、「選択可能」(外部機関による確認済み:30℃、洗濯量3.5kgの場合)と明記されています。同行者たちも、ウィーンに住んでいた私のお勧めなら間違いなしと、職場の同僚用のバラマキみやげとして山ほど購入していました。(オーストリアの公共放送には、日本と違って、企業広告が流されます。そんな中に、feh のコマーシャルが時折流されるのですが、必ず、英語で、"Oh! It's a feh!" とだけの優しい声が響いていたのが印象に残っています。) 

 Paprika-scharf-kotanyi 次いで向かったのが、グラーベン通りの端にある、Julius Meinl。日本の紀伊国屋や成城石井のように小洒落た食品などを豊富に扱っています。ここでのお目当ては、ハンガリー風ビーフシチュー(グーラッシュ:Gulasch、ハンガリー語ではグヤーシュ: gulyás)を作るのに不可欠のパプリカパウダー。日本でも入手できますが、日本では甘口(ドイツ語では"süß")のものしかなく、辛口(ドイツ語では"scharf")のものは手に入りません。(手に入るとしても、輸入の手続きが必要です。)甘口のものは、鮮やかな彩りや風味付けに使用されますが、辛みは全くありません。Puszta-gewurzpaprikascharf 甘口のものでも十分用は足りるのですが、我が家のように辛みが欲しい場合には、辛口のものが欠かせません。シチューに加える分量は、4人分の場合に小さじ約2杯を加える程度ですから、それほど大量には必要ないのですが、次にウィーンに来られるのがいつになるのか分かりません。この際にと、50g入りのパッケージを2つ、100g入りのものを1つ購入してしまいました。2年前に来た際に、100gのパッケージを1つ求めたのが、まだ使い切っていないのですから、これで4、5年は持ちそうです。さすがに同行者たちは、パプリカパウダーは遠慮して、その代わりに、ウィーン土産らしい包装のチョコレートや、コーヒー、紅茶をバラマキ用みやげに多量に購入していました。 

Photo_20260404215604 お土産の調達を終えてから、同行者たちを案内して、グラーベン通りの端を左折して、コールマルクト通りに入り、王宮前のミヒャエル広場へと向かいました(写真出典:まっぷる)。途中、有名な元祖ザッハートルテ訴訟の一方の当事者の菓子店、カフェ・デーメルを覗いたり、

 Lodenplankl 広場の端にある民族衣装の老舗(1830年創業)、ローデンプランクルのショーウィンドウを覗き、ウールを圧縮して作るローデンという生地を用いたコートやジャケットを眺めたりしました ミヒャエル広場では、ローマ時代の遺構を確認しました。この遺構は、1992年に広場の地下に大規模駐車場を建設しようとして掘削を開始したところ、。Photo_20260404215602ローマ時代の遺跡が出てきてしまい、計画が頓挫した経緯があります。紀元15世紀頃の住宅跡や、ローマ軍の宿営地近くの都市構造を示す基礎部分が見られます。(写真出典:https://serai.jp /tour/1004267#google_vignette)

 Photo_20260404215603 王宮のミヒャエル門をくぐると、左側のパッサージュにお土産屋がいくつかあります。その中の1つ、プチポアンのお店、マリア・シュトランスキーを同行者たちに紹介。プチポアンは、18世紀のウィーンで編み出された刺繍技法で、拡大鏡を使用して手刺繡で 1 平方センチあたり 121-225 目のテント・ステッチを施した物です。 目が細かいことから、絵画的な図柄も表現可能なのです。一同、ショーウィンドウに並ぶ品々の精緻で見事なデザインには感心するのですが、その値段の高さにはびっくりした次第です。(写真出典:4travel.jp)

 Photo_20260404215502 王宮中庭からスイス宮に入るスイス門を横目に見ながら、新王宮へ。スイス門は、ハプスブルク家の紋章が描かれ、赤と黒の配色が特徴的な16世紀ルネサンス様式であるのがが特徴です(写真出典:まっぷる)。新王宮の一角は、オーストリア首相の執務室になっていますし、その昔、核物質防護条約の起草会議に参加した際には、その会合が瀟洒な王宮の一室、立派な大理石の部屋で行われていました。Photo_20260404215605 新王宮の前は英雄広場で、ウィーン攻略を試みたトルコ軍を見事に撃退させたオイゲン公の騎馬像があります。あのヒトラー が1938315日、オーストリア併合に際して、この広場をびっしりと埋め尽くす市民に向かって演説を行ったのが、この新宮殿のバルコニーだったことなども同行者たちに説明したりしました。(写真出典:まっぷる) 

 そこから、さらにリング通りを渡り、向かい側のマリア・テレジア広場へ。その両側には、自然史博物館と美術史博物館があります。時間的制約から、両博物館の価値ある展示物を見ることは叶いませんでしたが、Wmariatp01 広場の中央に立つ、女帝マリア・テレジアの巨大な銅像を同行者たちに案内。19世紀末に建立され、国母と慕われた彼女の座像を中心に、台座には側近や軍司令官、子供のモーツァルトなど歴史的著名人の像が彫られています。(写真出典:4travel.jp) 

 Mozart 次いで、リング通りを王宮庭園(Burggarten)に向かって移動。そこに立つ白いモーツァルト像は、ト音記号の花壇で有名な人気の撮影スポットになっています(写真出典:4travel.jp)。さらにリング通りを進んで、国立歌劇場に出ました。そろそろお腹が空いてきたので、アルベルティーナ通りとの角にある、ウィーンでもっとも有名なソーセージスタンド、Bitzingerにご案内。ところが、スタンドの前は中Bitzingerwurststand国人と思しき旅行者たちで長蛇の列(写真出典:https://ameblo.jp/globetrip/entry-12534974999.html
)。これでは順番待ちでかなりの時間がかかりそうなので、諦めてさらにリング通りを進んで、ホテル・ブリストル前のソーセージスタンドへ。ケーゼクライナー(Käsekrainer:チーズ入りソーセージ)のホットドッグをいただきました。お腹を満たしたところで、さらにその先のグランドホテルへ。40数年前、初めてIAEA(国際原子力機関)を訪れた際 には、ここにオフィスがあったこと、古い建物なので当時はエアコンGrand-hotelがなく、室温が30℃を超えると仕事をやめて帰宅しても良いルールになっていたことなど、昔の話を同行者たちに披露。まったく今は昔のことです。このグランドホテルは、一時期、全日空が東京=ウィーンの直行便を運航していたころはANAホテルとして使用されていました。どの部屋も、ベッドサイドの枕もとで、エアコンや室内灯のコントロールを始め、窓のブラインドの開け閉めまで全てのコントロールが可能でした(写真出典:グランドホテルのWebsite)。 

 Photo_20260405163701 リング通りをさらに進むとシュヴァルツェンベルク広場に。ここには、巨大な噴水、ホッホシュトラールブルネンがありますが、これは、アルプスの湧水をウィーン市内に供給する水道管の完成を記念して1873年に建造されたものです。その背後には、第二次世界大戦で落命した旧ソ連兵士を称えて1945年に建造されたソビエト戦勝記念碑があります。1955年にオーストリアが独立を果たした際に、当時オーストリアを占領していた戦勝国、ソ連、英、米、仏の4か国と結んだ、独立を保障する国家条約の付属書において、この記念碑を決して撤去しないことを約束した経緯があります。(写真出典:https://www.ryoko.info/vienna/
074vienna.html)

Photo_20260404215601 ところで、この記念碑の中央にある高い塔の上には、ヘルメットを被り、黄金色の紋章を携えた高さ 12mのソ連軍兵士の銅像が立っています。その色と形があの水戸黄門様一行が手にする三度笠に似ているので、ウィーン在住の日本人の一部には、これを「三度笠」と呼んでいる人もいました。しかしながら、占領中に一部のソ連兵が行ったモラルに反するような行動の数々から、この像に悪い感情を有するウィーンっ子もいるので、この像を隠すために、噴水を空高く噴き上げるようにしたのだとのまことしやかな説を唱える方もいます。しかしながら、噴水の完成は、記念碑の建造のはるか70年以上も前のことですから、この説は当たりません。時系列が逆です。 

 Photo_20260404215501 そこからさらに市民公園へ。ここには、有名な音楽家の像が多く見られますが、中でも有名なのが、金色に輝くあのワルツ王、ヨハン・シュトラウスII世の像です(写真:© WienTourismus/Gregor Hofbauer)。リング通りからちょっと奥まったところにある、バイオリンを弾く姿の像に同行者たちをご案内した際には、ここにも大勢の中国人観光客。その一人一人が、次々と像とのツーショットを撮るために、台座の近くまで上がっているのはいただけませんでした。世界のあちこちで顰蹙を買うような行動がみられるのは残念です。 

 市民の憩いの場、市民公園をさらに進むと、もうWINS本部のある建物は目と鼻の先です。預けてあったスーツケースを受け取って、建物のわきにあるタクシースタンドで車を拾い、空港へ。チェックインの予定時刻に十分間に合いました。最近では、搭乗客が自分で、搭乗発券機を操作して搭乗手続きをさせられます。パスポート情報を発券機に読み取らせて搭乗券を入手。預託荷物をバゲージドロップカウンターに預け、出国手続きを済ませて、オーストリア航空(OS)のラウンジへ。軽食で小腹を満たしながら、WINSでの調査結果を復習・確認しました。定刻となり、搭乗ゲートに進み、機内へ。この時期、生憎とウィーン=ブダペスト間のOS便がキャンセルとなっているので、ミュンヘン経由を余儀なくされました。夜遅くになりましたが、無事にブダペストに到着。市内の宿にチェックインできました。 

 ハンガリーでは、Paks原子力発電所と規制当局のHAEAHungarian Atomic Energy Authority:ハンガリー原子力庁)を訪問しましたが、その模様は、次の機会に致しましょう。今日はここまで。 

 甲斐 晶 (エッセイスト)

 

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続・大阪万博(EXPO 2025)に行って来ました

前回に引き続き、今年(2025年)の9月初めの週に、東京からとんぼ返りで大阪万博を覗いて来たときのご報告です。

当日見学した5つのパビリオンは、大国フランス、小国ルクセンブルグ、鎖国時代から日本と歴史的つながりの深いオランダ、自然とテクノロジーで知られるスイス、そして明治以来文化・芸術面で深い交流のあるオーストリアと、いずれもその国らしい特徴のある展示内容でした。ただ、 フランス館では、もっぱら、ルイ・ヴィトンの旅行トランクやクリスチャン・ディオールのドレスや香水の夥しい数の陳列ばかりが目立って、商業主義的な匂いを感じてしまいました。フランスらしいもっと文化・芸術の国らしい展示が望まれました。唯一の救いは、展示Img_1615_20250923234001 内容とは無関係に、手をモチーフにしたロダンのブロンズ彫刻の小品が見学通路のあちこちに配されていたことでした。また、円形状のプールの中央に設置されたステージの上に、見事なオリーブの巨木が展示されていたのが印象的でした。こんなに立派なオリーブの木はこれまで見たことがありません  (上図参照。写真をクリックすると拡大します。以下同様。)。

Heidi オーストリア館のお隣がスイス館。「ハイジとともにテクノロジーの頂へ」とのテーマで、公式マスコットであるアニメのハイジがアルプス文化と最新テクノロジーが共存するスイスの実像を紹介して呉れます。

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入館するとすぐに、スイスの街並みを描いた巨大な切り絵が目に飛び込んできます。そこに、アインシュタインの似顔絵と彼が特殊相対性理論から導き出したあの有名な数式、E=mc2 を見つけましたが(左図)、かつて首都ベルンで彼の住まいだった記念館を訪れたことを思い出し、彼がスイス国籍であったことを気付かされました。

ルクセンブルグ館は小粒ながらも魅力的な展示でした。これまで、ルクセンブルグには首都のルクセンブルグ市しか訪問したことがなく、都市のイメージしかなかったのですが、郊外には豊かな自然環境が存在することを知り、新たな発見でした。最後の展示室の床全体がほぼネット状になっていて、見学者が靴を脱いでそこに寝転ぶと、目の前の巨大な画面にルクセンブルグの田園風景の映像が映し出され、あたかも自分がその中に没入しているかのような臨場感を味わうことが出来ました。かくして、色々なパビリオンを経巡って歩き疲れた足と目を癒して呉れました。

Img_1629 オランダ館では、絵本で有名なあのミッフィが、館内のあちこちの解説パネルに登場(左図参照)。館のテーマである「コモングラウンド=共創の礎」、すなわち、人々が同じ土台に立ち、発想し合えば新しい価値観が生まれ、人類共通の課題を解決できるとの考えを示す展示へと導いてくれました。パビリオンの建物の真ん中に、直径11メートルの白い球体が浮かんでいるのが、その外観上の特徴です。再生可能なクリーンエネルギーと日の出を表していて、その内部は360度スクリーンになっています。入館すると、ひとりひとり、手のひらサイズの球体型デバイス「オーブ」を渡されますが、これが色を変えながら光ります。入館者は、水の流れを操るオーブによって、水素など新エネルギーへの転換を巡る旅へと導かれて行きます。

ベルギー館もルクセンブルグ館同様に、万博閉幕後は解体されて再利用されます。健康と医療分野の最新技術に強みを持つお国柄から、館内では、AI(人工知能)やロボットを活用した最新技術など、国を挙げて注力するライフサイエンス、ヘルスケア分野について紹介されます。「人間の再生」をテーマに、生命の源である「水」と「細胞」を表現したパビリオンとなっていて、水の三態である液体、固体、気体をイメージした外観は、3地方に大別される国土の象徴でもあるとのこと。また、パビリオンの中は3層に分かれていて、水の三態である「固体」「気体」「液体」をそれぞれのエリアで表現していました。見学のあとは、屋上テラスに設けられたレストランで、ビールのほかチョコレートやワッフルなどが提供されており、ステージや万博会場の眺めと共に楽しめるようになっていました。

Img_1636 5つのパビリオンを観終わってみて、オーストリア贔屓の筆者の偏見もあるのかも知れませんが、その展示内容の素晴らしさの点で、オーストリア館に軍配を上げる次第です。音楽の都ならではの「未来を作曲」というテーマは、展示内容ばかりでなく、オーストリア館の建築デザインにも反映されています。前回(大阪万博(EXPO 2025)に行って来ました)に述べたように、空に向かって立ち上がるような特徴的ならせん状のオブジェは、五線譜をモチーフとしていて、そこには「人類皆兄弟」を標榜するあの有名なベートーベンの「歓喜の歌」の冒頭部分、ミミファソ ソファミレ ドドレミ ミレレ の音符が描かれています(左上図)。

Img_1590  入館者が第1の部屋に入ると、まず、両国の絆を象徴する展示として、1873年のウィーン万博で明治天皇に献上されたという幻のピアノ「エンペラー」(ベーゼンドルフ社製グランドピアノ )のレプリカが目に入ります。その反響版にはあの有名な北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の版画が描か れており、このモデルは世界に16台しか存在しないとのこと(左上図)。このグランドピアノには自動演奏の機能があって、入館者を迎えると、モーツァルトの曲と思しき作品を演奏し始めます。日本語ガイドの方にその曲名を尋ねてみると、なんとこれは、ウィーン大学の先生がAIを駆使してモーツァルト風の曲を作曲したものとか。うまく騙されました。天井から下げられたロブマイヤー社製のシャンデリアの光に包まれたグランドピアノの自動演奏を聴くのも素敵な体験でした。

Img_1596 オーストリア館のマスコットキャラクター、Aka-shiro-aka(左図参照)に導かれて入る、第2の部屋は「人々」がテーマで、オーストリアの著名人が紹介されるとともに、現代オーストリアの様々な科学技術・現代文化がデジタル技術で紹介されます。そして、これに続く第3の部屋では、オーストリア館のテーマ「未来を一緒に作曲」を入館者が実体験します。複数のスクリーンで、多数の入館者が同時に異なるSDGsを選択すると、その組み合わせに応じて独自の曲が作曲され、バーチャル・オーケストラによって演奏される仕組みです。

こうして、オーストリア館では、文化・芸術ばかりではなく科学技術の粋も体験することができました。

甲斐晶(エッセイスト)

 

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大阪万博(EXPO 2025)に行って来ました

今年(2025年)の4月13日から10月13日まで、184日間の予定で開催されている大阪万博に、9月初めの週、東京から日帰りで行って来ました。早朝に家を出、新幹線で新大阪まで往復し、夜分に帰宅するという、ちょっとした強行軍でした。

大混雑必至で、特に人気パビリオンは長蛇の列で長時間待たされることとは知りながらも、あえて出かけることにしたのには、訳があります。実は、5つの在日欧州商工会議所(すなわち、オーストリアビジネス協議会(ABC)、ベルギー・ルクセンブルグ商工会議所(BLCCL)、フランス商工会議所(CCIFJ)、オランダ商工会議所(NCCJ)とスイス商工会議所(SCCIJ))が合同で特別イベントを開催することとなり、日墺協会宛にその招待状が届き、役員に対して公募がなされたので、即、応募したところ、幸運にも限定数名の枠に入ることができたからです。しかも、このイベントの特典の一つが、一般の入場券とは異なって、万博会場への入場日時の指定やパビリオンの入館予約をする必要が無く、ID登録も不要なVIP入場券が入手できる(代金1万9千円)ことから、無理してもとんぼ返りで出かけた次第なのです。

Img_1577旅の準備として、事前にJR東海のアプリ、スマートEXでクレジットカードを登録したうえで新幹線の乗車券・座席指定券を入手。このアプリと自分のスマホに入ったPASMOとの紐づけをしておいたので、当日は、このPASMOを使って、自宅の最寄り駅の改札ゲートをタッチで入場して私鉄に乗車。途中、JR在来線への乗り換えもPASMOで行い、品川駅でJR在来線から新幹線への乗り換えもPASMOでタッチしてOK。乗り換えの際、新幹線の乗り換えゲートをPASMOでタッチすると、「EXご利用票」(左図参照。写真をクリックすると拡大します。以下同様。)が自動的に印刷されて出て来たので、これを受け取りました。これには、予約した新幹線の列車番号、車両番号、座席番号が記載されているので、どこに着席したら良いかが一目瞭然に分かってとても便利でした。

スマートEXが便利なのは、座席指定の変更(指定列車、指定号車、指定座席の変更)がとても簡単で、列車発車時刻までなら何度でも無料でできることです。実際に私も、予約した新幹線の発車時刻よりもかなり早く品川駅に着きそうだったので、予約したものより早い発車時刻の列車に予約変更。入場で手間取りそうな万博会場に当初の予定よりも早めに到着できるようにしました。

久しぶりに新大阪駅に着いてみて、東京との違いをいくつか感じました。日本列島を東京から西にわずか2時間半ほど移動しただけで、エスカレーターの人波の列が、東京では左側は立ち止まって乗る人の列で、右側は急いで駆け上る人の列であるのに対して、大阪では、右側の列が立ち止まって乗る人の列でした。左側は駆け上がる人専用なのかと思いきや、ほとんどの方が左側でもそのまま立ち止まって乗っていました。また、東京では、ホームで電車に乗り込む際には、みんなが整列乗車であるのに対して、大阪では整列などせず、横入りしてもあまり咎める様子は見られませんでした。

新大阪からはOsaka Metroを乗り継いで万博会場の最寄りの夢洲駅へ。地下鉄の車両が夢洲駅に近づくと、「次は、いよいよ、夢洲です。」との車内アナウンス。乗客の胸の高まりを代弁しているかのようでした。

Img_1578 夢洲駅の改札口を出て、万博会場に向かうコンコースに出ると、そこは既に大勢の入場者で大混雑(左の写真参照)。ここで大いにその威力を発揮したのが、前述したVIPチケット。普通なら入場に1時間以上もかかるところを、長蛇の列を横目に見ながらスイスイと専用ゲートへ。お陰で特別イベントの集合時刻、10:30よりもかなり前に、指定の集合場所であるオーストリア館に到着できました(オーストリア館の展示内容については、既報の記事、「EXPO 2025 オーストリア館」を参照)。

Img_1585 特別イベントでは、まず11:30に、貸し切りとなったオーストリア館を日本語によるガイド付きでゆっくり見学。見終わって、あのベートーベンの歓喜の歌の楽譜がデザインされた、らせん状の木製外階段(左図参照)を登って3階のオーストリア・レストランへ。テーブルに着くと、給仕担当の女性がオーストリアの伝統料理を手にして回って来るので、それを好きなだけ取って食することが出来ました。Img_1603
左の写真は、こうして出されたオーストリア料理の数々です。左上から、ヴィーナー・シュニッツェル(子牛肉のウィーン風カツレツ)にフッジリのサラダ。その右が、キャベツのストゥルーデル(Kohl Strudel)にパプリカ(辛口)ソースを添えたもの、そして右端には野菜サラダの一部が見えています。いずれもレベルの高い出来で、ネット検索してみたら、どうもオーストリア本国から来日したシェフやウィーンで修業した日本人シェフが関与していたようです。Img_1606
左の写真は、デザートの数々。杏子のジャムを添えたカイザーシュマーレンと本場のカフェー、ユリウス・マインルのウィンナー・コーヒーを楽しみました。写真にはありませんが、あの有名なザッハートルテ(チョコレートケーキ)も賞味しました。

食事の後は、12:45開始で、お隣のスイス館から始めて、フランス館、ルクセンブルグ館、オランダ館を自分のペースで回って、最後に4:40ごろにベルギー館に入館。5:00から同館で行われるネットワーキング・レセプションの開始まで、ベルギー館をゆっくり見学することが出来ました。6:00ごろになると帰宅ラッシュになって退場する観客で退場ゲートが大混雑になり、会場を出るのに1時間以上もかかると聞いたので、レセプションを早めに切り上げて、帰途に着きました。

特別イベントに参加したお陰で、限られた時間内に、ヨーロッパのパビリオンだけでしたが、5つも見ることができました。どこでもVIP入場券の威力で、待ち時間0で即入館でき、我々のためだけの解説もあったりして、大変優遇されたツアーでした。一般のお客さん達は、炎天下の厳しい日差しの中で、日傘を刺してしゃがみ込み、長時間待たされていましたので、この特別イベントのアレンジはとても有難い限りでした。

残念ながら、紙数が尽きました。上記5つのパビリオンを訪れた感想は、次の記事(続・大阪万博(EXPO 2025)に行って来ました))と致しましょう。

甲斐晶(エッセイスト)

 

 

 

 

 

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欧州セキュリィ調査団の旅

 2024年9月下旬に、9日間の日程で、欧州における原子力発電所のセキュリティ対策の状況を調査するため、英国、オーストリア、ハンガリーに調査団として出かけて参りました。

 Heysham2_20241027211201 英国では、ランカスター近郊のヘイシャム2原子力発電所(左図)を訪れて、サイバーセキュリティ対策について調査するとともに、その核セキュリティ業務を請け負っている、EDF Nuclear Services社のグロスター本社を訪問し、核セキュリィティ対策の現状について調査しました。New_wins_logo2018large_20241027211201 さらにオーストリアの首都ウィーンにあるWINS(世界核セキュリティ協会:ロゴは左図)を訪問。各国の核セキュリティ対策の現状について調査するとともに、ハンガリーのパクシュ原子力発電所及び原子力規制機関HAEAを訪問して所要の調査を行いました。

 Paksnpp-atomerm_fbejrat_20241027211201 英国のヘイシャム2原子力発電所とハンガリーのパクシュ原子力発電所(左図)では、現場を視察する機会を得ました。現場視察では、思いがけず予定しなかった事物や出来事に遭遇することがあり、それらを我が国の原子力施設に適用して役立てることができるのはと思われることがあります。今回もいくつかそうした事例に遭遇しました。

 61yvjexv9l_ac_sx569_ 例えば、ヘイシャム2の現場視察では、核セキュリティ担当者が随行して原子炉施設内部を案内してくれましたが、立ち入り制限区域を通過した際のことです。この担当者がうっかりしていてスマートウォッチを区域外の所定の保管庫に置くのを忘れて入域していたため、壁に設置された探知器が反応してしまうということが起きました。これはこの探知器の有効性を示すものですが、内部脅威対策の機器として、電磁波を発生する機器の持ち込みを探知する機器に適当なものはないかと探していた電力会社所属の団員にとって有益な情報となったことと思います。

 また、同発電所の食堂を利用した際のことです。天井から、AからZのアルファベットの看板が吊り下げられているのを目撃しました。何のためのものか随行者に尋ねると、安全上の緊急事態が発生した際に、食堂が職員の1次避難の集合場所として利用されていて、職員は自分の姓の頭文字のアルファベットごとに該当する看板の下に整列することになっていて、これによって迅速に安否確認ができるようにしているとのことでした。こうした工夫はわが国でも参考になるのではと思われます。

 Manchesterap 今回の調査日程は、3泊したブダペスト以外、毎日が移動、移動の連続で、毎晩宿泊地が異なるというタイトな状況が続きました。このため、航空会社に預託した荷物を最初の到着地(マンチェスター)で受け取れなかった場合には、その荷物の転送先の指示に苦労することが危惧されたのですが、幸いにもそうした事態に至ることが無くて済んだのは、何よりでした(左図©Euro Travller)。

 ところが、ロンドンからのフライトが遅延したため、ウィーンの宿に着いた時には、すっかり真夜中を過ぎてしまいました。事前にそのことを知らされていなかったのですが、23:00以降はレセプションに全く人がいなくなり、玄関のインターフォンを押しても、何の反応もないのです。すっかり困っていると、やはり遅れて到着したハンガリー人の老婦人が助けてくれました。彼女の英語が流暢ではないので、お互いにカタコトのドイツ語で意思疎通。その結果、ホテルの電話を呼び出すと、担当者が電話口に出るので、自分の名前を告げます。すると、その個人専用のPIN番号を教えてくれるので、インターフォンの横にあるテンキーを使ってPIN番号を入力すると、割り当てられた部屋の鍵が見事に出てきました。やれやれ。

 Haea-oahlogoen_20241027211201 今回の調査にあたっては、実に色々な方々にお世話になりました。特に、親交のあるHAEA(ロゴは左図)の部長には、ショートノーティスでのHAEA及びパクシュ原子力発電所訪問の依頼であったにも関わらず、手厚い対応をして戴きました。さらに、訪問先の手がかりが全く無かった英国の原子力発電所の視察に関しては、本年1月下旬に東京で開催されたWINSのワークショップでご一緒したEDF Nuclear Services社の専門家の手配によって、円滑な訪問が可能になりました。この場をお借りして関係各位に謝意を表する次第です。

甲斐 晶(エッセイスト)

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EXPO 2025 オーストリア館

__20250529220701 大阪・関西万博(EXPO 2025)が2025413日から1013日までの日程で大阪市の「夢洲」で幕を開けました。158の国と地域が参加しており、オーストリアも後述するようなユニークな形のパビリオン(オーストリア館)を建設して参加しています。

 修好156年を迎える日墺関係において、万博は特別な役割を果たしてきました。1873年のウィーン万博の際には、明治政府は文明国たる日本を世界にアピールする絶好の機会と捉えて、初めて自らのパビリオンを建設して参加。その結果、西洋にとってとてもユニークな文化であるジャポニズムが全ヨーロッパ、さらには世界へと大きく広がり、西洋の芸術・文化に多大な影響を及ぼしました。

 一方、オーストリアは、日本で初開催の大阪万博(1970年)は勿論、自然と共存する21世紀社会の創造を目指した愛知万博(2005年)にも、自らのパビリオンを建設して参加し、オーストリアの文化・芸術を幅広く紹介する場としました。

 Alexander_van_der_bellen_13072021_croppe 今回のEXPO 2025では、523日のオーストリアの日(ナショナル・デー)に行われたオーストリア館での式典に参加するため、アレクサンダー・ファン・デア・ベレン墺大統領が来日。これを記念して、日墺二国間の経済フォーラムが521日、目黒の雅叙園において開催され、同大統領も基調講演を行いました。

 このフォーラムでは、多くの演者から、①150年を超える両国関係を通じて、相互に相手国に対する敬意が醸成されており、②両国は、自由、人権、平和、安定、発展、開放、イノベーション、国際感覚などを重んじるlike-minded countries(志を同じくする国同士)であり、③すでにオーストリアから日本には約80社、日本からオーストリアには約100社が投資しており、④オーストリアはEUに展開する上での門戸、また日本はアジアへ展開する上での門戸であることなどが指摘されました。

 Takedaaheadaustria715x328 オーストリアと言えば、ともすればその文化・芸術だけをイメージしがちですが、実は官民を挙げてイノベーションに力を注いでおり、これに着目した武田製薬が、オーストリアの研究開発力と連携するため、20239月にウィーン郊外にバイオ関係の研究所(左上写真参照)を設立していることも紹介されました。

 先に述べたように、本年523日のオーストリアの日には、オーストリア館においてファン・デア・ベレン墺大統領の臨席のもと、ウィーン少年合唱団が両国歌を歌いました。またオーストリア観光大使のHYDE氏も大統領と交流。翌24日には大統領が兵庫県の姫路城を訪れ、同城とシェーンブルン宮殿の「姉妹城」締結式が行われました。(ちなみに大阪城は、「豊臣期大坂図屏風」(リンク先のServus!の記事を参照)が縁で2009年にグラーツのエッゲンベルク城と「友好城郭」提携を結んでいます。)

 Photo_20250529220001 さて、オーストリア館は、大阪・関西万博のシンボルである大屋根リングを時計回りに15分ほど歩いた位置にあり、木製の帯である五線譜がらせん状にぐるぐると17メートルの高さまで空に伸びて行くという、ユニークな外観で一段と人々の目を引きます(五線譜には、ベートーベンの「歓喜の歌」の一節が記されています)。同館は、万博の総合テーマ、「いのち輝く未来社会のデザイン」にちなんで「未来を一緒に作曲」するとのコンセプトで、入館者を両国関係に関する旅へと視覚的、音楽的、情緒的に誘って呉れます。

 Bsendorfer-grand-piano-under-lobmeyer 館の内部は3部構成になっています。まず、「両国関係」がテーマの第1の部屋に入ると、1869年に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世から明治天皇に友好の印として送られたベーゼンドルフ社製グランドピアノにちなんで制作された、自動演奏機能を有するグランドピアノがあり、ロブマイヤー社製のシャンデリアの光に包まれています。その反響版にはあの有名な北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の版画が描か38817_expoaustrianpavilionboesendorferkl れており、このモデルは世界に16台しか存在しないとのことです。この部屋では、1869年から今日に至るまでの両国関係の歴史における主な出来事が鮮明な動画でスクリーン上に映し出されています。

 やや狭い回廊となった第2の部屋は「人々」がテーマで、オーストリアの著名人が紹介されるとともに、現代オーストリアの様々な科学技術・現代文化がデジタル技術で紹介されます。

 これに続く第3の部屋では、オーストリア館のテーマ「未来を一緒に作曲」を入館者が実体験します。複数のスクリーンで、多数の入館者が同時に異なるSDGsを選択すると、その組み合わせに応じて独自の曲が作曲され、バーチャル・オーケストラによって演奏される仕組みです。

 パビリオン内部の見学を終えた入館者は、らせん状の帯に設けられた階段を登って屋上階に出ると、サウンド・オブ・オーストリアという音響装置があって、これに触れると、教会の鐘の音、ラデツキー行進曲、牧場の牛の鳴き声などを聞くことが出来、オーストリアのランド・スケープならぬサウンド・スケープを味わうことが出来ます。また、屋上からは、EXPO会場の素晴らしいパノラマ景観を眺めることが出来ます。

 Menyu-image17453119442871024x707 パノラマの展望を楽しんだ後は、カフェでオーストリアのグルメを楽しんで見ては如何ですか?定番のヴィーナー・シュニッツェル(左の画像をクリックして拡大して現れるメニューのNo.6)からグーラーシュ(同No.5)、そしてデザートのカイザーシュマーレン(同No.7)、アプフェルシュトゥルーデル(同No.8)、ザッハトルテ(同No.9)、リンツァーシュニッテ(同No.10)に至るまで何でも揃っています。そして、お食事の後には、本場のウィンナー・コーヒー(クライナー・ブラウナーまたはグローサー・ブラウナー、それぞれNo,11、No.12)を是非どうぞ。

甲斐晶 (エッセイスト)

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天上の響き、グラスハープ

 2025年4月1日の夜に開催された日本モーツァルト協会の例会では、とても珍しい楽器、グラスハープの演奏が披露されました。

 L_20250404140001 グラスハープとは、濡らした指の先でワイングラスの縁(口の部分)を擦ると、グラスが振動・共鳴して、神秘的で独特の、天上の響きを思わせるような澄んだ音色の音が出るという原理を利用した楽器です。異なる音程の音を得るために、大きさや形状、材質などの異なるワイングラスを多数用意するとともに、グラスに注ぐ水の量を調整することで、お望みの高さの音が出るようにして演奏します。従って、演奏者には、毎回の演奏会の前における「調律」作業が負担となります。すなわち、演奏会の開始に先立って、個々のワイングラスに入れる水の量の調整、グラスの配列の工夫などが求められるほか、曲目によっては一度に複数のグラスの縁に触れて擦るという難易度の高い奏法も求められますし、常に指先が濡れた状態に保たれるよう、演奏中も時折指を専用の水を張ったグラスに浸す必要があります。

 Photo_20250403181301 こうしたグラスハープ演奏に伴う労苦のためからか、我が国でももっぱらグラスハープだけを演奏するプロはほとんど見られず、ほとんどが他の楽器もプロとして手掛けています。そんな中にあって、その夜は、日本グラスハープ協会の会長でもある大橋エリさんが、モーツァルトの作品だけで構成される、オールモーツァルトプログラムによって、チェロとの重奏、またはフルート・オーボエ・ヴィオラ・チェロとの重奏でグラスハープの魅力を余すところなく伝えてくれました。

 Interviewkomiyamphoto1 ところで、ヨーロッパ文化史研究家である小宮正安横浜国立大学教授の言葉を借りるならば、

「モーツァルト(1756ー91)の生きた18世紀後半、そうしたグラスハープの原理自体が、時代の特徴をきわめて映し出したものだった。それまでの旧弊な時代を抜け出て、新たな世界を作り上げようとする希望に裏打ちされた啓蒙思想や実験精神が徐々に広まりつつあったからである。特にモーツァルトが後半生を過ごしたウィーンでは、この街を都とするハプスブルク家の支配者、皇帝ヨーゼフ2世(1741ー91)が、そうした新たな世界への動きを汲んだ上からの改革を積極的に推し進めていた。またそうした中でモーツァルト自身、音楽活動においても様々な実験精神を発揮し、楽器についても最先端のものを採り入れていった。

Harmonica_de_verre_cropped その1つこそ、グラスハープのいわば改良版であるグラスハーモニカ、別名アルモニカだ。これは、グラスハープに不可避の演奏の困難さをなるべく簡単にし、誰もが最先端の神秘的な音を奏でられるように工夫を施したもの。発明者は、雷のメカニズムを解明し、避雷針を発明したほか、『自由・平等・友愛』に基づく理想社会の実現を目指し、アメリカ合衆国の建国にも携わった、啓蒙思想と実験精神の体現者であるベンジャミン・フランクリン(1706ー90)。具体的には、大きさの異なるグラス(の口:引用者補足)を水平ではなく垂直に、しかも鍵盤楽器のように左から右にかけて低い音から高い音になるように並べ、ペダルを使ってグラスが回転するようにした上で、濡れた指で自分の奏でたいグラスに触れるというものだ。」(当日のプログラム解説から引用。)

Wolfgangamadeusmozart_1 「その後19世紀に入ると楽器の耐久性や持ち運びの問題(何しろ壊れやすく重い)、さらにその神秘的な音が健康を害するといった噂ゆえ、グラスハーモニカは廃れてしまう。だがこの楽器の響きをモーツァルト自身熟知しており、あまつさえそのための曲も書いている。それを、まったく別の楽器を使うのではなく、いわばグラスハーモニカの原型ともいえるグラスハープで追体験指標というぜいたくな試みが、本日の例会の主眼に他ならない。」(同上から引用。)

 

 Franklin1 当初は天上界を髣髴させるようなその音色に多くの人が魅了され、トーマス・ジェファソン(1743ー1826)やゲーテ(1749ー1832)、パガニーニ(1782ー1840)といった有名人も「天使の声」などと言って称賛したとされています。アルモニカを発明したフランクリンは毎夜のように演奏したため、その音で目を覚ました奥さんが「自分が死んで天国に来た」と勘違いしたとの逸話が残されている程です。ところが、19世紀に入ってこの楽器固有の不便さからその使用が衰退するようになると、今度は、その独特の音が「人間の神経に悪影響を及ぼし、精神障害を引き起こすのではないか」などと言われるようになり、ついには悪魔の楽器として禁止されるまでに至ったのです。

 果たしてグラスハープは天使の楽器なのでしょうか、それとも悪魔の楽器なのでしょうか。これに結論を得るべく、グラスハープの演奏家でもあり研究者でもある田村治美氏がグラスハープの音が人体に与える生理的、心理的影響を実験・調査した結果がネット上に紹介されています

 L_mz_grassharp03 すなわち、色々なワイングラスを擦って発する音の周波数分析を行った結果、いずれも人間の可聴範囲を超える20kHz以上の高周波音(いわゆる超音波)が多く含まれていることが分ったのです(左図参照。クリックすると拡大されます)。また、グラスの組成(鉛の含有量)の違いで音色が異なり周波数特性も異なることが判明しました(赤い線の右側が20kHz以上の高周波成分)。

 さらに、高周波成分を含んだグラスの音と含まないグラスの音を被験者に聞かせて人体への生理的影響及び心理的影響を複数の観点から調べた実験では、「生理的には心地よさを得られているはずなのに、心理的には不快に感じている」という矛盾した結果が得られたとのこと。すなわち、生理反応では高周波を含むグラスの方が精神性発汗が抑えられ、α波もより多く出たが、一方、音を聞いた時のアンケートでは「心地悪い」、「不快だ」との感想が多かったのである。こうした二面性が、グラスハープに対する評価が分かれる一因なのかも知れません。

 Rarityglassharp-mozart その夜の大橋エリさんのコンサートの演目は、冒頭のグラスハープを伴わない、フルート、オーボエ、ヴィオラ、チェロの4重奏によるアイネ・クライネ・ナハト・ムジーク(K525)の第1楽章の演奏に加え、例会直前の3月26日にリリースされたばかりのCD「Rality-glassharp mozart-」(左図:CDのジャケット画像参照)に収録されている以下の曲目でした。

 1.トルコ行進曲 K331,III(グラスハープ、チェロ)

 2.きらきら星変奏曲 K265(同上)

 3.恋とはどんなものかしら K492(グラスハープ、フルート、オーボエ、ヴィオラ、チェロ)

 4.自動オルガンのためのアンダンテ K616(同上)

 グラスハーモニカのためのアダージョとロンド K617(同上)

 5.アダージョ

 6.ロンド

 7.グラスハーモニカのためのアダージョ K356(グラスハープソロ)

 8.アヴェ・ヴェルム・コルプス K618(グラスハープ多重録音)

なお、最後のアヴェ・ヴェルム・コルプスはアンコール曲としての演奏でした。

  その夜の聴衆にとって、このグラスハープという楽器はとても物珍しいものと見えて、例会開始の前や休憩時間には、楽器の前に大きな人だかりができて、皆さんその写真をスマホに収めていました。(この記事のトップの写真も客席から撮ったものです。)

 L 最後に、演奏者側から客席方向に向かって撮った貴重な1枚の写真をご紹介します(左の写真参照。クリックすると拡大写真が別ウィンドウに現れます)。拡大写真をご覧になると、実に大小さまざまな大きさのグラスが並べられ、中に入れられた水の量もそれぞれ異なっているのが分かります(空のものも見られます)。ところで、前列の中央にシャンパングラスがあるのが見えますが、どうして他と違うものが1つだけここにあるのでしょうか?答えは、演奏に際して、常に指先を濡らしておく必要があるため、時折指先を水に浸す目的のグラスで他と瞬時に区別しやすいようにと、シャンパングラスを選んで水を張っているのです。

 

甲斐 晶 (エッセイスト)

 

 

 

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他人の空似

新しい年、2025年を迎えて、早、20日が過ぎました。

毎週金曜日に興味深い視点で書かれたエッセイが配信される、STEAM NEWSというメルマガの1月3日発行の第215号で知ったのですが、2025はとても興味深い数字で、九九の表に出て来る1の段から9の段までのすべての数字を足すと2025になりますし、また、1から9までの数字のそれぞれの3乗の和も2025となります。試してみてください。(計算するには、ガウスの足し算の公式:(初めの数+最後の数)×個数÷2)を使うと早いです。)

Photo_20250120202103 さて、1/16日のX(旧ツイッター)に「権太楼よりお知らせです。」という柳家権太楼師匠からのメッセージがアップされていました。

同日のYahoo!ニュースにも、「柳家権太楼さんはSNSに文書をアップし『昨年の暮れより体調不良を感じ、検査をしましたところ食道癌と診断されました。』と報告。」として、権太楼師匠がXに載せたお知らせの内容を報じていました。

Photo_20250120202102 権太楼師匠は1947年1月24日生まれですから、今年、78歳になります。2010年には腎盂がんと膀胱がんを経験し(11月)、2022年には、心房細動による不整脈での検査入院(4月)や間質性肺炎での緊急入院(11月)をされていました。間質性肺炎の治療で使ったステロイド剤の副作用で一時は顔がまん丸(ムーンフェース)に膨らんでおられましたが、その後それも収まって良かったなと思っていました。ところが、最近高座のお姿をお見かけしたときは、ちょっとお痩せになったのではとの印象を持った矢先での「お知らせ」でした。一日も早い回復を願っております。

Photo_20250120202101 ところで、1月17日には横綱照ノ富士が引退を表明しました。権太楼師匠と照ノ富士が他人の空似でよく似ていると感じているのは私だけでしょうか?

甲斐 晶 (エッセイスト)

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小澤征爾さんを偲ぶ

20162 2024年2月6日、世界的な指揮者で、ボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場の音楽監督を日本人として初めて務めた小澤征爾さんが心不全のため逝去されました。享年88歳での旅立でした。その逝去の公表は、9日、所属事務所によってなされましたが、故人の遺志により、葬儀は近親者のみで執り行われ、「後日、お別れの会を検討しています」とされていました。

Omf 小澤さんは、成城学園中学校を卒業後、桐朋女子高校音楽科を経て桐朋学園短期大学に進学しましたが、世界的な指揮者になってからも成城学園と深い関係があったようで、結局、その「お別れの会」が成城学園澤柳記念講堂で執り行われることとなり、本年3月に成城学園のホームページに次のような案内が掲載されました。(https://www.seijogakuen.ed.jp/news/2024/u8ej300000008yza.html)
「今般、下記の通り「お別れの会」を執り行うことといたしました。
当日は、思い思いに故人をしのんでいただきたいとのご遺族のご希望をふまえ、特別な催しを行うことなくご参列者の皆さまにはご都合の良い時間にお越しいただき、献花をしていただくこととしております。
なお、ご香典、ご供花、ご供物の儀はご遺族のご意向により固くご辞退申し上げます。何卒、ご理解の程お願い申し上げます。
     記
日時:令和6年4月14日(日曜日)午後1時から午後3時まで(随時受付)
場所:学校法人成城学園 澤柳記念講堂
午後1時より「コーロ・カステロ」「合唱団 城の音」による献歌を予定しております。
混雑を避けるために時間を拡大してご案内申し上げます。
上記の間でご都合のよい時間に平服でお越しくださいますようお願い申し上げます。」

成城に住んでいる私の友人からのメールによると、お別れの会の情報が「成城学園のHP、町内報、最寄駅や区掲示板に出ている」とのことで、小澤さんが実に気さくでどなたとも分け隔てなく交流されていたお人柄を反映していると感じさせられます。私の友人も、「小澤さんは蕎麦屋や小田急車内でお会いしてもにっこり挨拶に応じられ、鼻歌まじりで自転車に乗るなど、本当に気さくな方でした。」としていて、私の経験とも重なります。

Img_7919 実は、私の2度目のウィーン赴任中のことでしたが、小澤さんが後輩指揮者の秋山和慶さんとサイトウキネンオーケストラのコンサートをウィーンで開催された際に、ゲネプロにウィーン日本人学校の生徒や父兄、先生方を招待してくれたことがありました。楽屋にお二人を訪ねると、気軽に求めに応じて、我が家のゲストブックにサインをしてくれました(別図)。1989年9月11日、小澤さんが54歳の時のことです。

Q-ozawa-kaerntnerstr また、小澤さんがウィーン国立歌劇場の総監督を務めていたころ、2003年の5月のことですが、私がウィーンに出張した際に、たまたま歌劇場でのリハーサルを終えて、ご自分が滞在中であったアパートに戻りつつある小澤さんをケルントナー通りでお見掛けしたことがあります。大道芸人たちに声をかけて親しく談笑している姿をお見掛けして、偉大なマエストロなのに実に気さくな方だとの印象を受けました。(別図)

Trim さらに、10年前、2014年の冬のことですが、奥志賀高原にスキーに出かけた際、そこに別荘をお持ちの小澤さんが、奥志賀高原ホテルの前にある音楽堂のほうへスキーウェア姿でやってこられ、我々の姿を見ると声をかけてこられました。親しくお話してくださり、その後一緒に集合写真に収まってくださったことを思い出します。(左図は、集合写真からトリミングした、スキーウェア姿の小澤さんです。)

実に偉大な指揮者を失いました。まさに巨星墜つです。


甲斐 晶 (エッセイスト)

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CNS年次大会等を訪れて

Cnalogo2022 2023年6月上旬に、原子力発電所のセキュリティに関する調査のため、カナダと米国に出かけました。まず、カナダのセントジョン市で開催されたカナダ原子力学会(CNS)の年次大会に参加し、開会セッション等に出席するとともに、同市に所在、または同大会に参加していたセキュリティ関連のメーカーや原子力関連のエンジニアリング会社等との個別会合を行いました。さらに、米国ワシントンD.Cに移り、セキュリティ関連のNPO.を訪問して所要の調査を行いました。

Moltex CNSの年次大会では、カナダの原子力事業者の発表を通じ、次世代のSMR(中小型炉)の配備を中心にして、クリーンで安定したエネルギー源の活用により、カーボン排出ネットゼロの社会の実現を目指す意気込みを強く感じさせられました(図:カナダで配備が検討されているMoltex炉)。また、個別企業等の会合では、サイバーセキュリティ及び核セキュリティに係る先進技術に接することができ、所期の目的を果たすことができました。

Opening 開会セッション開始の冒頭、先住民の男女2名が、本大会の参加者及びその家族の健康と安寧を祈念する儀式を、先住民の歌や踊り、タバコの煙を鷲の羽で煽いだりする動作を交えて行っていました(左図)。こうした特別な行事を学会の開会冒頭に行っていることを目にしたり、開会セッションにおけるカナダの各州や事業者の発表の中で、その事業の推進において、先住民との共存を図るべく、事業への先住民の参画にいかに腐心しているかの言及を耳にしたりして、先住民との関係に特別な配慮を行わなければならないカナダ特有の事情、すなわち、原子力開発利用においても先住民の理解と協力や参画が必須と考えるカナダの原子力関係者の姿勢が窺えて印象的でした。

Img_5704 ところで、新型コロナが5類感染症に移行して間もないタイミングでの出張だったためか、日本からカナダへ向かう機内では、マスク姿の乗客が日本人以外にも見かけられ、我々の一行も皆マスク姿でした。しかしながら、CNSの年次大会では、レセプションにおいてもマスク姿の参加者は殆ど見かけなかったことから(380人ほどが参加登録した年次大会でマスク姿は、たった一人、白人男性がいただけでした)、我々も、若干の懸念を抱きつつも、郷に入りては郷に従えで、マスクなしで過ごすことになりました。

K10014093381_2306080927_0608093846_01_02 しかしながら、ワシントンD.C.着いてみると、道行く人々にマスク姿が多く見られ、アメリカ人のメンタリティはカナダ人と少し違うのかなどと感じましたが、実はこれは、カナダ東部で続く森林火災(右上図、出典:NHK)の煙が国境を越え米国に広がり深刻な大気汚染を引き起こしてImg_6028 いたためでした。このため、ワシントンD.C.でもひどいスモッグになり、公衆衛生当局がマスクをしないと肺などに健康上の影響を起こす可能性があるとの警告を出したためだと分かりました。左下の図は、自由時間にリンカーン記念館を訪れた際に、カナダの森林火災によるスモッグのために霞んで見えるワシントン記念碑を撮ったものです。森林火災によるスモッグの影響は深刻で、ワシントンDCよりもカナダに近いニューヨークでは飛行機の発着にも遅れがでたほどとの報道がなされていました。

Citylogo347110285_9451800418224260_50374 今回CNSの年次大会が開催されたセントジョンは人口約12万のニューブランズウィック州第2の都市で、ファンディ湾の北、セントジョン川の河口に位置しています。世界最大の干満差を見せるファンディ湾は、1日2回、大西洋の潮の満ち引きでセントジョン川を逆流して約1000億トンの海水が押し寄せることから、「Reversing Falls(逆流する滝)」が見られることで有名で、同市のウェブサイトには、Reversing Fallsを見物するため、その日の干潮・満潮の予報時刻の情報が掲載されているほどです(https://saintjohn.ca/en)。

Reversing-falls70 個人的には、約50年前、ミシガン大学に留学中の夏休みに、ノヴァスコシャへ州へのドライブの途上で、「逆流する滝」の見物にセントジョンを訪れて以来の再訪問でした。今回、宿泊したヒルトンホテルが河口に位置していたので、毎日のように「逆流する滝」を見られるはずでしたが、どうも名前負けしている印象だったのは、50年前と余り変わりませんでした。(左図:「逆流する滝」の様子。出典:Tripadvisor

Cosjlogoblack さて、カナダにはセントジョン(Saint John)と良く似た名前のセントジョンズ(St. John’s)という町があるので要注意です。後者は、カナダ東岸に浮かぶニューファンドランド島東端近くの人口約20万の港町で、ニューファンドランド州の州都です。北米最古のイギリス人入植地ともいわれ、また世界一霧の深い町としてギネス認定されています。そのロゴ(左図)はセントジョンズ湾の幅の狭い深い入り江の形状を象徴しています。

甲斐 晶 (エッセイスト)

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マルチ交渉の心得

 Iaeaflag11140x640 IAEA(国際原子力機関)など国際機関の諮問グループ会合(AGM)や専門家会合、多国間の条約策定会合などマルチの交渉事に参加する際の心得を、この種の会合に実際に参加した経験から、いくつか挙げてみましょう。

 Ihttps253asmile-252f252fs_eximg_jp252fex まず、3S(Smile, Silent, Sleeping)は論外です。日本からは、いつも大勢の会議出席者が来る割には、議場での発言が少ないか、何を聞いても微笑みを浮かべるばかりだったり、居眠りしているばかりとの批判が従前少なからずありました。

July4silentbutdeadly300x300 しかし、最近では、日本の専門家の貢献度が増してきており、こうした批判は当たらなくなってきています。ただ、国内ではそれなりの大家でありながら、国際会議では語学力不足から、せっかく発言しても何を言っているのか理解されず、無視されている方もまま見かけます。

 

Sleeping 今や、rとlの区別が付かず、fやv、thの発音がうまくいかない日本人の英語もそれなりに国際的に認知され、市民権を得ています。先方はそれなりに翻訳して聞いてくれますので、自信をもって、大いに発言して欲しいものです。ちなみに、thがうまく発音できないのは、ドイツ人でもそうですし、中国人の語尾を飲み込む英語やタイ人のファーファーした英語、インド人の喉の奥に籠もった英語も慣れないと聞き取りにくいものです。

 ポイントの第2は、マルチの会議では、発言のタイミングが肝心です。というのは、話題がすぐ変わりがちだからです。これが二国間の交渉では、相手との対話が確保されますから、議長に発言を求めるサインを送ってから実際に発言の許可を得るまでに議場の話題が変わってしまうと言うことはありません。ところが、マルチの会合では、そういうことがしばしば起こりがちです。とにかく、タイミングを失せずに、関連発言をするよう努めることが肝要で、そうでないと、もう既に決着済みの話題を蒸し返していると取られ兼ねない場合があります。

 Qcimg0415 次なるポイントは、マルチの会合では、議場での公式の交渉ばかりでなく、議場外での非公式な「ロビイング」が重要なことです。すなわち、議場裡での根回しが功を奏することが多く、コーヒータイム、ランチタイム、レセプションなどあらゆる機会をとらえての廊下トンビ活動にも力を注ぐべきなのです。公の会議の場では言えないような裏事情も、ざっくばらんに話すことで理解が得られることもあります。

 そして、肝に銘ずべきことは、AGMなど技術会合への参加者は、必ずしも各国の利益代表ではないことです。彼らの「良い格好しい」の発言には、要注意です。例えば、安全基準の策定作業の会議に出てくる各国の専門家は、その分野の「専門家」として来ているのであって、必ずしも行政や規制問題に精通しているわけではありません。従って、その発言は、割と格好の良い、建前論であることが多いのです。このため、専門家同士の審議の結果得られた基準・指針の勧告が法令に基づく規則や技術基準等に焼き直し得るものであるかどうかとの観点からの議論は、欠如しがちです。

基準・指針案に精神論的な規定がまま見られるのにはこうした背景があります。

 ところが、対処方針を背負ってやってくる日本からの出席者は、専門家としての立場のみならず、規制当局や事業者としての立場からの発言をせざるを得ず、議場では、あれも削れ、これも削れと否定的、消極的な発言振りに映りがちです。

 Pacific_heron554x300 出来上がった勧告や条約をしっかり遵守する気がなければ、理想論を格好良く展開することも可能でしょう。例えば、改正前の核物質防護条約策定会合でのスェーデン代表の発言です(改正前の条約では、国際輸送のみが規制の対象でした)。青森港から函館港への輸送のように途中に津軽海峡という国際水路を通過するものは、国際輸送に当たるから条約の対象とすべきと強硬に主張。建前上はそうでしょうが、実効性の観点からは、ナンセンスだという当方の主張に理解を示してくれる国の数を増すのに、大いにロビーイングに精を出しました。

 バイ(二者間)の交渉も大変ですが、マルチは、もっとややこしいのがお分かり頂けたでしょうか。

甲斐 晶(エッセイスト)

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